2012年6月27日水曜日

ふくしま集団疎開裁判の会代表井上利男さん講演会

私達が福島でもお世話になった「ふくしま集団疎開裁判の会」代表の井上利男さんが京都の講演の後、瀬戸内市に来て講演してくれる事になりました。
今の福島の状況、子供達の事、脱原発運動の事等を丁寧にわかり易く解説して戴けると思います。
福島の問題は私達の問題でもあります。
皆さんの参加をお待ちしています。
http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2012/06/74-bezen.html



日 時 : 7月4日(水) 19時より
会 場 : 空スタ(鼓空道場) <住所>瀬戸内市長船町飯井1250-4
入場料 :   カンパをいただけると助かります。(¥1000-)
主 催 : せとうち交流プロジェクト  <問合せ>0869-26-5917 (乙倉)

(もし参加いただける方は駐車場との関係がありますので予め連絡を戴けると有難いです。)

2012年6月25日月曜日

インゲン

バタバタとした日々が続いている。
何かを考え慌ただしいのかと言えばそうではなく、目の前に現れる事を処理するだけで精一杯だ。
この状態は頭は要らないと言う事かも。
先日から続いている草刈、鼓空の畑を2反程刈った後今度は我が家の草刈、そして竹林の上をつたっている葛(かずら)と藤のつたを取る。
これは大変な作業だ。
数年前にあくせくした時、この葛(かずら)と藤を合わせて「葛藤」かと気付いた時はあ~そうかと実感した。
先人達もこれで苦労したんだなぁと妙に合点がいった。
我が畑も草が伸び過ぎていたので、適当に刈ってやる。
今年はきゅうり、トマト、なす、ピーマン、ししとう、インゲン、とうもろこし、じゃが芋、と比較的簡単な物ばかり、以前は。
有機農法の時はどれもそれなりにできて、内に来る人に分けていた程だったが、自然農法に切り替えてからは収穫は激減。
でも土が元の状態に戻るのにはかなり時間がかかると言う事なので決して諦めているわけではない。
そんな中今年はインゲンだけが豊作だ。
採っても採ってもまたできる。
自然農になって初めての豊作嬉しい。

2012年6月16日土曜日

草刈

梅雨に入り、今日も朝から雨が降っている。
午前中は太鼓の指導に行き昼からは昨日からしている鼓空の畑の草刈をと思ったが雨で気分が萎えてしまった。
私は気分が萎えれるがお百姓さんはそうはいかない。
雨合羽を来て田植えをしておられる。
雨が降ると野菜も大きくなるが、草の背丈もぐ~んと大きくなる。
昨日は山の中腹にある2枚の畑の1枚を刈った。
畑の草刈とはどう言う事かと思われる方もおられよう。
ごもっともだが私達の畑は普通の畑と違って草だらけなのだ。
自然農だからと言えば聞こえが良いが、実際は山の下の畑仕事が手一杯で上の畑までなかなか手が回らないのが本当の処だ。
草は特にセイタカアワダチソウが多い。
で頭の切れる私は今年は花が咲く前に刈ってしまおうと思ったのだ。
明日は晴れそうなので残りを刈ろう。
それが終わったら内の畑の草刈だ。

2012年6月9日土曜日

ツアーを終えて ③

私達は福島から仙台、松島、石巻、南三陸町、気仙沼、陸前高田に行った。
太平洋側はどこも津波で被災しているが、特に南三陸町、気仙沼、陸前高田は凄かった。
殆どの家が流され、見渡す限り更地になっていた。
瓦礫は取り除かれ何箇所かに山のように集められていた。
本当に町の歴史が断ち切られリセットされた感じ。
津波は痕跡からも10mを超えているのはよくわかる。
しかし流された場所にいてもそんな波が来たとは全く信じる事が出来ない。
想像を絶するとてつもない力だ。
多くの命が奪われ、家を無くしまだまだ復興には数年は要するとは思われるが、頑張っている方達にも会った。
陸前高田では1軒プレハブの本屋さんが有り入らせて貰った。
気仙沼ではプレハブの屋台村ができていた。
地元の人は少ないらしいが、復興支援に来た人達が利用するそうだ。
私達も中にあるカレー屋さんで食事をした。
福島でも頑張っている人達はいる。
私達もツアー初日思ったより早く郡山に入れたので、いわき市の映画にもなったフラガールを観に行った。
ここも大変な所だとは思うがフラガール達は渾身の笑顔で大勢のお客さん達を楽しませていた。
また私達もお世話になった、福島のオーガニックレストラン「銀河のほとり」では放射能検出器も備え、排毒作用のある竹炭穀物コーヒーやすぎな茶、玄米や黒米、ひじきを使った料理をお客さんに提供していた。

最後に私達beZen鼓空と津軽三味線の蝦名宇魔さん連津ちゃん親子との公演についてだが、場所は郡山市立図書館の視聴覚ホールと福島市の音楽堂ホール、そして先程の銀河のほとりの3箇所だった。
実は私はライブ直前まで曲目について迷っていた。
私達のライブの構成としてはいつもストイックな感じから始まり、徐々に乗る曲に、そして最後はみんなウキウキと唄いながら踊って貰えるような曲をメドレーにしてする。
しかし今この福島でこんな感じに持っていても良いのだろうか?という迷いだった。
だが意を決してやってみるとお客さん達は大変喜んでくれた。
「元気が出た。」とか「明日からまた頑張れる。」とかの感想を一杯戴いた。
私達も本当に来れて良かったと感じた。

明るいニュースを一つ。
今日「森の力で日本を・地球を元気に」というシンポジウムに行って来た。
生物学者であり世界中で植林活動を進められている宮脇昭さんと他の3名の同じく生物学者の方々の講演だった。
その中の一つの大きなテーマが宮脇さんが提唱する震災の瓦礫と土砂を使って大きな堤防を作り、そこにいろんな種類の木々を混在させて森を作ろうとする物だ。
凄く大きな企画でこれを遂行するとしたら瓦礫の量は全部合わせても5%を満たないそうだ。
細川元総理大臣が代表となって進めているプロジェクトで被災地の一部ですでに試作の段階に入ってるらしい。
英知と言うものはあるものだ。


2012年6月8日金曜日

ツアーを終えて ②

私達は今回北陸道を使ったのだが、途中福井県新潟県を通る。
道路標識に敦賀や柏崎が出て来る、そして高圧線が通っている。
そう高浜、美浜、大飯、刈羽等の原発の近くを走ったのだ。
改めて原発大国だと思う。
今回福島の後、仙台を抜け石巻に行ったので是非牝鹿半島にある女川原発を見て来ようと思った。
女川原発の門の所に車を止めると中から守衛さんが飛んで出てきて、ここからは入れないと言う。
私もそれはそうだなぁと思った。
もし私がテロリストだったら大変だもの。
守衛さんはPRセンターの方に行ってくれと言う。
PRセンターは女川原発の裏山の頂上にあり、原発の建屋も見える。
建物に入ると受付のお姉さんが丁寧に対応してくれる。
案内でまずは映画を観る。
内容は今回の大震災でも耐えた原発をPRするものだった。
PRセンターだから。
でも私には全くPRになっていなかった。
大震災、津波から耐えれるかどうかは全くの紙一重だった。
まずは外部電源5系統の内4系統が破損し、残る1系統で30時間持たせたという事。
女川原発の敷地の高さを14、8mと高くしていたというものの、地震で1m下がり、13.8mとなっていた。
そこに高さ13mの津波が襲ったのである。
残りたったの80cmであった。
でこれで問題無かったかと言えばそうではなく、津波が流入し2号機3号機の原子炉建屋の地下3階に大量の海水が入り、タービン建家は火災を起し消火に8時間かかっている。
映画の後は原子炉やタービンの実物の半分の動く模型があり、試してみた。
制御棒が上がったり降りたりする。
半分の大きさといえやはりでかい。
しかしよく見ていると、当たり前だが人間が作った機械なのだ。
金属も動かす内に摩耗するし、決して絶対など有り得ない。
本当にもう自信過剰は終わりにして、もっと謙虚になるべきだ。
使用済み燃料棒の処理の仕方もわからず、半減期が気が遠くなる程長い放射性物質の取り扱いに気軽に責任は取りますと誰が言えるのか。
もう学ばなければ。
突き詰めれば人は衣、食、住が足りれば生きていける。

2012年6月7日木曜日

ツアーを終えて ①

昨晩東北の被災地から帰って来た。
いろんな出来事があったがまずは現状からお知らせしたい。
と言ってもたった6日間の旅なので私が見た範囲、そして私が感じた事だけだ。
私達は北陸道の新潟から磐越道を使い福島に入ったのだが、まずは磐梯山、猪苗代湖の前を通る。
本当に大らかな自然を目の前にする。
私はツアーなどで何回も東北を訪れているが、今回もどこも昔から変らない豊かな景色があった。

福島県は郡山市、いわき市、福島市に行った。
市に滞在中も移動中どこにいても矛盾、腑に落ちない選択、人々の声に出せない声を聞いた。
腑に落ちない選択とは具体的には
まず行きたい所が安全かどうか考える。
また食堂に入ってメニューを決めるにしても食べたい物が食べれないのだ。
地元の米だったり、野菜だったり、山の物だったり、近海の魚だったりだ。
勿論これと相容れない意見が主流だ。
地元を兎に角活性化しようとする考え方だ。
しかし地元の方達の中にも県外産の野菜を探し求めている人達が一杯いる。
内部被爆を怖れているのだ。
またこんな話も聞いた。
子供達が修学旅行でお土産に県外の野菜を一杯買って帰るというのだ。
また郡山市に行った時私達をサポ-トしてくれた人からマスクをするよう薦められた。
郡山市も場所によってはホットスポットになっていて線量がかなり高いのだそうだ。
と言って周りの地元の人達を見ると殆どマスクはしていない。
小さい子供を連れた親子ずれもたくさん見たがマスクはしていない。
胸が痛む。
若い女の人が何人かしているのは見ただけだった。
私達も言われてマスクをするが、地元の人達に会った時、打ち合わせをする時には考えてしまう。
付けている者、付けていない者の関わりだ。
しかしでも付けていた方が付けてない人に注意して下さいとの呼びかけにもなると言う。
福島にいていろんな人達を見るにつけ、強く感じるのは未来が見えない閉塞感だ。
この場所から抜け出せればとも思う。
しかしこのおおらかな自然の中で育った人達がここから離れられないと言う感情もわかるような気がする。
目に見えない放射能 酷だ。

続く・・・