2012年6月8日金曜日

ツアーを終えて ②

私達は今回北陸道を使ったのだが、途中福井県新潟県を通る。
道路標識に敦賀や柏崎が出て来る、そして高圧線が通っている。
そう高浜、美浜、大飯、刈羽等の原発の近くを走ったのだ。
改めて原発大国だと思う。
今回福島の後、仙台を抜け石巻に行ったので是非牝鹿半島にある女川原発を見て来ようと思った。
女川原発の門の所に車を止めると中から守衛さんが飛んで出てきて、ここからは入れないと言う。
私もそれはそうだなぁと思った。
もし私がテロリストだったら大変だもの。
守衛さんはPRセンターの方に行ってくれと言う。
PRセンターは女川原発の裏山の頂上にあり、原発の建屋も見える。
建物に入ると受付のお姉さんが丁寧に対応してくれる。
案内でまずは映画を観る。
内容は今回の大震災でも耐えた原発をPRするものだった。
PRセンターだから。
でも私には全くPRになっていなかった。
大震災、津波から耐えれるかどうかは全くの紙一重だった。
まずは外部電源5系統の内4系統が破損し、残る1系統で30時間持たせたという事。
女川原発の敷地の高さを14、8mと高くしていたというものの、地震で1m下がり、13.8mとなっていた。
そこに高さ13mの津波が襲ったのである。
残りたったの80cmであった。
でこれで問題無かったかと言えばそうではなく、津波が流入し2号機3号機の原子炉建屋の地下3階に大量の海水が入り、タービン建家は火災を起し消火に8時間かかっている。
映画の後は原子炉やタービンの実物の半分の動く模型があり、試してみた。
制御棒が上がったり降りたりする。
半分の大きさといえやはりでかい。
しかしよく見ていると、当たり前だが人間が作った機械なのだ。
金属も動かす内に摩耗するし、決して絶対など有り得ない。
本当にもう自信過剰は終わりにして、もっと謙虚になるべきだ。
使用済み燃料棒の処理の仕方もわからず、半減期が気が遠くなる程長い放射性物質の取り扱いに気軽に責任は取りますと誰が言えるのか。
もう学ばなければ。
突き詰めれば人は衣、食、住が足りれば生きていける。

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