2012年8月29日水曜日

あっと驚く

昨日倉敷の町をぶらりと歩いててふと右手を見るとお寺の階段があった。
場所は阿智神社の西側で同じく鶴形山の中にある。
私もその日の朝は2つの打ち合わせがあり、少々頭も疲れ気味だったので、少し休んで行こうと導かれるようにそのお寺の階段に向かった。
そしてあっと驚いた。
そのお寺の名前は「観龍寺」
なんでまたここで?と言う感じだった。
私は今、日々秋の岡山芸術回廊で龍の台本を書き、曲作りに追われている。
その中で龍を肌で感じ、目に見えるような作品(祈り)にしたいとずっと思っていた。
だからその「観龍寺」と言うお寺の名前を見て衝撃を受けたのだ。
階段を上り寺の門をくぐると、広い庭に池があり本堂、大師堂が並んであった。
下には倉敷の街が見える。
気持ちの良いお寺だ。
境内には誰もおらず、私は龍が観えますようにと祈った。
参拝の後、休憩所に入り暫く目を瞑り休む事が出来た。


2012年8月26日日曜日

手のひら祭り

今日は八塔寺で二泊三日で開催されてる「手のひら祭り」に行った。
この祭りは原発に反対していて、電力もソーラーシステムでPAを始め全ての必要なエネルギーを供給していた。
祭りに行くと懐かしきヒッピー的仲間達に会えた。
いつも感じるのだがこの様な友に会った時「よく今まで生きて来れたね。」と言いたくなる。
自分の信じている事を実践して行く事は本当に大変な事だからだ。
それゆえ再会できた事を本当に嬉しく思う。
今回ジャンベを始めドゥンドゥンやサンバン、ケンケニと言ったアフリカンパーカションを持って来ていた人を何人か見かけたので、 私達のライブの最後に皆さんと一緒に楽しみたいと声をかけたら、喜んで参加してくれた。
皆さん素晴らしく、良いセッションになった。
これからも至る処でこのようなPeacefulな祭りが開かればいいなぁと思う。

2012年8月19日日曜日

お城で

我が部落でも夏祭りや盆の送り火が終わってちょっと一息。
今日も日中は少し暑かったが一時の猛暑からすると片足ケンケン。
残暑の領域に入ったのだろう。
これからは過ごし易い日々が待っている筈だ。
しかるに私にはすべき事が山積み。
11月から丸ひと月間開催される「岡山芸術回廊」に関わっておるのだ。
私の関係は岡山城の中段。
大きな流木で出来た龍・・・龍木か !?
その前で繰り広げる「龍への祈り」
詳しい話はおいおい、今はこの台本と作曲にかかり切りなのでありんす。
イメージは出来ているのだが、現実的表現には難しき処も多々有りき。
まあされど親愛なる仲間達が駆けつけてくれそうなので、私は高飛びしようかな。

2012年8月13日月曜日

朝晩涼しく秋の気配がふとするが、日中は暑く蝉の声が賑やかだ。
暦から言えば盆に入ったわけだ。
個人的な事だが昨年の8月の始めに母が亡くなり、今年は初盆になる。
本当に1年の経つのは早いものだ。
今ふと考えたのだが、盆は亡くなった先祖を迎えるのだが、I was born の born
生まれたとは関係あるのか?
転生輪廻?
まあ関係無いだろうな。
暑い昼下がりビールを飲んだ頭で。

2012年8月8日水曜日

B.B.Q

日曜日に我が村の夏祭りがあった。
周りが山と水田に囲まれた集落で、夏祭りと言っても子供達ように花火をしたり、かき氷や流しソーメン、そしてB.B.Qをする。
大人たちはたらいで冷やされたビールを飲みながら金網を囲む。
ここの集落も徐々に平均年齢が上がって来ていて、B,B.Qも肉の量が少し減り、いかや海老やホタテ貝の量を増やしている感じ。
まあ昨年今年と私が買い出しに行ってるせいかも知れないが。
野菜は玉ねぎ、ピーマン、ししとう、ナス、トマト等村人の持ち寄りだ。
夕焼けを見ながらの夏祭りは楽しい。
昨日は玉井宮東照宮で龍神祭の打ち合わせ件B.B.Qに行った。
毎年恒例で宮司さんが出演者、スタッフを呼んで開いてくれる。
宮司さんの家の前庭でご家族を含め15名程だ。
いつもこの席では酒を酌み交わしながら、いろんな分野の話が聞けるのが楽しい。
やはり火、酒、食、話は良いものだ。

2012年8月5日日曜日

せとうち交流プロジェクト終了

福島の子供たち家族の方々が昨日帰って行かれた。
子供たちも大きな声でしゃべり、走り周り、海と戯れ岡山の夏を満喫したようだ。
最後にバスに乗りお別れする時は皆さん本当に名残惜しそうだった。
今回せとうちプロジェクトには大勢の人がボランティアで関わってくれた。
食事だけでも多くの方々が野菜等の食材を提供してくれて助かったが作る方々は手分けをしたものの大変だったと思う。
皆の力が合わさってこそ良い交流になったと思う。
鼓空のメンバーも演奏以外に富山天龍太鼓のメンバーと共に映画の時の受付をしたり、スタッフの昼食を作ったり、子守をしたり、また交流会でおでんを作ったりと良く動いてくれた。
今回福島から来られた方の中には岡山に移住を決められた方もいる。
これからもみんなで福島の事を忘れずに生きて行ければと思う。
最後に今回この交流プロジェクトの中心的役割を果たした蝦名宇摩さんに心からお疲れ様と言いたい。