2010年8月30日月曜日

アイヌの人達

昨日は神戸の三宮にあるライブハウス鉋に行った。
アイヌ・アート・プロジェクトのライブがあり、それに友情出演する為だ。
彼等とは一昨年の大阪での「風人の祭り」でもご一緒していた。
久しぶりの再会の握手から始まった。

ライブハウス内の壁やテーブルにはアイヌの彫り物や刺繍や織布が陳列されていた。
ライブは2時から8時までと長く、2部構成で、両方とも鼓空がトップバッターであった。
私達は一部は和太鼓中心の曲、2部はダラブッカ、カホン、バスタムで演奏したり、アフリカンのメドレー、唄の入った曲等をした。
私達の次は「みなみな」というグループで、みなみなと言う言葉はアイヌ語でニコニコという意味だそうだ。
アイヌの昔から伝わる唄や口琴の演奏、弓を持った踊りを見せてくれる。
どれも対自然を感じさせてくれる。
最後にアイヌ語の話を日本語に訳しながら教えてくれた。
それにしても日本にはたくさんの方言があると思うが、アイヌ語だけは全く違う言語だ。
名詞もぜんぜん重なっていない。
同じ日本の中で不思議と言えば不思議だ。

今までの歴史からすれば、かなりの迫害、弾圧を受けて来たのだろう。
文化自体が抹殺され続けて来た。
今回のイベントも豊かで美しいアイヌの文化を多くの人に知って貰い、また次世代にも繋げようという意味がある。

みなみなの後はギターの弾き語り、ディジュリドゥーの演奏、アイヌの伝統楽器5弦琴のトンコリの演奏があった。
そしてアイヌ・アート・プロジェクトの演奏。
ヴォーカル、フレームドラムのような太鼓、ギター2本、カホン、キーボード、ディジュリドゥーの編成だ。
アイヌ語の唄の中に鳥の鳴き声や掛け声が一杯入る。
迫力の中にも大らかさを感じる。
こうした文化が本当に次世代にも繋がって行けばいいなぁと思う。

8時前に無事2部が終わり、またの再会を期して皆さんと握手を交わし帰途に着いた。
たくさんのアイヌの方々に囲まれての1日だった。

2010年8月27日金曜日

倉敷

昨日はまたダンサーとの合同練習があった。
今回、国民文化祭の洋舞フェスティバルでは倉敷の大原美術館がテーマになっている。
私達が演奏するのは3場面だ。

棟方志功の神々の世界「門舞神」は男性2人女性2人が踊る。
大原孫三郎が奨学生を海外に派遣する場面は20人くらい。
そして大原孫三郎と児島虎次郎の2人の場面がある。

私達も昨日の練習の感じから8割ぐらいは理解したような気がする。
しかしこれからが勝負。
ダンサーの呼吸タイミングをもっと掴む必要がある。
生のライブだからこそ出来る緊張感を大事にしたい。

今日は本番のある倉敷市民会館でのリハーサルがある。
楽しく頑張りたい。

2010年8月25日水曜日

クラクラ

頭がクラクラするぞよ。

朝元気な婦人部隊の練習。
昼2時から体育館で中学生の指導。
なんでこんな時間にとも思うが、他に時間が取れなかったのだから仕方が無い。
私は活を入れる立場、生徒以上に気合を入れる。
まあきつくとも始まれば終わるもの。
なんとか2時間を終え今帰って来た。

これから冷たいビールで頭と体を冷やし、しばし休憩。
夜の鼓空の練習に備えたい。

全部終わったらウイスキーのロックを浴びよう。

2010年8月23日月曜日

夏稽古

私の教えてるどこのチームも普段と同じように練習が続いてる。

子供達も夏休みのなのによく来るなぁと思う。
暑い中来たら来たで文句ばかり言われるのだから、泣きっ面に蜂って処か。
私も暑いから子供達に「同じ事を何度も言わせるな!」と怒鳴る。
この甲斐あってかどうか、今日の子供達は練習に気合が入っていた。
折角暑いのに練習しに来てるのだから、いつか子供達にはそれに伴う成果、喜びを感じる経験をして貰いたい。

昨年夏に岡山のある中学校の生徒を教えた。
秋の文化祭に和太鼓の演奏をしたいと言うので、それに応えた。
今年は比較的近い上道中学校の生徒が同じく文化祭でと言うので今教えている。
だいたい10時間で短い曲を1曲仕上げると言う感じだ。

文化祭だけの為だけの練習だから、終わればそれっきりとなる。
何か手ごたえがあるようで無い感じだが、おそらくやった生徒は一生記憶に残るんだろう。
生徒の体に少しでもリズムが入るんなら、すぐに手ごたえを感じられなくとも、やがて彼等の中で何らかの働きをするのかも知れない。

それを信じてしっかりしごいてやろうと思う。

2010年8月21日土曜日

夕涼み会

8月も後半に入っているのに、まだ暑い日が続いている。
まああまり暑い暑いと言ってたら、インド人もアラビア人も腹を抱えて笑うかも知れないが。
されど暑い。
私はきつくとも夏が好きだ。
体内のポテンシャルが高まるのだろうか。
以前冷夏から秋が来た事があったが、これは何かやるせない感じだった。

今日は朝富山天龍太鼓に行き、夕方から御休の夏祭り(夕涼み会)に行った。
御休小の子供達も太鼓を叩いた。
この地区の祭りだから、御休小出身の中学生達も来てた。
皆大きくなっていて驚く。
大きくなっていないのは私だけか。

PTAの皆さんがアイスクリームやフランクフルト、飲み物を用意している。
太鼓の世話をして戴いている高0さんが、天体望遠鏡を持って来てくれた。
私も北斗七星の中で一見一つの星のようだが、実は二重星である星を見せて貰った。
肉眼ではわからないが、望遠鏡を覗くとはっきり二つの星がわかる。
また月も見せて貰った。
クレーターがくっきり見える。
恐るべき天体望遠鏡だった。

祭りの最後はうらじゃを皆で踊っていた。
私は何故か祭りでは踊る気がしない。
じっと腕を組んで見ていた。

夏祭りももうどこの地区も終わりだろう。
涼しくなったら秋祭りか。

収穫の秋、味覚の秋もすぐ側まで来ているのかも。

2010年8月18日水曜日

アート ガーデン

今朝は岡山駅西口から少しの処にあるアート ガーデンというギャラリーに行った。

龍神祭でいつもお世話になっている書道家の曽我英丘先生の個展がここで開かれ、今日がそのオープニングであった。
今回はオーストリアのウィーンを拠点に活躍している梶浦徳雄氏との2人展だった。
オープニングの前に曽我先生から梶浦氏を紹介して戴く。
私は名刺を差し出し挨拶をする。
お顔を拝見すると何故が馴染みのある顔、先方もすぐに気付く。
なんと中学校の同級生だった。

彼は岡山から東京芸大の大学院油科を卒業した後、国立ウィーン美術大学彫刻科で学び、そのままウイーンに住み、創作活動を続けているらしい。
久しぶりに頑張っている友の姿を見て、私も嬉しくなる。

彼の作品は壁に黒に塗られた角材を組み合わせて、拡がりのある空間を表した物や、木っ端にいろいろ彫刻した物を並べたり、また多重空間を部屋を位相する事で表現した絵であったりと視点がユニークで面白かった。

曽我先生は書道会の重鎮である。
先生の話を聞いていると、なんとも言えず大らかな気持ちになる。
作品もそうで今回は漢詩を書いた物や「天地の利」 「是空の世界」 そして「神龍」といった大作も出展されていた。
「是空の世界」は上に横一らしき物 下に水の字らしき物が書かれているが、字では無い。
水らしき物も左から書かれている。
先生に聞くとやはり字では無く、感覚で書いたと仰っていた。

今回私がお邪魔した理由は、先生の作品「神龍」が玉井宮東照宮の龍神祭に合わせて奉納される事になっていて、龍が動き出す前に宮司さんにお払いをして戴き、龍によって人々の心が清められるよう祈る神事する事になったのである。

で私はであるが、宮司さんから大払いの祝詞を挙げる時に太鼓を叩いて下さいと言われたのである。
私は「神龍」を見ながら、宮司さんの祝詞を聞きながら即興で太鼓を叩いた。

神事が終わった後はよりすっきりした気分になった。
お客さんの中に以前岡山に住んでいた時のご近所の方が2人おられた。

今回曽我先生のお陰で、懐かしい方々にも会え嬉しかった。

2010年8月16日月曜日

女木島

瀬戸内国際芸術祭が開かれている。
直島 小豆島 豊島 犬島 男木島 女木島等でいろいろな芸術の試みがされている。
私も折角の催しなので出来るだけ見てみたいと思う。

昨日は特に予定も入ってなかったので、急遽行く事にした。
家を出たのが10時で遅かったし、盆で人も多いだろうから、比較的小さそうな女木島、男木島に行く事にした。
まずは宇高国道フェリーで高松にそして乗り換え女木島に行った。
久々の船旅だ。
女木島の港からはまずはバスで山の上にある大洞窟へ。
女木島は昔鬼が住んでいたらしく鬼が島とも呼ばれている。
大洞窟は鬼の住処だ。
涼しいのが嬉しい。
中の部屋には大きな鬼が金棒を持っている像が幾つもある。
あまり大きいのであれでは小さい入り口、出口からは出られないだろう。
何とした事か?

大洞窟を出てからは展望台に。
流石に景色は良い。
瀬戸内海に浮かぶ島々、四国が一望出来る。

バスで山を降りてから、福武ハウス2010に行って、いろんな人の作品を見る。
皆凝っている。
私としてはもっとストレートな方がいいかなと思った。

ハウスを出てからは側の海水浴場へ。
氷イチゴを食べたり、海水浴している人達を見たり、神社でのんびりした。

この後男木島に行く事も出来たが、二島追う者は一島も得ずと言う昔からの諺もあるので、またの機会にする事にした。

暑い一日であった。

2010年8月14日土曜日

バレエ

秋の国民文化祭が徐々に近づいて来た。
私達は総社市で開かれる「和太鼓の競演」と倉敷市で開かれる「洋舞フェスティバル」に出演する。
今はどちらの準備にも追われている。
和太鼓は岡山がホスト役という事もあり、和太鼓連盟としての仕事がある。

バレエはバック演奏の事だけを考えれば良いのだが、今の処3曲。
内容は
① 棟方志功の「神々の世界」を和太鼓で演奏する。
② 大原孫三郎の援助で多くの奨学生が海外に旅立つ場面、これをダラブッカ、バスタム、カホン、シンバルで演奏する。
③ 児島虎二郎と大原孫三郎の関係を私の和太鼓ソロで演奏する。

こんな感じである。
大役と言えば大役でよく私達に3曲も依頼して戴けたものだと思う。

まあ3曲とも一応の段取りは付いた。
後はより完成度を上げる事だと思う。

皆さんの期待に沿えるよう頑張りたい。

2010年8月13日金曜日

原生林

岡山県の東北部に位置する西粟倉、東粟倉に行った。
一番の目的は氷ノ山後山那岐山国定公園にある若杉原生林だった。
少し前に熊森協会の人達の案内で歩くという催しがあったが、私は所用の為参加出来なかった。
実際に行ってみると樹齢200年のぶな、かえで、みずならの木々が生え、そして吉井川の源流があり、気持ちの休まる処だ。
熊に注意の看板も立っていたが、もしここで会ってもお互いリラックスして会えそうという感じ。
昔はここらの山師の人達は山に入る度にいつも何匹かの熊に会っていたそうだ。
しかし今では岡山県で4頭しか確認されていない。
そしてその4頭の形跡も最近は見られないと言う。
熊が住む事のできる広葉樹林は水を豊富に蓄える事ができ、人にとっても非常に大切だ。
守って行かねば・・・

しばらく森林浴を楽しんだ後、東粟倉に行った。
ここの村には山際に愛の村パークという道の駅を大きくしたような処があり、以前鼓空も夏のイベントに参加させて貰った事がある。
久しぶりに中に入り、販売されている果物や野菜、加工品を見たりソフトクリームを食べてから、もう少し山を登り、野間さんという方の工房に行った。
彼はここで手作りの家具を作っている。
栗や山桜、樫、けやきで作られた手彫りの食器、机、椅子どれを見ても温かみがあって良い。

私はひと月程前からダラブッカを演奏する為の椅子を探していた。
これを見つけるのは簡単そうで実に難しい。
持ち運びの良い折りたたみ椅子で探してたのだが、座る処までの高さが38cmぐらいが理想なのだが、通常売られている物は46cmぐらい、今まで見た中で一番低いのは41cmだった。
椅子が高いと演奏中にダラブッカが前に転がるのだ。

早速野間さんの作られたスツールを拝見、座り心地はどれも抜群だ。
座り易いように尻の形に合わせて掘り込んである。
足の4本は猫足のようになっていて可愛い。
高さは39cm~41cmぐらい。
塗りも素材そのままを出した物、漆塗りの物、アクリル系の物とある。

野間さんは寸法希望を出してくれたら、作りますよと言ってくれた。
気になるのはお値段。
3万円から~だ。

出費のかさむ昨今熟慮が必要だ。
とりあえず、写真の入った印刷物だけを貰って失礼した。
いやはや、良い物は良いって感じか。

2010年8月9日月曜日

B.B.Q

昨日は我が部落の夏祭りがあった。
まだ昼間は暑いが陽の沈む頃になると外では過ごし易い。
いつもながら大人達は公民館の前でB.B.Qを焼き、子供達はまんどの花火を打ち上げる。
私も飲み食べながら部落の人達と話しをし、のんびりした時を過ごした。

明日も夕方からB.B.Qがある。
場所は玉井宮東照宮さんで、毎年行われる「龍神祭」のスタッフの懇親会である。
ここもいろんな興味深き人達が集まるので面白い。
去年は「龍神祭」のプレイベントもしたのでなかなか大変だったが、今年は玉井宮東照宮さんだけに焦点を合わせればいいので気は楽だ。
ゆっくり夕餉を楽しめそう。

こうして夏の風物詩のB.B.Qが続くが、B.B.Qと言ったら思い出す事がある。
私がオークランドと言う黒人の人達が多いエリアに住んでいた時の事だ。
治安も決して良い場所では無かった。
しかしながら家賃も安かったし、管理人の人が親切で良い方だったのでここに決めた。

住み始めて、黒人社会は外部の人達には閉鎖的だという事がわかった。
朝近所の人に「Good morning]と声をかけても、全く無視である。
これがずっと続いた。
しかし内のアパートの隣がFrint‘sというB.B.Q屋さんであった。
ここのB.B.Qは味も良く、ベイエリアでは結構有名だった。
私もここでB.B.Qを買っている内にここの主人のMr.Greenと仲良くなった。
Mr.Greenは年配の方だったが、このエリアでは信望の厚い人だった。
この頃から周りの人達の態度が変わって来た。
道で会っても
「Hey.brother How are you doing?」
と声をかけてくれるようになったのである。
やっと受け入れて貰った感じがして嬉しかった。

ある時こんな事があった。
私は20年以上前のぼろぼろのフォルクスワーゲンに乗っていた。
この車、ある日アパートの前の通りで動かなくなった。
そうすると、どこともなく黒人の人達が3~4人出て来て、近くの修理屋さんまで押してくれたのである。
有り難かった。

懐かしい思い出だ。

2010年8月7日土曜日

叱る

今朝は富山天0太鼓に行った。
私は月に2回指導に行っているのだが、練習は毎週している。
私がいない時は、大人が子供達に教えている。

今日は私がいない時にどのように教えたらいいのかと言う質問を頂いた。
なかなか子供が言う事を聞いてくれないと言うのだ。
富山は公民館活動の一環なので楽しくと言う事が基本で怒るには限度があると言う。

確かに私もいろんな処で子供を教えているが最近は難しい面がある。
まず子供は皆思い思いの事をし始めて、大人の話をきちんと聞こうとしない。

私は子供が言う事を聞かないのは親にも大きな責任があると思っている。
小学校に上がる前に躾けが全く出来て無いのだ。
甘やかし過ぎている。
親自身が自信が無く、どう躾けていいかわかってない感じがする。
それなのに内では子供をのびのび育てています的顔をするのだ。
後で苦労するのは子供自身なのに。
困ったものだ。

私には叱る基準が一つだけある。
子供は自由に何をしてもいいが、ただ人に迷惑だけはかけるなという事である。
そこしか叱る基準は無い。
何かを伝えようとしている時、無駄口を叩いたり、暴れたりしたら叱る。
他の人が聞けなくなるからだ。

子供達には自分の行動が人に迷惑がかかっているかどうかだけ瞬時にわかるだけの感性を持って貰いたい。

2010年8月5日木曜日

熱帯夜

暑い日が続いている。
私達の道場にはクーラーがあって午後2時からの練習もいつも通りする事が出来る。

しかし自宅にはクーラーが無い。
一つには前に大きな池がある事、また少し高台にあって東の窓と西の窓を開けると多少ながら風が抜けるという事があり、クーラー無しでもぎりぎり何とかやっていける。

しかし今年は例年より暑い。
私は朝は西の部屋で朝日をかわし、午後からは東の部屋で西日をかわしている。
また夜いつも寝室の窓をどうするか考える。
2方向に窓があり、2つとも開けるかそれとも片方だけにするか。
また全開にするか否か。
風のある日は片方だけにするという様に。

よく薄着をしていると寝冷えをすると言うが、今ぐらいの熱帯夜なら全く問題は無い。
おそらく素っ裸でも大丈夫だろう。
しかしもし万が一風邪をひくと仕事にも差し支えるので、一応窓の事を考え、上半身は何か身に付けるようにしている。

こんな熱帯夜の日が続いているが、たまにふと涼しい風が入って来る事がある。
これって秋の前触れかなぁと感じる。

私は暑くても夏が好きだから、もう少し汗かきかきでも夏を楽しみたい。

2010年8月3日火曜日

讃岐

宿泊設備の無い温泉を出て、夜を明かす場所を探していたが、結局松山道の入野PAにした。
ビールと日本酒を車の中で飲んでいると、再び睡魔で撃沈。

朝5時過ぎに起き、次の三角寺に向かう。
三角寺は平地にあるのかと思っていたが、標高430mの処にあった。
本尊十一面観世音菩薩。

参拝を済ませてから、いよいよ四国霊場でもっとも高い(標高911m)雲辺寺に向かう。
ロープウェイもあるが私は車で登った。
参道やはり紫陽花が迎えてくれる。
お寺は山の頂きにあるが広い。
本尊は千手観世音菩薩。

朝のお寺は気持ち良い。
参拝後に五百羅漢を見たり、境内の中を散策する。
帰り道森の中ダラブッカで遊ぶ。
叩いた音が木々に木霊し返って来る。
かっこうが啼き始めた。

山を降りて大興寺、神恵院、観音寺、本山寺、弥谷寺、曼荼羅寺、出釈迦寺、甲山寺と廻る。
そして弘法大師が生まれた地、善通寺に入る。
善通寺は高野山の金剛峰寺、京都の東寺とならぶ弘法大師ゆかりの3大霊跡の一つである。
境内はとてつもなく広く、一般の参拝者も多かった。
本尊は薬師如来。
参拝後、他の寺と同様に納経帳に記して戴き、寺を出た。

次の金倉寺、そして第77番札所の道隆寺を廻った処で5時が来た。
もう瀬戸大橋の側だった。
今回の旅はしまなみ海道から瀬戸大橋にたどり着く旅でもあった。
廻ったお寺は24ヶ所。

2日間かなり暑かった。
水分を摂りながらの走行だった。
しかし走った距離は560km。
前回のの1000km弱に比べたらかなり楽であった。

後11のお寺が残っている。
今度いつ行けるかまだわからないが、遍路も終盤を迎えてきた。

2010年8月2日月曜日

しまなみ海道から

先週金曜日の夜、しまなみ街道を通り四国に渡った。
プチお遍路4回目である。
来島海峡SAで仮眠をとり、朝6時過ぎには今治の第54番札所の延命寺に着いた。
参拝を終えても時間はまだ6時45分。
納経所はどこも7時からなのだが、私を見た方はいいですよと受け付けてくれた。
有り難い。
これで現総理、管直人氏を超えた事になる。
次期総理に出馬するか。

延命寺の次は今治市内の南光坊。
本尊は大通智勝如来さん。
私はおそらく初めて参拝する如来さんだ。
お参りした後納経所に行くと、
そこの方が私に「どちらから来られました?」
と聞かれるので岡山ですと答えると珍しいお名前ですねと言われる。
この方は参拝者の名前を見るのが好きならしく、いつも納経帳の名前を見られるらしい。
しばらく話をした後、地図などを下さり、お寺を出た。

この後、摩訶不思議な事が起きる。
実は今治には30年以上の付き合いのある龍0ちゃんがいる。
彼はつい最近までやはり愛媛の丹原という所に住んでいた。
が少し前に実家の今治に帰っていた。
私もその事は知っていたのだが、実家の場所までは知らなかった。
今回会おうかなとも考えたが、私が通る時間も定かでなかったし、会ってもゆっくり出来ないだろうと彼には連絡してなかった。

ところがである。
南光坊の後次の泰山寺に向かおうとしたら、市街地で方向がわからなくなった。
で道の隅に車を止めて地図を見ていたら、運転席のウインドウをコツコツ叩く人が。
それが龍0ちゃんだった。
彼は夜勤後、自転車で家に帰っている処だった。
ふと運転席を見たら私だったというのだ。
しかも通常なら彼はもっと遅くまで仕事をしてるらしい、がこの日は交代の人が早く来たので早く終わる事が出来たと言う。

たまたま間違えた道が、龍0ちゃんの通勤の道だった事
ほんの数分止まっていた処に龍0ちゃんが自転車で通った事
彼が運転席の私に気付いた事

こんな偶然が重なろうとは不思議としか言えない。
泊まって行くようにとも勧められたが、どこまで行くかわからない旅、次の泰山寺の道だけを教えて貰い別れた。

泰山寺、栄福寺、国分寺の参拝を終え南下。
次は西日本最高峰(標高1982m)の石鎚山の中腹にある横峰寺。
駐車場からもかなりある、紫陽花が迎えてくれる。
山岳霊場独特の雰囲気だ。
本尊は大日如来。
参拝後駐車場に戻るとアイスクリームや飲み物を売ってたので、私は黒蜜がかかったところてんを食べた。
甘く美味かった。

休憩後一度麓まで降りたが、やはり四国の霊峰、出来るだけ上まで登ってみたくなった。
ロープウェイに乗り一挙に1300mまで。
実は以前ここまでは来たのだが、前回は霧の為それから上には登れなかった。
今回は霧も無く、30分程かけて石鎚神社中宮成就社まで登った。
大きな神社ではあるが、拝殿もすっきりした感じで気持ち良い。
参拝してから、神社の横に遊歩道があったのでもう少し上の休憩地まで上がった。
ちょうど本殿の真上になる位置だった。
流石にここまで来る人も無く、私は持って来たダラブッカを叩いた。

しばらく遊んだ後、次の遍路もあるので、山を降りる事にした。
元の道に戻り、香園寺、宝寿寺、吉祥寺、前神寺を廻った処で5時が来た。
汗びしょだったので来る途中に見た椿温泉こまつに行った。
入場料400円とリーズナブル。
ジャグジー風呂、露天風呂と入り、休憩室でテレビのお笑い番組を観ていると寝てしまう。
前日の睡眠不足と疲れの為か1時間半程熟睡。
眠気眼ながら泊まる処を求め、温泉を出る事にした。

続く