2011年1月31日月曜日

新天地

鼓空のSlowな二人のSさんは2年前より赤目塾に通っていた。
赤目塾は奈良県の赤目という処にあり、自然農の川口さんが全国から集まって来る若者達に講義と実践で教えている。

二人のSさんはやはり2年前より備前市の鶴海という処に田畑を借りて自然農をしている。
自然農は原則畑は耕さないし、肥料は与えないし、草も抜かない。
こんなんで作物が採れるのかと思われようが美味しい野菜が採れるのである。
ただ有機肥料や化学肥料を与えていた田畑は本来の自然の土に戻るまでは時間がかかり、それまでは収穫量も激減する。
Sさん達の田畑も今この状態で我慢の時である。
しかしながら採れた野菜は味がしっかりしていて美味い。

或る日私と二人のSさん達と鶴海の山の中腹を車で走っていた時偶然にも見晴らしの良い処に出た。
南前方には山並みも見えるし海も見える。
そこはかなり広い休耕田だった。
こんな処で畑ができ、人の集まる空間が出来ればいいなぁと皆の意見は一致した。
そこで早速地元の人達にお願いをし、借りれる運びとなった。

だが問題はある。
ここが何故休耕田になっていたかである。
そう山の中腹故、猪や鹿が出て作物を食い荒らし、農作が放棄された場所だったのだ。
確かに猪が荒らした場所や鹿の糞も一杯落ちている。
しかしながらそんな事はどうでも良いのである。
景色が良ければ。
一昨日ここの土地の高くなっているセイタカアワダチソウを刈り、畝立てをし畑を作った。
赤目塾に通っている鈴鹿のTさんも応援に来てくれた。

一応畑は出来たので、さて何を植えるかだが、猪や鹿の興味をそそらない物が良い。
今の処綿やハーブがいいだろうと言う事になった。
果たしてどうなるのか楽しみだ。

2011年1月28日金曜日

病院好き

私の母は病院好きである。
まあ年のせいもあるが、頭から足先まで少しでも具合が悪いと進んで病院に行く。

病院に行って先生に「ここが痛い。」と言って、先生に「それは大変じゃなぁー、でも大した事はないから」と言って貰えれば満足して帰って来る。
母親にとって良い先生というのは母親の話をよく聞いてくれる先生だ。
治るとか治らないとかとは別の話である。
そんな母を病院に送り迎えをしている私は母に言う。
「良い先生は多くの患者さんを治す事に忙しくて、あんたの話相手などしている暇は無いわ~」と
すると母は怒り「あんたも私の年になったら解るわ~~」 と
これがいつも車の中でされる親子の会話である。

なんと次元の低い話であろう。

2011年1月26日水曜日

吉備津彦神社

昨日は備前一宮にある吉備津彦神社に行った。
吉備津彦神社は由緒ある大きな神社で桃太郎伝説の元になっている事でも知られている。
ここで美咲さんと臼井則孔さんの初詣コンサートがあった。
お二人は初春西日本の一宮を巡りながらコンサートを開いている。

美咲さんとは最初大阪で開かれる風人の祭で会った。
その後私達の主催するコンサートや玉井宮東照宮の龍神祭に来て貰ったりしていた。
昨年は岡山の美咲町で美咲さんのコンサートがあり、私も飛び入り出演した。
今回は手回しオルゴールシンガーの臼井さんと一緒と言う事もあり、楽しみに出かけた。

神社の会場に着くと、久しぶりに宮司さんと会う事が出来た。
実は数年前ここの広い神社の境内でダライ・ラマの推奨する「世界聖なる音楽祭」のプレイベントがあり、私達も出演していたのだ。
宮司さんも再会を喜んでくれ、お守りのステッカーを戴いた。

コンサートは美咲さんと臼井さんが替わりがわり唄った。
美咲さんはギターを持って唄うのだが、いつもながらその唄声は天使のように高音が透き通っていて伸びる。
臼井さんは自分でオルゴールを回しながら、それに合わせて唄うのだが、その声は優しくオルゴールの音と共に癒される感じだ。
1時間30分くらいのコンサートだったが充分堪能する事が出来た。

終わってからお二人とマネージャーの0原さんと少しだけ話をした。
私は夜稽古が入っていたので、旅の無事と再会を祈りつつ失礼した。

2011年1月24日月曜日

総社で総会

昨日は岡山県和太鼓連盟の総会があった。
鼓空も連盟に属していて、私も不肖なれど理事をしている。
総会では去年の報告そして今年の予定、そしてそれに伴う収支の説明、承認等が行われる。

その後は和太鼓のワークショップがあった。
今回講師はGONNAから二人来られた。
そしてその一人小林さんの作曲した曲を教えて貰い皆で演奏するというものだった。
曲名は「疾走」乗りの良い楽しい曲だ。
パートは大太鼓、平太鼓、据え置き太鼓、桶胴太鼓、締め太鼓と5つ。
今回私も締め太鼓で参加した。

3時間半の練習だった。
最初は皆走り過ぎの感があったが、徐々に落ち着いて来る。
乗りも出だし、各自動きも出て来る。
私も譜面を見ながら頑張って叩いた。
他の人の曲を叩くのは新しい発見があって実に面白い。

県内のいろんなグループからの参加者80名程の合同演奏。
共に汗をかき、皆で曲を仕上げて行くのは楽しい。

今日はこれから加茂に作州矢筈太鼓の練習に行く。
先週大雪の為に今日に延期してもらったのだ。
今年3月には彼等も大きなコンサートに出演する。
頑張って指導して来ようと思う。

2011年1月21日金曜日

かきおこ

かきおことは か行変格活用のことではない。
岡山県民にはだいぶ知れ渡ってきていると思われるが、牡蠣のお好み焼きの事である。

一昨日朝婦人部隊の練習の後、皆で日生に食べに行った。
日生にも前からお好み焼き屋は数軒はあった。
しかし「かきおこ」なる物は無かった。
できたのはここ数年の話だ。
今回日生に行ってみると、町中到る処に「かきおこ」ののぼりが上がり、それはもうこれぞ町お越しって感じだった。

今回は発祥の店とも言われる「たまちゃん」という店に行った。
私は以前にも来たことがある。
その時は一つの鉄板に地元のおじさんがいて、私もその鉄板に入り、店主とおじさんと世間話をしながらのんびりお好み焼きを食べたものだ。
然るに今回は「かきおこ」のヒットで駐車場も3倍ぐらいに広げていたのに、満杯だった。
ナンバープレートも姫路や大阪からのもある。
店頭には行列ができている。
幸いここは鉄板も7枚程あり、客の回転は速かった。
しかしそれでも私達は30分以上は待った。

さて私達5人狙いはやはりかきおこ、1人を除いては。
その1人は過去3回牡蠣に当たり、怖くて食べられず穴子入りお好み焼きを頼んだ。
穴子入りも珍しいとは思うが、ここらは穴子がよく獲れる処なので。
ひょっとしたら柳の下に穴子が2匹かも。

普通の「かきおこ」は牡蠣が6個入っていて900円。
私は初めてでもあるし、牡蠣を堪能しようと大にした。
大は1300円牡蠣も一杯入っていたと思うが食べるのに一生懸命で牡蠣の数は数えてない。
で問題は味であるが、これが実に美味い。
焼かれたお好み焼きの上に半分は岩塩、残り半分にはソースがかかっている。
それに好みで鰹節、青海苔、紅生姜をかける。
私は牡蠣だからちょっとベチャベチャ感があるのかなと思っていたが、さにあらず。
牡蠣も焼かれいるが尚且つプリンプリンとしている。
お好み焼きとの相性も今まで食べた事の無い感じだがよく合う。

本当に日生よくやった!って感じだ。
津山のホルモンうどん、蒜山焼きそばとヒットが続いている。
食べるもので賑わって行くのもなんかホカホカと嬉しい。

2011年1月19日水曜日

ロックの殿堂

先日深夜に酒を飲みながらボゥーとテレビを観ていたら、やたら懐かしいロックシーンの映像が流れて来る。
ギターリストで言えばエリック・クラプトン、ジェフ・ペック、ジミー・ページなど。
60年代後半から70年代のロックの黄金期に活躍したミュージシャン、バンドが一杯出る。
それも彼等がある程度年を取り、いぶし銀の味を出している。
何だろうと観ていると、ROCK AND ROLL HALL OF FAME と言うROCKで殿堂入りした人達によるコンサートだった。
そしてそれを収めたDVDの宣伝だったのである。
昔よく聴いたバンドの演奏が延々続く。

私は以前にもこれに似た事があったなぁと振り返る。
前はクラッシック音楽のソロのピアノ演奏がずっと流れていた。
私は深夜一人酒を飲んでピアノ曲を聞いていると、そのメロディーの素晴らしさにはまってしまい、コマーシャルが終わる頃には0120-000-000と電話をしていた。
4枚組のCDだったが、届いた時一度聴いたきりだ。

今回も同じシチュエーションだったので私は多少ながらも慎重になっていた。
しかし余りに懐かしい音楽の繰り返しにコマーシャルが終わる頃にはまたまた電話機を取っていたのである。
本当に深夜のコマーシャルは私狙いではないかと思う。
昨日DVDが届いた。
代引きで1万6千円ちょっと払った。
まだ観てはいないが、少なくとも二度は観ようと思う。
また後日内容を報告をしたい。

2011年1月16日日曜日

前のブログに私の北限は摂氏0度と書いたが、昨日の予報では今日は雪が降りマイナス7度まで下がると言っていた。
私にはとても信じ難い話だった。
しかしながら今朝起きて一番に窓越しに外を見ると幸いにも雪は降っていなかった。
温度もかなりの覚悟をしていた故さほどにも感じなかった。

今朝は自閉症の子供達の教室があった。
皆来れるかどうか心配したが全員元気に来ることが出来た。

明日は県北の加茂にも行く事になっている。
たぶん大丈夫だとは思うが、あまりに雪が多く大変そうなら日にちを変更して貰おうかな。

2011年1月12日水曜日

長船

寒い日が続いている。
私は以前は冬が嫌いで、よく夏より冬の方が好きと言う人がいたら、なんて感覚をしてるんだろうと、その人の感覚を疑ったものだ。

米国からこの岡山に帰った時もどこに住もうかと車であちこち探し周った。
いくつか条件もあったが、その内の一つが田舎で音の出せる処であった。
県北に行けば自然が残っていて、条件を満たす処は一杯ある。
しかしながらそうはしなかった。
もう一つの条件があったからだ。
私には住む北限と言うものがあったのだ。
私は摂氏0度以下になると凍りつき動けなくなるとと固く信じていた。

今瀬戸内市の長船という処に住んでいるが、県南であり田舎だ。
ここは驚く程、発展して来なかった。
その理由はおそらく交通の不便さだ。
長船にも東西南北道は走っているが、東に行くと片上湾に突き当たり、それ以上行けない。
国道2号線は長船から山を越えた北側を走っている。
長船は結果取り残された。

私はこの取り残された長船が大好きである。
このまま取り残され続けて欲しい。

2011年1月9日日曜日

京橋花月

昨日は大阪の京橋花月に行った。
京橋花月は2008年と最近できた吉本の演芸場である。
何故行ったかであるが、なんと餅つき太鼓を叩く為だった。

朝5時30分頃メンバーと合流し一路大阪へ。
9時過ぎにあちらのスタッフと会い早速準備に。
紅白の垂れ幕を張り、赤い毛氈を敷く。
真ん中に石うすをセットし舞台上手に太鼓を大小2つ置いた。

11時過ぎから米の蒸し班は準備に入り、餅のつき手と私は袴に着替える。
12時前より吉本の司会者の案内お客さんが一杯集まって来る。
司会者の振りで私は太鼓ソロを始める。
4分ぐらい叩いた処で蒸された餅が石うすの中に入れられこねる。

準備万端、内のメンバーが軽くついた処で吉本新喜劇の若手の皆さんがなだれ込んで来た。
生憎私はたいぞうさんの名前しか知らなかったが、皆さんいつもテレビで観るお馴染みの方々ばかりだった。
お客さん達も大喜びだ。
早速新喜劇の人達による餅つき、大きな掛け声と共に杵が振り下ろれる。
私もそれに合わせてドンドコドンドコ。
途中から子供達も参加。
あっと言う間に餅がつき上がった。

この後芸人さん達は大勢のお客さんに餅を手渡し、すぐに新喜劇の本番に行った。
ほんの30分くらいの事だったが、お客さん達を一挙に盛り上げるパワーは流石吉本だ。
私も新喜劇は好きだったが、より身近に感じられるようになった。

2011年1月7日金曜日

胃は一つ

この処胃腸の調子が今一つだった。
去年の暮れから、暴飲暴食が祟ったみたいだ。
寒いとすぐ暖かい物を食べてしまうし、休日とあらばついついテレビを観ながら酒を飲んでしまう。
これが続くと流石に胃腸も参ってしまう。

牛猫モーの事ばかり言えない状況だ。
でも食ったら寝、食ったら寝のモーは何ともなさそうなのは何故だろう?
牛猫だから胃が4っつあるのか。
まあモーの事は兎も角、少しは体の調整をしようとヨカに行った。
ここらが私の偉い処だ。
今年の初レッスン、腹周りもしっかり動かし深呼吸も一杯した。
多少は楽になった気がする。
胃腸も物理的に治すのも有りかなと思った。
帰りは久しぶりに私の吉井川河川敷公園に行って、サッカーゴルフをした。
春先に一人フェイント直角蹴りに凝り過ぎ、膝を痛めてしまったのでずっと行けなかった。
もう完治したし、この冬はまた通おうと思う。

今日は鼓空の初稽古だ。
まずは基本からゆっくりと・・・かな。

2011年1月5日水曜日

今日は・・・

年が明けてもう5日経ちました。
早いものです。
私は一昨日、昨日とは年賀状を読んだり、テレビを観ながら酒を飲んだりとダラダラ過ごす事が出来ました。
明日からは通常の生活に戻ろうと思っているのですが、今日1日はどう過ごすべきか今考えています。
もう1日ダラダラ過ごすか、はたまた徐々に明日からに備えるか?
決めてから書けって話ですが。

でもこうして書いていると少しはアクティブな感じになって来ました。
ちょっと外に出てみようかな。
出るのなら初詣にでも行こうかな。
にでもと言うのは失礼か。

決めました。
吉井川を下降して西大寺は観音院さんにお参りに行って来ます。
正月の市も出ているから、ぶらぶら遊んで来よう。

ではでは・・・・

2011年1月2日日曜日

謹賀新年

皆様 明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

今年は如何なる年になるのでしょう?
昨今人と人の触れ合いが少なくなる余り、辛い事件も多く耳にするようになりました。
そんな中私に出来る事は僅かですが、少しでも世の中が温かくなる為にも頑張って太鼓を叩いて行こうと思います。
もし同じ方向を考えておられる方がおられれば御一緒しましょう。

私は昨日元旦には姫路市のイオンに行って獅子舞太鼓を叩いて来ました。
大勢の人達の中2頭の獅子を操って行くのは大変楽しいですし、福を願って頭を噛まれ泣き出す子供達、子供を差し出す親達を見ているとついつい笑いが出ます。
昔ながらの風情でしょうが、ずっと続いて行って欲しいと思います。
今日は倉敷の大手家電量販店に行って餅つき太鼓を叩いて来ました。
太鼓ソロの後餅つきが始まるんですが、最初こちらのスタッフがつき、その後子供達にも小さな杵を持たせ叩かせました。
子供達も慣れぬ事とはいえ、頑張って杵を持ち上げていました。

餅がつき上がってからはスタッフは餅をちぎっては丸め、黄な粉を付けてはビニールの小袋に入れ、並んでいるお客さん達に渡す作業をせっせと続けていました。
私はその間適当に太鼓を叩いていようと思っていたのですが、あまりの長蛇の列にひっちゃ気のスタッフの様子を見て、太鼓を叩くのを止め、丸まった餅に黄な粉を付ける役を買って出ました。
お陰でと言うのも何ですが、流れ作業は上手く運びました。
私もこれからは餅作りも出来る和太鼓奏者で売って行こうと思います。

さっき帰って来て、今酒を飲みながら書いています。
酔いが回りそうなのでこの辺で止めます。
皆さん酔いお年を !!