2011年8月31日水曜日

MOONROAD

MOONROAD月明かりの道とでも訳すのか、なんとなくロマンティックな名前である。
「USIMADO MOONROAD MUSIC FESTA 2011」が牛窓の前の前島で開かれる。
この3日(土)~4日(日)と2日間かけての祭りだ。
全国から素晴らしいミュージシャンが集まって来る。
もし時間がある人は泊まりがけで遊びに来て下さい。

場所は前島カリオンハウス
おおまかな予定は3日(土)の朝11時にオープン

鼓空はトップバッターで13時00分から30分の演奏。
続いてAjara、The Paaan、S-Qty、小池龍平、RojoRegaro、NAM YA BINGO、松本隆博、AFNICA、JUNN&小池龍平、天草、HIROSIMA CITY HEAD MUSIC、DJ ZEN ZIONTRAIN で深夜4時過ぎ

翌4日朝7時から木、一二三、のら犬、K-106、マーレーズ、LUVRAW&BTB、DACHAMBO、THE PEACHES&みんな で16時頃修了かな。

月明かりの下、波の音を聴きながらのイベントです。
詳しくはこのFESTAの名前で検索してみて下さい。
ではでは

2011年8月30日火曜日

蕎麦

私は蕎麦がこの上も無く好きである。
東京近郊に住んでいた頃は蕎麦屋さんが一杯あってよく入っていた。
然るに関西ではやはりうどん屋さんが主流で蕎麦屋さんは少ない。
またあってもかなり値段が高い。
そうした訳で常々鼓空畑で蕎麦を作り、美味い蕎麦屋を出し、一儲けしようという企みを持っていた。
まあ蕎麦屋は誰かにして貰い、私はカウンターに座り冷たいざる蕎麦を食べるだけだが。

先日津山の北の方で蕎麦作りを教えて戴ける集いがあって、鼓空の2Sさんと行ってきた。
先生の坂0さんの作業所で他の皆さんと合流し一杯お茶を飲んでから、4反程ある丘の上の畑に移動。
まずは種蒔きだ。
大きく畑を分割し、1人1人の種蒔きの持ち場を決める。
蒔き方は筋蒔きでも良いしバラ巻きでも良い。
私は最初でもあるし、筋蒔きをしようとまず鍬で畑に幅25cm間隔で筋を入れ、種と種の間隔を6cmぐらいで蒔いて行く。
とまあこう書いてもそんなにきちっと行く訳では無い。
だんだんフィーリングの世界に。
で調子に乗って種をごそっと袋からこぼしてしまう。
拾って袋の中に戻そうとするのだが、種だけ拾うのは難しい。
どうしても土が入ってしまう。
そうこうしてる内に鼓空の2Sさんは終わったと言って来る。
二人ともバラ蒔きだったらしい、性格が現れると言うものだ。

まあ私も偉そうな事は言える筈もなく手伝ってもらう。
天気の良い昼間だったので汗をかく。
1時間ちょっとで作業は終了。
坂0さんの作業所に帰り昼食を戴く。
料理はすべて雑穀米。
きび、大麦の飯にそれぞれカレー味や酢とてんさい糖で味付けしたものだ。
坂0さんはお弟子さんの花0さんとずっと大麦の研究をしていて、その効用の凄さを力説しておられた。
私も土産に少し買わせて貰ったが、それに輪をかけていろいろ戴いた。

帰りに無償で畑を提供して下さっている、なんと宮大工さんの工房にお邪魔をした。
工房の中にはいろんな機械が置かれていた。
私も少しの間木工をしていた経験があり、全て使った事のある物で懐かしかった。
ただそれらの機械は基本直線しか出来ない。
宮大工さんの世界もそこから始まるが、次元が違う。
釘を使わずほぞを咬ませ、幾種もの鉋やのみを使いわけて、曲線を作り上げるて行くのだ。
いろんな話を伺い楽しかったが、やはり後継者がいない事を嘆いておられた。
もしやってみたい方がおれば、持っている物全てを提供するとも仰っていた。
誰かいないかなぁ~。
仕事の斡旋料は取らないので私の処まで。

蕎麦の収穫までには何回か行かさせて戴くが、また熱い方々にお会いするのが楽しみだ。

2011年8月26日金曜日

古代吉備

今日は吉備津彦神社で悠0さんに会い、一緒に造山古墳に行った。
何故行ったかと言うと、11月11日にここで宇宙神楽なるものをするので下見をする為だ。
古墳の下で古代吉備を研究している0さんと合流した。

この古墳は前方後円墳で全国で4番目の大きさらしい。
あまりの大きさに吉備の首長であるとか、はたまた大和から来た権力者かとか学者の意見も分かれているそうだ。
ちなみにOさんは応神天皇の陵かも知れないと言っていたし、また悠0さんは卑弥呼の墓かもと言っていた。
いずれもロマンのある話だ。

私達はまずは方(四角)の部分に登った。
上には神社があった。
何故か阿蘇の石で作った石棺もあった。
次に前方なる場所から後円なる処に移動した。
円の方が高い位置にある。
登って見るとやはり上は広かった。
見晴らしの良い処で温羅が住んでいた鬼城や最上稲荷奥の院、他の古墳群が見える。
0さんが秀吉の高松城の水攻めの時各武将が陣取った山々を教えてくれる。

私は円の周りを歩いた。
しばらくして悠0さんの友達の絵描きさんが登って来た。
彼女は地元の方でやはり古代吉備についてもよく知っていて、温羅と吉備津彦の戦った場所やそれに纏わるゆかりの地名等を教えてくれた。
吉備の国は歴史から抹殺された部分が多く、今盛んに歴史の見直しをしているそうだ。

私も吉備の歴史に左程詳しくはなかったが、流石にこの巨大遺跡の上に立ち周りを見渡すとここでたくさんの事が起きてきたんだなぁとは容易に想像する事が出来る。
もう少し吉備の国の研究もしてみようかな。

2011年8月24日水曜日

サロン

サロンという言い方もなかなかレトロな感じだ。
ちなみに村人が集まる公民館のことはクラブと呼ぶ。
我が集落から車で10分ほど南に行けば、かの有名な竹下夢路の生家がある。
里の先祖達は時代を先取りしハイカラで、そしてそれが今に伝えられ、大正ロマン的な響きとして残っているのかも知れない。

まあそれはさて置き、サロンふれあいサロンの2回目をクラブで催した。
出し物はマジックショー、岡山市からマジシャンの石Oさんが来てくれた。
石Oさんはおそらく60歳代で、定年で好きな手品でボランティアをされている方だ。
自分ではほんの駆け出しであまり期待をしないようにと言われていた。
観客は20名程小さい子供達から百歳近いお婆ちゃんもいる。
手品はお馴染みのカードやひもを使ったもの、花の色を変えたり、新聞紙に水を注ぎ込むものだった。
しかし一番前列にいた子供達は目が点。
石0さんは燃えてきた。
途中種明かしも幾つかしてくれ、大人達もあっそうかと納得。
1時間のショーだったが楽しませて貰った。

マジックの後は皆で食事、そうめん、ゆで卵、いなり寿司、瓜と葡萄のデザートといった内容。
次は簡単にしよう簡単にしようと言いながらついつい凝ってしまうのがおばちゃん達だ。
おかげで楽しい催しになった。

次回は何にしようか、今検討中だ。

2011年8月21日日曜日

町内会

私は相変わらずばたばたした日々を送っている。
仕事のこと、母のこと、町内会のこと、そしてチャリティーの準備等である。

町内会のことだが、私は今年役員をしていて会計を任されている
なんで私が会計なのか私にも理解しかねる。
町内のお金を数えるより、我が財布を気にしなくてはいけない立場なのに。
まあそれでも町内会長を免れただけでも良しとしなくては。
前回の時は私よりも年配の方がおられたにも関わらず、町内会長に担ぎ上げられた。
私は人生の不条理を感じた。

私はまた福祉委員もしている。
任期は2年だ。
仕事としては老人特に1人暮らしの方や子供達が対象になる。
皆が孤立化しないようにする。
具体的には今年ふれあいサロンなるものを立ち上げた。
初回は皆で綾小路きみまろのDVDを観てその後トロピカルカレーライスを作って食べた。
なかなか好評だった。
2回目は今度の火曜日でマジシャンの方を呼んで観賞、その後トロピカルそうめんを食べることになっている。
皆でバスに乗って温泉旅行にも行く。
こうした行事を年6回する。

あの~私は言うまでもないが、和太鼓奏者である。
できるなら太鼓のことだけを考えていたい。
それなのに町内イベントの領収書とお金を見比べ、はたまた次のサロンについて頭を巡らす。
何とした事か?
しかし考えてみるに、おそらくどの和太鼓奏者もどこかの町民なんだろうから、接することは同じであろう。

こうしてどうどうと愚痴をブログに載せているのは私だけという事か.

2011年8月18日木曜日

阿波踊り

喪中ではあるが阿波踊りを観に行った。
阿波踊りは盆踊りでもあるのでたぶん母も許してくれるだろう。
私が大学の時に一緒にバンドをやっていたU君が鼓空のメンバー4人分の桟敷席を手配してくれていた。
朝仏壇に手を合わせてから4人でハイエースに乗り込み一路U君の住む鳴門市を目指した。
天気は晴れ渡っていたり、突如短時間ではあるが雨が降ったりと可笑しな感じ。
鳴門市に入ってから、私が昨年お遍路した時の一番札所霊山寺に寄った。
ここから始まるんだなぁ〜と感無量。
4人で参拝。
お寺の近くのうどん屋さんで昼食。
U君の家に2時頃着く。
U君と奥さんが出迎えてくれる。
広い敷地に部屋が幾つもある昔ながらの豪邸である。
ロックミュージシャンには一見そぐわない。
しかし流石1室には電子ドラム、ギター、アンプがセットされている。
早速2人で音を出す。
U君は何を弾くのかなぁと思ったら、DeepPurpleのHighwayStarいきなり早弾きの曲、嘘だろうと思う。
私達がいつもやっていた曲だった。
2曲目はCreamのSunshine of your love ハードロックの定番だ。
何十年ぶりの音合わせを楽しんだ。
夕方から5人で徳島市に向かう。
まずは通りすがら街の公園や商店街で地元の阿波踊りを観る。
みんな一生懸命、終わると周りの見物者の大拍手。
密着感が実に良い。
しばらく屋台で食べ物を摘んだり川の側でゆっくりしてから桟敷に行く。
6列ぐらいの階段状の桟敷が向かい合ってある。
その間を次々と各連が太鼓、三味線、笛の音に合わせて踊りながら来る。
これは圧巻だ。
太鼓は縦に担ぐ平太鼓、締め太鼓、そして桶。
リズムは各連によって皆違い、わざと早くなったり、遅くなったりする。
それは大きなチャンチキ(摺り鉦)の人が操っているみたいだ。
どの連もチャンチキの人が一番真剣な顔をしている。
チャンチキの速さが変ればすぐ太鼓、三味線、笛の速さが変り、踊りが変る。
実に見事だ。
踊りはやはり綺麗に揃った女踊り、腰を深く下げた男踊り、その対照が面白い。
特に有名連と称される処は呼吸もぴったしだ。
女の人も男の人も手の動きが綺麗だ。
大勢の踊り手、そして鳴り物、あれだけの人の呼吸が合うのはやはり、かなりの練習量そして、長い間の歴史に裏付けされているからであろう。

阿波の国挙げての阿波踊り本当に素晴らしかった。

2011年8月13日土曜日

ブログにも時々登場してた母が急逝しほぼ1週間が経った。
私は喪中真っ只中ではあるが、一昨日から昨日まで東京に行って来た。
娘の公演が新宿のスペース雑遊であったからだ。
私は前から娘も頑張っているので16公演の内どこかで観に行こうと決めていた。
今回母が亡くなり、娘は初日目前だったにも関わらず帰って来た。
娘は母が大好きだった。
通夜だけを一緒に過ごし、葬儀の朝早く東京に戻った。

今回は「automata」と言う演劇で1769年頃のヨーロッパの見世物小屋の話で、その中にチェスで人に勝つ自動人形と言うのがあり、これがお客を呼びアメリカにも渡ると言う話である。
娘は演劇集団「円」に属しているが、今回は円からは大先輩の方が1人、他は「俳優座」の方々ばかりであった。
話の内容には夢やユニークさもあるが、憂いもあった。
娘は腹話術をするピエロでシリアスな役柄だった。
周りの俳優人の演技は流石に凄く、どんどん惹き込まれて行く。
こんな人達に囲まれて演劇が出来る娘は幸せだと思った。

今回精神的にも肉体的にもきつかった娘だが楽日まで頑張って欲しい。

2011年8月11日木曜日

7日に母が亡くなった。
急な事だった、以前から持っていた持病が悪化した。
生前はよく口喧嘩もしたし、母の要求をすぐに聞いてやれない事も多かった。
もっと長生きをしてくれるのではと思っていただけに悔いが残る。
ただ寝顔は安らかだったので少しは痛みも和らぐ。
しばらくは母の事を想い過ごしていきたい。

2011年8月2日火曜日

みちのく音楽祭

いろいろバタバタしてる中ではあるが、2つの公演に行った。
1つは3年ぐらい前にお世話になった「くるみダンスファクトリー」さんの定期公演だ。
代表であったくるみさんは昨年残念ながら亡くなられて、今はお弟子さん達と娘さんが後を継いで頑張っておられる。
今回は60~70年代をテーマにした音楽、踊りのパーフォーマンスだった。
なかなか懐かしく楽しませて貰った。

もう1つは「みちのく音楽祭」というイベントだ。
青葉城恋歌で有名なさとう宗幸さんが仙台を中心に活動しているM’s Japan Orchestraを連れて来ての音楽祭だった。
さとう宗幸さんの声は相変わらず甘く優しさに満ちていた。
M’s Japanは和太鼓、津軽三味線、篠笛、キーボード、ベースで編成しているグループでなかなか聴き応えがあった。
特にキーボード、ピアノの榊原光祐さんはバークレー音楽院を出たジャズミュージシャンだが、曲にあった良い味を出していた。
ベースの黒瀬寛幸さんはチョッパーが上手く、和太鼓とのアンサンブルが面白かった。
メンバーは皆震災の直撃を受けたにも関わらず明るく東北を自分達から元気にして行こうという姿勢が感じられた。
これからもいろんな処で演奏をして行くと思うが頑張って欲しい。

私達も頑張ろう!