2010年12月30日木曜日

大掃除

昨日は皆で道場の大掃除をした。
窓を拭いたり、切れた蛍光灯を換えたり、クーラーの埃を取ったり、ワックスがけをしたりと普段しない処もした。
おかげで来年の練習も気持ち良くスタート出来そうだ。
最後に折れたり割れたりしたバチを燃やしてバチ供養をする。
その際、さつま芋も入れて焼き芋にして皆で食べた。
ホクホクと体も温まった。
今朝は雨からみぞれに変わった。
明日、明後日の正月と寒そうだ。
私は元旦は姫路、2日は倉敷に太鼓を叩きに行く。
他にも内のメンバーは鳥取や兵庫の加西などに行く。
雪だけが心配である。
無事にめでたい獅子や太鼓を打ち、幸先の良い新年を迎えたいものである。

2010年12月27日月曜日

寒い時

いやはや寒い日が続いている。
そう言えば諫早湾はどうなるんだろう?
まあそれはさておき、今年も後僅かである。
各太鼓の教室も徐々に練習修めをしている。
今年もいろんな事があったが、私的には太鼓では国民文化祭が大きかった。
また太鼓を持っての四国遍路も楽しかった。
来年は一体どういう年になるのか?
寒い時は人の体も心も固まり易い。
何か楽しい事でも考えて過ごしたいものである。

2010年12月24日金曜日

忘年会

今日はクリスマスイブ、後1週間で今年も終わりだ。
鼓空の忘年会があった、参加者は12名。
場所は岡山の表町のtuktukというインドネシア料理のお店。
メンバーの友達が経営している。
料理は最初に揚げ煎餅から始まり、サラダ、焼き鳥、焼き飯のナシゴレン、そばゴレン、いかゴレンとゴレンが続く。
誰かがゴレンジャーだと発する。
ゴレンとは焼くと言う意味だそうだ。
ナシゴレンのように当然すべてインドネシア語の名称があるが、酒席故聞いたがすべて忘れる。
どの料理も独特の香辛料で味付けされていて美味い。

酒は私はジントニックから始め途中で日本酒に代えた。
この日本酒もかなり良いお酒だったが、酒席故名前を忘れる。
半ばの辺でパーカッションを一杯持って行ってたので、ジャムセッションをする。
友達のお店故、楽器もOKだったのだ。
7時過ぎから始まったのだが、終わったのは11時30分頃
最後のデザートはバナナを揚て、それををアイスクリームに付けて食べるという物。
これまた美味だった。
お店には何かと便宜を計って貰い、誠に感謝である。
何もかも本当に美味しい店だったので、また伺いたいと思う。

今日は深夜に明石家サンタがある。
酒を飲みながら観るとしよう。

2010年12月22日水曜日

ひゅーどろろ

日、月曜日と上京した。
娘が出演する演劇を観る為だ。
娘は駆け出しではあるが演劇集団「円」の団員である。
今回両国のシアターXという劇場で子供向けの公演があった。
この企画は岸田今日子さんが子供の為にと立ち上げられ、今回で29回目となる。
劇場の中は300程席だが、一番前に桟敷席が設けられていて、子供達の座る処になっている。

演目は「ひゅーどろろ」
谷川俊太郎氏の作品で新作現代語狂言だ。
ひゅーどろろとはお化けが出てくる時の合図だそうだ。
面白く陽気なお化けが一杯出て来る。
昔おばけ、言葉お化け、ダメダメお化け、化け猫、モーツァルトのお化け、ふにゃふなやお化け、さめざめお化け、ゲームお化け、さておきお化け・・等

狂言を基盤にしているが、本来三味線、太鼓、包みで演奏する処を口で踊りながら唱和する。
息もぴったりで気持ちも弾んで来る。
ケチャのリズムを取り入れた処もあった。
大まかな内容はお化けはそんなに怖いものではなく、むしろ人間の心の方が怖いのでは・・・とか最近は夜もどんどん明るくなって来て、お化けの出れる場所が少なくなって来ているなど・・・をモチーフにしている。

お化けが桟敷の子供達に問題を出す場面もあった。
当然子供達からいろんな答えが返って来る。
それに対してお化けがまたアドリブで応じる。
なかなかのやり取りだった。

娘は今回ふにゃふにゃお化けを演じた。
動きは激しいのだが、背骨を全く感じさせなかった。
やはり小さい頃からバレエをやっていただけあって体は柔らかい。

芝居を楽しんだ後は娘のはけを待ってから、一緒に北千住のコズミック・ソウルというお店に行った。
ここは一昨年クリスタルボウルのShinさんとライブをした店だ。
ここのマスターはまだ若いけど民俗音楽が大好きで店の中にもジャンベやダラブッカ、二胡や口琴、その他いつも酒に酔って聞いても名前を忘れる倍音楽器等がある。
また彼はホーミーも唄う。
この日はベルギーから来ている青年もいて、皆でセッションをした。
東京に行き着けの店があるのは実に嬉しい。
翌日はまた娘と浅草寺にお参りに行き、屋台で食事をして、午後から千葉で久しぶりに昔からの二人の仲間にあった。
一泊二日の短い上京だったが、楽しかった。

2010年12月18日土曜日

パソコン

今日はいつもよりは多少暖かかった。
朝から教えに行ったり、鼓空の関係の年賀状を作ったりしていた。
年賀状は出来るだけ手作りにしようと思ってはいるのだが、今年は鼓空が演奏している写真を使った。
私には写真を切ったり貼ったりする技術は無いのでお願いをした。
幸い私の周りにはパソコンを熟知している人も多いし、パソコンを教えている先生もいる。
私から見ればその人達の頭は一体どうなっているのかなぁと思ってしまう。
アナログ人間の私はこの先どうやって生きて行けばいいのだろう。
誰か快適なる地下組織を教えてくれ !!

2010年12月17日金曜日

ヨカ

寒い日が続いている。
だいぶ冬の寒さも理解できるようになった私だが、出来れば暖かい方が良い。

相変わらず泡が正しく、落ちが着かない日々を過ごしている。
本業ではない処に時間を割かれる事が多いのはやはり暮れであるからだろう。
だが今日はヨカの日、ゆっくりとした体の柔軟と深い呼吸で頭を鎮めに行こう。
鎮め過ぎて瞬間ではあるが寝てしまう事もあるが。
まあ寝たは寝たで誰かが起こしてくれるだろう。

太ちょモーにもヨガを教えてやりたいが、昨晩から帰ってない。
どこかで酔い潰れているのだろうか。

2010年12月14日火曜日

「金のなる木」

今年は我が畑の野菜の出来はさっぱり駄目だった。
猛暑が続いた事も一因だが、それより私のいい加減さが大きい。
いい加減と言うと良い意味で使われる事もあるが、私のは本来の意味だ。
しかしながら不思議な事が起きた。
春先に蒔いた大根が秋に発芽して今頃収穫の時期を迎えているのだ。
まあ種も発芽の時期は選んでいるとは思うが、こんな事は初めてだ。

あと喜ばしい事がもう一つある。
だいぶ前に「金のなる木」を戴いてて、事務所に置いていたのだが、やはりこの夏のせいか葉っぱが落ち、枝も落ちだし幹も朽ちてきた。
完全に枯れた状態になったのである。
私は今まではまだ金が入って来た方なのか、これからはどうなる事やらと一抹の不安を覚えていた。
しかし処がどっこいである、根っこの方から新しい茎が出て来たのである。
そして3枚から5枚の葉がひと塊になっているのだが、それが9つになった。
どの葉もくっきりと綺麗だ。
まるで私の前途を祝ってくれているみたいだ。

今度こそ大事にしよう、お手入れ、お手入れ・・・・

2010年12月10日金曜日

お出かけ

今朝起きてコーヒーを飲みながらテレビを観ていると、モーが飯を食わせろとやって来た。
仕方ないので、一つの餌入れに猫缶を開けて入れ、もう一つの餌入れに私はパラパラ菓子と呼んでいるのだが、乾燥フードを入れた。
周りの人達からはやり過ぎだとよく言われるのだが、私も外出する事が多いので、いない時腹を空かさせてもなぁとついつい多めにやってしまう。
これが太る原因になってるのかも知れない。

それにしてもパラパラ菓子であるが、御丁寧に一粒一粒が魚の形をしている。
内のモーもそうであるが、どこの猫も「魚だ、美味そう!」などと思っている訳が無い。
こんな事に手間をかけるなら、普通のパラパラにして量を増やすとか、値段を下げるかすればいいのにと思う。

ところでモーであるが教えもしないのに、二点食いをする。
猫缶の中身とパラパラ菓子を交互に食べるのである。
偉いのはこれくらいか。
私が用をしている間にブランチを食べ終え、お出かけを始めた。
少しはウォーキングも必要かなと思ったんだろう。
20mぐらい先のあぜ道をのそのそ歩いてたので、声をかけた。

私  「モー・・・」

モーは振り返り
「ニャー・・・」と答えた。

私  「どこに行きょんならー・・・」
モー 「ニャー・・・」

私再度 「どこに行きょんならー・・・」
モーまたまた 「ニャー・・・」

らちが明かなかった。

2010年12月7日火曜日

獅子舞

今日は岡山の山の上のホテルオ0クラに行く。
私の祖父が創設したホテルだ。

(嘘である)

建築関係の協同組合の忘年会に出演する為だ。
鼓空の演奏と獅子舞をする事になっている。
例年正月には私も獅子舞の太鼓を叩くが師走というのは珍しい。
長引く景気の低迷を太鼓と獅子で振り払い来年に繋げようという事であろう。

私も明るい社会が来るべく、しっかり太鼓を叩いて来たい。

2010年12月4日土曜日

師走

今年も早12月、先生の端くれでもある私は日々走り回っている。
回らないと首が回らなくなるからだ。
あちこちの太鼓教室へ指導に行ったり、本番に出かけたりと忙しい。
まあそれでも忙しいと言うのは有り難い事で山々の紅葉を見ながら走っている。

紅葉と言えば昔は私の中ではそんなに取り上げて言う程のものでは無かった。
然るに最近は本当に綺麗だと思う。
特に晴れた日に朝陽に照らされた紅葉は実に綺麗だ。
昔は目が行ってなかったんだろうか。
それとも頭の中が曇っていたのだろうか。

太っちょモーはますます太っている。
ダンボール箱の中に温っかカーペットを敷いてやってるのだが、そこで寝ている事が多い。
私が走り回っている時も、食っては寝、食っては寝である。
今度首ひもを付けて一日中連れ回してやろうか。
少しは労働と言うものを理解した方が良いと思うのだが、如何であろう。

2010年11月30日火曜日

演劇

今回、岡山市民による演劇、ダンス、音楽、美術などの合わさって総合芸術を作ろうというプロジェクトが立ち上がった。

市民参加型のイベントはこれまでにも何回かあったように思うが、今回は継続的に作り上げて行こうというものだ。
主催は岡山のルネスホールである。

まずは来年3月26日にルネスホールでの公演が決まった。
作品名は「シェイクスピア X 温羅伝説」と言う。
台本はまだ出来てないらしいが、私も全く想像がつかない。

今この参加者を募集している。
またこの準備として4回に渡ってアートスクールなるものも開かれている。
テーマは演劇、音楽、即興劇、ダンスだ。

私は音楽のスタッフとして関わる事になったので、音楽のスクールを覗いてみた。
講師は古0さんと言い、アラビアン音楽専門の人だ。
私の10年来の知人でもあり、共演した事も何度もある。
どんな授業をするのかなと楽しみにして行った。
スタジオみたいな所であったのだが、床にはタンバリンらしき物やフレームドラム、ダラブッカなど一杯置かれていた。
まず最初に古0さんによる楽器の一通りの説明と模範演技があった。
それからがユニークで、参加者が20名程いたのだが、みんなに好きな楽器を選ばせ、なんでもいいからミュージシャンに成り切って1分30秒の演奏をせよというものだった。
おそらくミュージシャンは一人もいなくて、演劇志望の方々ばっかりだったように思うが、皆さんそのパーフォーマンスたるや実に面白かった。
囚われない楽器の使い方、楽器を持って唄う人、踊る人、即興でここまでするとは役者って凄いなぁと改めて思った。
私も参加している為、演奏せざる終えなかったのだが、やりにくい事この上ない。
打楽器が専門の私は下手にぼける訳にも行かない。
結局ダラブッカの演奏を直球でするしかなかった。
幸い善良なる岡山市民演奏後には拍手をくれた。
こうして楽しく音楽のスクールは終わった。

12月末にはキャスティングも決まり、来年早々練習に入りそうである。
私もこんな芸達者な皆さんとの共演楽しみだ。

2010年11月27日土曜日

秋晴れ

今朝も雲一つない秋晴れだ。
東に太陽、西に下弦の月が薄っすら出ている。
我が道場の周りの山々も紅葉し、鳥達も啼いている。
のどかだ。

うちの牛猫モーも秋になり食欲も凄く、餌を与えて食べた後でも他の人が来ると「僕食べてないよ。」的顔をしてせがむ。
困ったものだ。
おかげで太りに太り、上から見ても腹のラインが外に大きくカーブしている。
牛の原型だ。
そのうちにおっぱいが出るようになるだろう。

今日は鼓空の初期のメンバー2人とホテルでの仕事に行く。
先日久しぶりに音合わせをした。
熱い感じは昔ながらだ。
まあ今日も仕事とは言え楽しんで来たいと思う。

2010年11月23日火曜日

高野山

四国八十八ヶ所の巡礼を無事に終え、第1番札所の霊山寺にお礼に行き、その足で鳴門海峡を越え、淡路島を通り高野山に向かった。

山陽道、近畿道を抜け、松原の近くになると、この日朝早くに起き、一日中車で走り、よく歩いた事もあって眠気に誘われた。
だがその時高速道路から偶然天然温泉の看板が見えた。
私は巡礼中はいつも車中泊だったので寝る処は決めていなかった。
しかしこの松原天然温泉は長旅を終えた私には嬉しかった。
中に入ると、そこは健康ランド。
受付に行くとサービスデイとかで1000円でいいと言う。
私はとてつもなくここが気にいってしまった。 (この時は・・・)

早速腹も空いてたので、レストランで食事。
寿司とそばのセットを頼む。
それから安心のあまり、ビールの中ジョッキを注文。
五臓六腑に染み渡り、軽く酔いが廻る。
廻って良いのだ、長旅が終わったのだから。

少し落ち着いた処で風呂に行く。
私の好きな寝転びジャグジーバスがある。
誠に持って気持ち良い。
ここの天然温泉は炭酸が入っている。
細かな泡が次々浮かんで来る。
ラムネ温泉とも言うそうだ。
いつもながら、全部の風呂に入ってみる。
露天風呂は外気と風呂の温度差がかなりあった。

一通り堪能した処で寝床探し。
テレビ付きの背もたれが倒れる椅子が空いてたので、これに決まる、完璧だ。
明日は何時起きでも良いと思い、あえて携帯のアラームもかけず。
ボーとテレビを観てたら、またもや睡魔。
テレビを消し、毛布に潜る。

そして悲劇は始まる。
寝たのが10時30分。
夜中1時45分に何者かが私の肩を叩く。
「お客さん閉店の時間ですよ。」
なんたる事か、館内にはほたるの光が流れている。
そんな馬鹿な。
普通健康ランドは朝まで寝ても良い筈だ。
2時でお終いの店がどこにある?

まあとは言え、周りの人もいないし、これが当店のやり方だと言われれば、敢えて言葉も出ず。
眠い目を擦りながら着替えて外に出る。
どこで二度寝しようかと考えたが、とりあえずは高野山の方向に向かい、良い処で寝直そうと思う。
室内灯を付けてもまだ暗い車の中で、これ以上詳しい地図は無いと自慢のスーパーマップルを見る。
しかしながら高速道路沿いに走っていると、何だかおかしい。
よく見ると南阪奈道とかかれている。
南阪奈道、そんな名前聞いた事も無いし地図にも載って無い。
私はてっきり阪和道沿いに走っているつもりでいたので、見当違いも甚だしい。
考えてみればこの自慢のスーパーマップルも10年前に買った物だ。
10年前の真実は今の真実とは異なると言う事か。
地図による混乱はこの後にもある。

結局阪和道で泉南まで行き、西から高野山に登る事にしたのだが、泉南から途中通った紀ノ川市も載って無いし、合併によって広くなった橋本市、明らかに地図の方向と標識の方向がずれているのだ。
地図はやはり新しい方が良いかも。

まあ阪和道を使ったお陰で岸和田のPAで3時間ちょっと寝た。
7時30分に起き出発、1時間程一般道を走って高野山に入る。
頂上の高さは1000m、四国の紅葉も綺麗だったが、高野山の紅葉も綺麗だ。
まだ朝も早いので葉の1枚1枚から蒸気が上がっている。
やはり早起きはするものだ。
夜の深酒などはもっての他だ。

長い山道をやっと高野町に着いた。
ここには117のお寺があり、参拝者をもてなす店が立ち並び、門前町だ。
私はまずは弘法大師の御廟のある奥の院に向かった。
入り口から御廟までは2kmの道のり。
参道の両側には皇室、大名、各宗教の聖人から多くの会社、個人まで20万以上の墓が並んでいる。
御廟に着くとこの日は21日でお大師様の日と言う事で法要が行われた。
私は読経と四国巡礼が無事終わった事の報告とお礼を述べた。

奥の院を出てからはゆっくり金剛峰寺や壇上伽藍を参拝した。
しばらくぶらぶらしてると大師教会という建物があり、そこの玄関に偉いお坊さんが戒を授けてくれ、説法をしてくれるという紙が貼られてた。
私も折角高野山に登ったし、料金も500円だったから興味半分で申し込んだ。
待合所ではもう25名ぐらいの方がいた。

時間が来てお坊さんが受戒堂なる処に案内してくれる。
堂に入るとすべての戸は閉められた。
中は蝋燭の火だけ、暗くて隣の人の顔もよくわからない状態。
終わるまでは何があっても出られないと言われる。

お坊さんの案内で阿じゃ梨さん(じゃは門構えの字だが無い)が入室され弘法大師さんの額の前に座られた。
顔も全く見えない。
ここで菩薩十善戒を授かった。
この後説法があり、最後に一人づつに、菩薩戒牒なる札をお渡しになられた。
私も3段なる足踏みを登り、阿じゃ梨さんの前に座り、手渡しでお札を戴いたのだが、この時もお顔は一切見えなかった。

今まで経験した事の無い感じだったが、これが密教なのだろう。
有り難い感じで散歩してるとお茶の接待があったのでよばれた。

私はこの高野町のどこかで奉納の太鼓を叩きたいと思った。
しかしどこにもたくさんの寺院があるし、民家もある。
しばらく探した処、高野町から龍神町に向かう旧道があった。
人通りもほとんど無いし、人里からは少しだけ離れている。
ここだと思い車から太鼓を降ろし台に乗せる。
しかし思い切り叩くには憚られる。
私は少し音を小さめに、しかし力強く叩こうと思った。
多分仏さんは小さくても聞いてくれるような気がしたのだ。
20分ぐらい叩いた。

太鼓を叩いた後しばらく車を走らせていると、線香を作っている作業所があり、そこに広い駐車場があり、ご自由にお使い下さいと言う看板が立っていた。
作業所は日曜日で休みならしい。
私は今度はダラブッカを出し、思い切り叩いた。
すっきりとした気分になった。

帰りはまた大阪まで2時間の道のりだ。
お腹が空いてきた。
南大阪を走っていると、く0寿司があった。
私は回転寿司しかないと思って行くと長い行列、店の外にまで並んでいる。
ここでずっと待つのはきついと思い、また車を走らす。
するとまたまたく0寿司がある、今度こそはと思い入ると、なんと1時間30分待ち、お客さん達良く並んでいるものだ。
しかるに私はまたまた断念。
また車を走らせていると今度はス0ローがあった。
中に入ると待ち時間15分。
私はカウンター指定だったので5分で席に着けた。

どうやら南大阪では人気はく0寿司の方が勝ちのようだ。
まあ私はそんな事はどうでもよく、いかいかい えんがわ いかいかい うに と一杯食べた。

楽しい旅になった。

2010年11月22日月曜日

結願

今年5月から週末を使い、廻った巡礼の旅も5回目になる。
今回は最初が第78番札所の郷照寺、瀬戸大橋を渡ってすぐの処にある。
土曜日の朝、家を5時30分に出発。
途中コンビニに寄って、肉まんとサンドイッチと午後の紅茶を買う。
こんな朝早くから午後の紅茶を飲んだら、体調を崩すのではちょっと心配。

瀬戸大橋を渡る頃夜が明けてくる。
郷照寺に着いたのは7時前、なかなか良い感じだ。
参拝を終え、納経所で墨書、御朱印、本尊の御姿を戴く。

続いて天皇寺、国分寺へと向かう。
国分寺には綺麗な弁財天も祭られていた。
音楽、芸能の仏様なので手を合わせる。

次は五色台にある白峰寺と根香寺に行ったのだが、秋晴れの中の紅葉が鮮やかだった。
本当に五色に輝いていた。
私としては夏に続けて来たかったのだが、いろいろ忙しくと来れなかった。
しかし結果良かった。

続いて一宮寺そして屋島寺、八栗寺と廻る。
眼下に源平合戦の古戦場が見える。
今は陸になっているが、昔は入り江だったらしい。
何もこんな景色の良い処で戦わなくてもと思う。

続いて第86番札所の志度寺、第87番札所の長尾寺を参拝する。
そしていよいよ最後第88番札所の大窪寺に入る。
ここには結願したお遍路さんが置いていった杖がたくさんあった。
私もお参りをして、ほっとした気持ちになる。

しかしながらお遍路さんは結願した後には、最初お参りしたお寺か高野山または両方のお礼参りに行くらしい。
私もまずは徳島鳴門にある第1番札所の霊山寺に向かった。
到着したのは4時30分、ぎりぎりだった。
最初に来たお寺だけに懐かしい。
四国巡礼のお礼の参拝をし、納経所でご苦労様でしたの言葉と記帳をして戴いた。

そしてこの後淡路島を通り高野山に向かった。

続く。

2010年11月18日木曜日

相撲

相撲と言えば白鵬が双葉山の連勝記録69に挑戦し、今回は結果63に終わった事が大きな話題になった。
私も熱烈な相撲ファンではないが、テレビ中継をしているとついつい見てしまう。

そして昨日は白鵬の事ではなく、新たな発見をした。
今まで数限り無く相撲は見ていると思うが、昨日は相撲の力士ではなく行司に目が行った。
こんな事は初めてだ。
そして非常に面白かった。

力士を一切見ないで行司だけを見る。
すると行司の動き、掛け声のタイミング、視線、そして相撲の決着がついた時、すぐに勝ち力士の方に軍配を挙げる素早さ。
どれを見ても凄い。

皆さんにも一度は力士を一切見ないで行司だけを見る事をお薦めしたい。

2010年11月14日日曜日

旅の本②

前回とろんさんの本について書いたが、今回はナナオ・サカキさんの本について書きたい。

ナナオさんの事はインターネットにも紹介されているので、簡単に書き写してみる。
大正12年鹿児島生まれ。
家や定職を持たず、電話も持たない放浪生活をしながら、国内外を歩き詩人やアーティストと「部族」という集団生活の創立にも関わった。
また詩や朗読を通して環境保護や反戦などの政治活動に加わり、海外でも名を広めている。

彼の名前を知ったのは私が20代半ばの頃だった。
「菩薩」と言うバンドの属し始めた頃でメンバーは彼の事は良く知っていた。
彼が詩人であり旅人である事を聞いて、私もずっと会ってみたいと思っていた。
しかしながら、なかなかその機会に巡り合えなかった。

やっと会えたのは6年程前に三重県の長良川下流の河川敷でピースギャザリングがあり、その時だった。
たくさんのキャンプテントが張られて入る中、やはりヒッピーのミュージシャンである内田ボブさんと話をしている彼に会った。
彼は思ったより大柄な人だった。
しばらくの間、話をする事が出来た。
彼はいろんな所を旅しているが、土地の事や人の事等その暗記力の良さには驚かされた。
私が彼に会ったのはこの時が始めてで最後になった。
3年程前、長野の大鹿村と言う処で亡くなったのだ。

私は去年おそらく彼も何度も立ち寄ったであろう東京の西荻窪にあるプラザード書店に行った。
ここの本屋にはここにしか無い宗教関係の本や精神世界の本が一杯置かれていて、私も20代の頃はよく行っていた。
久しぶりに寄ったのだが、その時ナナオさんの「犬も歩けば」という本が追悼の意味も含めて置かれていた。

それを今また読んでいる。
この詩集はアメリカの大地、沖縄西表、知床、信州、東京国分寺等いろんな所で書き綴られた詩が載っている。

もう一度彼の生き方に深く入って行ければと思う。

2010年11月12日金曜日

旅の本

読書の秋だからと言う訳ではないが、久しぶりに本を読んでいる。
2冊あって著者の2人ともよく知っている人だ。
2人ともヒッピーの草分け的存在だ。

最初に読んだのはとろんさんと言う人の「とろんのダイジョーぶ経典」
彼とは1999年に玉野で開かれた「ありがたや、お月さん」と言うイベントで一緒になった。
会った時、身なりといい長いトレッドヘヤーといい、よくもまあこれまでこの社会で生きて来れたものだなぁと感心した。
彼は尺八や笛の奏者でもあるのだが、その時は司会もしてて、その話のユニークさにも惹かれた。
そしてその翌年2000年に長野で開かれた「命の祭り」で彼が担当しているステージが有り、そこに呼んでくれたのだ。
彼はもともと岡山の総社の出身だったが、若い頃より、ネパール、インド、タイ、アメリカとずっと放浪の旅をして来た。
日本にいる時も東京の国分寺や荻窪などヒッピーの集まる場所に出入りしてた。
彼は若い時から賃金労働というものを拒否し続けている。

昨年彼の両親の看病の為に帰って来た。
奥さんと総社宮の側に小さいなアクセサリー、軽食の店を出した。
2階には一間だが、宿泊も出来るスペースがあった。

私達もちょうど国文祭の時に泊めて貰った。
一人1泊1000円と破格でしかも店にあるビールや焼酎は好きに飲んでいいと言うから、なんて商売っけの無い人達なんだと思った。

この店に先程書いた「とろんのダイジョーぶ経典」があったので買わさせて貰ったのだ。
女性達との旅や暮らしが赤裸々に書かれている旅日記で、至る処で大笑いした。
今朝彼に電話で本を読んで面白かった事を伝えたら、大変喜んでくれた。
そして電話のタイミングの良さにも喜んでくれた。
実は彼等は来年の7月までまたタイとインドを旅する事になっていて、今日東京に向けて出発する処だった。
家の電気のブレーカーを落とす直前だったらしい。
旅の無事を祈り、また帰国後一緒に遊ぼうと話した。

とろんさんの本を読んだ後、今度はヒッピーなら誰でも知っている、ナナオサカキさんの詩集を手に取った。
この話はまた後で。

2010年11月9日火曜日

携帯電話

秋も深まりつつある今日この頃である。

私は太鼓の指導に行ったり、ライブに行ったりはしているが、精神的には重圧から開放され楽に過ごしている。
昨日4年程使っていた携帯電話が画面の接触が悪くなり、新しいのに買い換えた。
まあ新しいとは言え、今月末には新機種も出るらしいので一つ前の型だ。
最近は携帯電話もインターネットの要素がどんどん増えているみたいだ。
少し待てばとも思うが、前の携帯が完全に壊れてからでは遅いので買う事にした。

今では当たり前になっているワンセグもあるし、他の機能も以前のよりは充実している。
私としては電話がかけれ、メールが出来ればほぼ満足で、たまに写真を撮ったり、インターネットで検索するぐらいである。

現代は情報を得る事に関しては凄い発展をしている。
しかし遅れている私が言うのも何だが、便利を追求するあまり、失って行く物も多いような気がする。
頭で理解した事が決して全てでは無い。
汗水垂らしてのみ、理解出来る事の方がはるかに多い。

私もついつい便利な方向に意識が向くが、気を付けたいと思う。

2010年11月6日土曜日

のんびり

国民文化祭での私達の務めも無事に終わった。
いろんな面で緊張感が続く毎日だったが、今はそれから開放され自由になった感じだ。

昨日はヨガに行ったり、河川敷でサッカーボールを蹴ったりして過ごした。
また今日は暖かい秋晴れだったので鼓空のメンバーのやっている自然農の田畑を見に行った。
無農薬、無肥料で始めたばかりなので、まだそんなには収穫が無いが、徐々に土が豊かになって行く筈なので、その内に健康的な野菜が取れ始めるだろう。

明日は新見市の方でライブがあるが、今晩は酒でも飲みながらゆっくり過ごそうと思う。

2010年11月4日木曜日

洋舞フェスティバル

昨日国民文化祭の「洋舞フェスティバル」が倉敷市民会館であった。
今回の洋舞とは現代舞踊とバレエを指している。

本番はまず岡山」の現代舞踊による「COCOON」から始まり、埼玉、愛媛、岩手、北海道、京都、山口、静岡の方々の舞台が続いた。

そして最後に岡山のバレエ「夢かける」だった。
「夢かける」は倉敷の大原美術館創立の80周年に合わせてそのできて行く様子を表した作品だ。
大原孫三郎、児島虎次郎、奨学生達の話そして美術館に展示されているモネの「睡蓮」や「柳」「青い鳥」「扇の童女と笛吹き」また棟方志功の「門舞神」等をバレエで表現する。

私達は孫三郎が奨学生達を海外に送り出す場面。
孫三郎と虎次郎の夢を共有する場面
棟方志功の門舞神(神々の世界」
の3場面の演奏を受け持った。

演奏する場所は舞台前のオケピット(バレエ等でオーケストラが入る場所)だった。
私達は上手側で下手側には邦楽の方々が入られた。

今回はすべてが大掛りで天井から大きな造作品が降りて来たり、絵画を浮き上がらせたり、昔の倉敷から美術館ができて行く処を映し出したりと照明、音響、大道具さんのタイミングも非常に難しかった。
ただ舞台の総合的な演出がしっかりしていたので、皆でそれに合わせて行くという感じだった。

本番ダンサー、バレエリーナ達の踊りは皆素晴らしかった。
私達はオケピットの中から観ているのだが、作品の中に吸い込まれて行く感じだった。
おそらくお客さん達も同様だったんではないかと思う。

最後のカーテンコールが閉まるとバレエリーナ達も泣いていたし、先生方も泣いていた。
この1年以上懸命に練習し、作り上げて来たのだから感慨も一入だったのだろう。
前を踊る主役の子達も後ろで皆で合わせる踊るコールドバレエの子達も皆綺麗だった。

こんな作品に立ち会えて、私達も幸せだ。

2010年11月1日月曜日

和太鼓の競演

国民文化祭の「和太鼓の競演」が土曜日曜とあった。

私達も木曜から準備に入り、金土と泊り込みだった。
1年以上前から企画してきたが、当日は台風直撃の可能性。
幸い進路が変わり、速度も速くなったので、難は逃れる事が出来た。

土曜日は岡山県内23グループの演奏、ゲストはGONNNA。
どこのチームも気合が入って良い演奏だった。
勿論その中、鼓空も演奏した。
曲目は「清流」と「華」
太鼓は出演団体も多くセット、ハケが大変なので、用意された太鼓を使う。
鼓空は私のソロから始まるのだが、どんな太鼓が来るかわからない状態。
しかし3点セットの真ん中は、鼓空の太鼓が用意されていた。
おそらく気を使って戴いたのだろう。
演奏はまずまず押さえれたかなって感じ。

私は2日間スタッフとしても入っていた。
役は直前説明、内容は各団体の演奏の前に舞台の出入りや音だしきっかけ、ハケのタイミング、マイク関係等の説明をする。
5人で担当したのだが、チームワークも良くスムーズに進行する事が出来た。

日曜の朝は外のステージで子供達や障害者の演奏があった。
私達が教えている御休和太鼓クラブとWA!の会も出演した。
2つとも場に動じる事も無く精一杯の演奏をした。
彼等にとっても良い経験になったのでは無かろうか。

午後は県外の8団体を迎えての舞台。
今回は鬼に関係のある団体が来てくれた。
「ようこそ岡山へ」って感じだ。
合間合間にモニター越しに拝見したが、どこのチームも特色があり面白かった。
ゲストは志多ら、GONNAもそうだが、客を乗せるのが旨い。

こうして無事「和太鼓の競演」は終わった。
とりあえず1段落、ほっとしている処。

しかし今日午後からは気分を完全に変えて、バレエのモードに入らなければならない。
最終リハが倉敷市民会館である。

後3日間頑張りたい。

2010年10月27日水曜日

国民文化祭

早いもので1年以上前から企画されて来た国民文化祭も今週土曜日から始まる。
私達も総社市で開かれる「和太鼓の競演」と倉敷市で開かれる「洋舞フェスティバル」に出演する。
もう一度ここで日程等のご案内をしたい。

「和太鼓の競演」

たいこ・タイコ・太鼓コンサート
会場  岡山県総社市総合文化センター (無料)
日時  10月30日(土) 10時~17時(9時開場)
     
     岡山県の23団体による演奏  ゲスト GONNA

鬼が集うぼっけぇ国 吉備!!
日時  10月31日(日) 
     10時~12時30分 子供太鼓 屋外ステージ
     13時~17時     県外団体 ゲスト 志多ら


「洋舞フェスティバル」
会場  倉敷市民会館
日時  11月3日 開場13時 開演14時
入場料 1500円 (ほぼ完売状態なので御希望の方はまず倉敷市文化振興課 国民文化祭推進室TEL 086-426-3074にお問い合わせ下さい)

出演  県外の団体 岡山県の団体
岡山県発表作品 「COCOON」 「夢かける」 

私達も国民文化祭を少しでも盛り上げるべく精一杯の演奏をしたいと思います。

2010年10月24日日曜日

ぼさつ

楽しくも忙しい日々が続いている。
私が以前やってた「ぼさつ」と言うバンドのメンバーが3人来てくれた。
もうこの時期恒例になっていて、来れる人が集まる。
今回はシアトルから、千葉から、そして愛媛からだ。

バンドメンバーだから当然セッションが始まる。
一発音が出ればすぐに気持ちが繋がる処がやはり良い。
最近作った曲もあれば、昔からの曲もある。
夜は遅くまで酒を飲みながら語り合う。
話題も幅広い。

木曜日に道場でミニコンサートを開いた。
鼓空のメンバーや近所の友達が集まった。
「ぼさつ」の曲は広がりがあるので、みんな音を聞いたり、参加したり、横になったりと様々だ。
夜遅くまでライブは続いた。

昨日は農大の「収穫祭」、自閉症の子供達の練習、午後からは岡山の万成病院の「80周年ひまわりサロン」、夜は玉井宮東照宮での「龍神祭」と忙しかった。

そして今週末からはいよいよ「国民文化祭」が始まる。
10日間は慌ただしい毎日が続くだろう。
体調にも気を付け、良いコンディションで乗り切りたいと思う。

2010年10月19日火曜日

夏の影響

今年の夏が暑かったせいか、近所の柿や栗の出来が良くないみたいだ。
我が家の栗の収穫も少なかった。
うちで自慢出来る物はさほど無いが、この栗の実だけは皆さん一様に「大きいねぇ~ 」と言ってくれるので、自慢の一つであった。
しかるに今年はいが自体が小さく、いがには3つの栗の実が入っているが、中の一つしか大きくなっていなかった。
こんな事は過去20年無かった。

うちには4本の栗の老木があり、毎年下草だけは刈るが他何もしないのに一杯の実を付けてくれる。
何年か前の台風の時はたくさんの枝が折れ、冬葉も無い時に見ると痛々しく、もう駄目かも知れないと思った。
が翌春、少しづつだが小さな新しい枝を出し始めた。
生命力の強さを感じたものだ。
今ではもう元の立派な木に戻っている。
また来年に期待しよう。

この夏の暑さのせいで、もう一つ残念な事がある。
数年前にある方から「金の成る木」正式名称は知らない、を戴いた。
小さいながらも肉厚のある葉っぱを一杯付けていた。
それが夏の終わりから葉っぱが落ち、枝が折れ始めた。

私はこれってどういう事なんだろうと悩んだ。
今まではまだお金があった方なのか?
果たしてこれからは?

温度か水かと今更ながら、真剣に考える今日この頃である。

2010年10月16日土曜日

アフリカの師

先日、岡山の東山にあるアノンに行った。
ここは本来結婚式場だが、平日にはライブがあったりする。

この日はジャンベ奏者N君の師匠のバングラケ氏が遠くギニアから来てて、そのライブがあった。
N君とは3年前一緒に6箇所程アフリカンダンスのバック演奏をしたが、かなりの打ち手である。
彼は師匠のバングラケ氏を頼って3年間ギニアに毎年半年づつ修行に行っていた。

私もN君が自ら、師匠に比べたら自分は赤ん坊同然だと言ってたので、楽しみに行った。
メンバーはバングラケ氏と勿論N君、2人の日本人奏者と1人の女性ダンサーだった。
楽器の構成はバラホンが2台になったり、ドゥンドゥン、サンバンが入ったり曲によって変わる。
バングラケ氏はジャンベと唄だった。
椅子に座ってジャンベを2台並べて打つ事もある。

そしてそのバングラケ氏のジャンベだが、流石に凄かった。
高音、中音、低音の使いわけも凄いが早いフレーズの時には掌が見えなくなる。
横で叩いているN君もいい打ち手であるが、バングラケ氏はやはりスケールが大きい。
N君もこんな師を持って幸せだなぁと思った。

演奏終了後、ロビーでバングラケ氏に会ったので、挨拶をし握手をした。
彼のCDを買った事を伝えると大変喜んでくれた。

この処いいミュージシャンに触れる事が多い。
いいバイブレーションを一杯貰っている感じだ。

2010年10月12日火曜日

秋晴れ

秋の3連休だったが、私達はバレエとのリハ、そして2つの神社での秋祭りに行った。

祭りは幸い2日間とも天候に恵まれ、秋晴れの清清しい中行われた。
岡山市福田の八幡様の祭りには小さいながらも子供の御輿が数台出る。
各町内を廻ってから神社に戻って来る。
帰って来た処で私達の演奏が始まる。
皆さん楽しんでくれたようだ。

翌日西大寺の東部山の上にある春日神社
もうかれこれ10年近く行かせて貰ってるので、おばさん達が湯がした栗やいちじくが取れたからとわざわざ持って来てくれる。

演奏が終わると餅投げ、大人も子供も走り回る。
賑やかでいい。

昼にはゴージャスな弁当の他、御神酒をはじめ飲み物が一杯振舞われる。
実に嬉しい。

春日神社の祭りが終わってから鼓空のメンバーと「おかやま国際音楽祭」を観に行った。
私達の仲間達の出演している、アフリカンやゴスペルの音楽を聴いたり、他にもネパール、アイリッシュの音楽、Steel Panを使ったカリビアン そして最後にオルケスタ・デ・ラ・ルスのサルサとなかなか充実した音楽祭だった。
こんな音楽祭ならビールを飲みエスニック料理を食べながら観るのもいいだろう。

忙しい中ちょっとリラックス出来て良かった。

2010年10月9日土曜日

上関原発

上関原発反対運動についてのお知らせが友人を通して入ってきたのでここでも紹介したいと思います。

◉上関原発計画についての意見広告のためのカンパ呼びかけのお願い   
◉COP10に来日する世界の人々へ瀬戸内のホット・スポット保全をアピール    瀬戸内の原風景を唯一残すこの素晴らしい海を埋め立てれば、取り返しがつかない。 世界的な貴重種の生息地を潰して、COP10のホスト国などとても務まらない。 世界のNGOや政府代表に英字新聞広告でアピールするために、ぜひカンパを! Hiroshima-Kaminoseki Link 呼びかけ発起人 湯浅正恵  

生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が、今月18日から29日まで名古屋で開催されます。それにあわせて上関原発計画についての意見広告を、英字新聞に出そうと考えています。  
海外からのメディアとNGO、そして政府代表団を対象に、生物多様性のホット・スポットを埋め立てる上関原発計画を告知し、生物多様性保全とは相容れない上関原発建設を日本政府が再考するよう強く促すことを目的としています。  
たとえ国民の声に耳を傾けない政府であっても、国際会議での交渉過程への影響を考慮すれば、海外参加者からの視線や声を無視することはできないでしょう。  また会期中に具体的な効果が現れないとしても、日本政府の特殊な原子力政策について、広く世界に注意を喚起するよい機会と考えます。  

広告は、原発建設予定地である田ノ浦の美しい海を中央に配置し、簡明なキャッチフレーズ「A Nuclear Plant Near Hiroshima?」を掲げ、その建設予定地が生物多様性のホット・スポットであることを記載します。  詳細情報のために、会期中に設置される日本生態学会のブース案内と、インターネット上のサイトアドレスを入れておきます。  意見広告掲載予定日は会期のできるだけ早い時期にと交渉中です。  掲載サイズは紙面半分(モノクロ)を考えていますが、カンパ目標額である120万円を集めることができなければ小さくなります。  皆様からの呼びかけとご支援次第で、新聞記事の大きさとインパクトが決まります。
一口1000円で一口以上のカンパを郵便口座に振込みください。 また、ひとりでも多くの方にお伝えください。 私たちの力で、日本政府へ、そして世界へ、祝島のそして私たちの声を  届けようではありませんか。
振込先 ゆうちょ銀行 〈記号〉15120 〈番号〉9928461 〈名義〉ヒロシマ-カミノセキ リンク 他金融機関からの振り込みの場合は、 〈店名〉五一八(ゴイチハチ)〈店番〉518 〈預金種目〉普通預金  〈口座番号〉0992846 COP10開催日18日を目標に17日までに、できるだけ多くのカンパをお願いします。
問い合わせ: nonukekaminoseki★yahoo.co.jpまで。(★は @ にご変更ください)。

呼びかけ人 青木克明(広島の医師)青原さとし(ドキュメンタリー映像作家) 赤司暸雄(10フィート映画を上映する下関市民の会代表)安藤志保(主婦)石井千穂 (広島市在住)石岡敬三(グローイングピース)石原 恵 (marru)磯崎 直美(marru)伊藤亜希子(solar gallery cafe shop LOTUSROOTSスタッフ)今井ひとみ(学生)今堀洋子(追手門学院大学 教員)上坂胡桃(東京・生活者ネットワーク)上里恵子(上関原発計画の根っこを見る会)浮田祥子(社会活動家、宮崎在住)浦田沙緒音(発信する子どもたち・代表)浦田千恵(発信する子どもたち・世話人)遠藤章人(上関原発を考える広島20代の会)遠藤京子(満月農園)大城研司(下関・東チモールの会)大槻オサム(Tremolo Angelos/ 単独旅行者)大月純子(わたしたちの性と生を語る会・広島)大谷正穂(下関市)岡田和樹(ハチの干潟調査隊)岡本珠代(岡本非暴力平和研究所)岡本法治(海と風と光の会) 岡本三夫(広島修道大学名誉教授)沖横田秀雄(元保育士)奥平真平・里沙・笑葉(百姓 ライオンバーガー屋LOLO)尾澤良平(もうひとつの社会がなきゃこの先希望がない若者同盟 共同代表)小野綾子(広島在住)小野島照子さん(世界平和記念聖堂)嘉指信雄(NO DU ヒロシマ・プロジェクト代表)加藤涼子 (Sally's Celebration) 金田芳人(上関原発建設予定地・田ノ浦住人)鎌仲ひとみ(映像作家)河本文江(原発いらん!山口ネットワーク)亀井英生(らぶ・あーすネット広島)北川あゆみ(佐賀在住)木村恵(原発いらん!山口ネットワーク)草地大作(日本基督教団西中国教区宣教委員会社会部委員長)國本悦郎(半農半X実践家) 肥塚侾司(カトリック正義と平和広島協議会)国分ひさ子(環・太田川)小中進(「上関原発」建設計画に反対する2市4町議会議員連盟会長)ゴトウイズミ(ヲルガン座主催/ミュージシャン)西塔文子(プルトニウム・アクション・ヒロシマ)坂田昌子(虔十の会)佐々木孝(第九条の会ヒロシマ)佐藤宏(econamazu) 柴田もゆる (日本基督教団西中国教区総会議長)清水敏保(上関町町議会議員) 白幡恵美(団体職員)惣光潤子(上関原発止めよう!広島ネットワーク)高橋伸明(ミュージシャン)武重登美子 (原発はいらん!山口ネットワーク)田島亜矢子(広島市在住)田辺公子(祝島を未来に紡ぐ会)竹本和友(ピースサイクル広島ネットワーク)谷瀬未紀(制作者/北九州在住)谷本仰(ヴァイオリン弾き/牧師) 月下美孝 (日本基督教団西中国教区核問題特別委員会委員長)寺尾敏幸(エコでピースな市民のひろば)照屋里美(東京在住・薬剤師)東条雅之(ジャーナリスト)利元克巳(ヒロシマ革新懇)冨田貴史(わたしにつながるいのちのために)中野信吾(morningdew farm)中野真衣子(morningdew farm)中村みや子(原発いらん!山口ネットワーク)那須圭子(原発いらん!山口ネットワーク)成田小二郎(カトリック大宮教会)難波郁江(広島YWCA)難波幸矢(日本基督教団東社会委員会委員長)ニシオカマユミ(翻訳者)西岡由紀夫(ピースリンク広島・呉・岩国)新田秀樹(ピースリンク広島・呉・岩国)西本益代(広島市在住)新田秀樹(ピースリンク広島・呉・岩国)沼田鈴子(被爆者)橋本久男(祝島漁師) 纐纈あや(映像作家)林尚志(神父下関労働教育センター)林美沙登(愛知県瀬戸市在住)原康司(シーカヤッカー)原田芳郎 (「東京原発」山口県上映実行委員会 代表)原戸祥次郎(森と水と土を考える会)平野彰(介護職)福富章夫(映画「東京原発」山口県内上映会推進会員)藤井純子(第九条の会ヒロシマ)藤本明美(原発いらん!山口ネットワーク)牧山員子(カトリック正義と平和広島協議会)増田千代子(ボイス・オブ・ヒロシマ)三浦翠(原発いらん!山口ネットワーク)溝口徹(横川シネマ)三末篤實(カトリック広島司教)宮﨑達雄(日本基督教団東中国教区総会議長)村上みのり・君子(玄米と旬の野菜MOMONGA)森瀧春子(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会)山口晴康(SLOW Turtle)山戸明子(祝島出身)山本紀久代(カトリック援助修道会)山本喜介(ジャーナリスト)山本裕美(上関原発を考える山口若衆の会共同代表)山本由紀子(天然酵母パンはな)湯浅正恵(広島市在住)Yoshie Ebihara (シンガー・ソングライター)吉岡すみれ(未来につながる生命(いのち)を育てる会)吉田由美子(生活クラブ生活協同組合・東京理事長)吉原弘貴 (会社員)吉村健次 (美しい錦川を未来へ手渡す会らん☆ぼう(山口在住)れいこう堂信恵(尾道れいこう堂)脇山都 (広島在住)渡辺朝香(「世界の命=広島の心」を歌おうよの会)渡部朋子(ANT-Hiroshima)渡田正弘(グローバリゼーションを問う広島ネットワーク)

2010年10月6日水曜日

またまた働き者

昨日働き者の私は3本のライブをこなした。
ホテルの仕事で太鼓を車に積んでは行ったり来たり。
Wヘッダーの事はよくあるが、トリプルはそんなには無いと思う。

同じ場所でと言うなら数々ある。
昔クラブのような処では1日4~5ステージは普通だった。
その頃は自分達がやってたロックやブルース、ジャズそれにカラオケがまだ浸透していなかった頃であるから、お客さんの唄のバック演奏もしていた。
勿論演歌の曲もあった。
リクエストがあったら、ギターリストが譜面を引っ張り出し、8ビートとか4ビート8分の6とかを私達に知らせすぐにカウントで始める。
これもなかなか緊張感があった。

また箱仕事として面白かったのは、私がオレンジと言うバンドをしてた頃。
冬、長野の白馬スキー場に2週間程行った事がある。
昼は大きなレストランとして営業している処が夜は全部ディスコに変わる。
今風に言うとクラブだ。
昼間は全く暇で、宛がわれた部屋で皆で殆ど麻雀、時々折角スキー場に来ているのだからと申し訳けない程度にスキー。
そして夜、もう一つのグループと替わりがわりに演奏する。
私達はハードロック一辺倒で押し切っていた。
今となっては懐かしい思い出だ。

まあ昔も今もお客さんが呼んでくれたら、どこへでも行くと言う姿勢は変わってないのではと思う。

2010年10月4日月曜日

「風人の祭り」等

秋も徐々に深まりつつある。
のんびり美味いものを食べて読書をする。
とはいかない。

土曜日は朝富山天龍太鼓に行き、昼から「御休の集い」に駆けつける。
場所は宮池公園、山並みに囲まれ、大きな池があり風情のある処だ。
開会の挨拶、梵鐘突きの後、御休和太鼓チームの演奏。
銭太鼓、ハワイアン等の催しがあり、最後に鼓空の演奏。
雨降りの可能性大だったが、私の平生の行い故晴天に恵まれた。

祭り終了後、太鼓を車に積み、山陽道に乗り、一路倉敷に。
ロータリークラブのイベントがあり、それに出演する為だ。
慌ただしくもあったが、何とかお客さんも喜んでくれたので良かった。

翌日日曜日、朝7時に道場に集合岡山空港の側、藤ヶ鳴に向かう。
「風人の祭り」に出演する為だ。
着いてすぐリハーサル。
無線のヘッドマイクの調子が今一つ。
無線は周りの環境による変化を受け易い。
私みたいにデリケートだ。

祭りはスカのコジスカオーケストラから始まり、まーちゃんの祈り私も太鼓を叩く。
そして鼓空の出番。
途中、国文祭でやるダラブッカ、カホン、バスタムの曲も披露する。
鼓空の後はRONさん、そしてうらじゃ踊連が3つ。
どれもオリジナリティーがあって面白い。
そして瑠音さん、風の紙芝居たけちゃんだ。
たけちゃんは素直で気持ちの良い人だ。

次にゴスペルWomb&theJOY CHOIR
素晴らしかった。
率いているのは、数年前にご一緒した、じゅんこさん。
彼女の人を引っ張って行く力にはいつも感嘆する。

Coco Meg and 風人達の「つながっている命」の唄の後、いよいよ南ぬ風人まーちゃんバンドのステージ。
エイサーのぶどぅりー太鼓で始まった。
まーちゃん唄声、りほちゃん、あおいちゃん、さとる君のハモリ、合いの手、そして三味線(さんしん)が気持ち良い。
最後はみんなでカチャーシーを踊った。
良い祭りとなった。

岡山では初めての「風人の祭り」
スタッフのみんなも1年前から準備を進めて来た。
かなり大変だったと思う。
私達も3年に一度ぐらい「鼓空祭」をしていて、祭りを開く事の大変さはよくわかる。
しかし集まってくれる人達が一つになれる祭りはこれからの時代を作って行く大きな原動力になると思う。

スタッフの皆さん、出演者の皆さん、そしてお客さん お疲れ様でした。

2010年9月30日木曜日

祭り

早いもので9月も今日で終わり。
10月に入るとあちこちで秋祭りが始まる。
鼓空もいくつかの祭りに呼ばれているので紹介したい。


10月2日(土)
御休の集い  午後1時より  岡山市東区 御休宮池公園

10月3日(日)
風人の祭   午後12時開場 1時開演 岡山市北区 レスパール藤ヶ鳴 
         ゲスト 南ぬ風人まーちゃんバンド Womb&theJOYCHOIR 音薬師RON 瑠音 コジスカオーケストラ 風の紙芝居師たけちゃん うらじゃ踊り連「俄嘉屋・鬼ごろし・乱舞最中」 beZen鼓空

10月10日(日)
福田秋祭り  午前10時より  岡山市福田地区 八幡宮

10月11日(月) 
春日神社秋祭り  午前10時より 岡山市西大寺阿知

10月23日(土)24日(日)
龍神祭  23日午後5時より  岡山市東山 玉井宮東照宮


お近くの方は是非お出かけ下さい。

なお詳しい内容の知りたい方はホームページ http://shun-oto.net/ から入り連絡して下さい。

2010年9月29日水曜日

睡魔

急激に気温も下がり秋が来た。

私はと言えば深夜目覚めて眠れなくなったり、昼間急に眠くなったりと訳がわからない状態が続く。
で面倒なので起きたら起きる、眠たくなったら寝ると為すがままの生活。
ただ困るのは人と会っている時。
昨日もメンバーと一つ仕事を終え、もう一人のメンバーも誘い一緒に昼食を摂った。
帰りに「家に来てお茶しませんか?」と言われ迷う事なくお邪魔する。
気持ち良いソファに座りのんびりしていると睡魔が来る。
またまた寝てしまった。
我が家ならともかく人の家で寝てはまずいだろう。
結局6時近くまでいた。


今また百害あって一利無しのモーが膝の上に上がって来た。
人の事は考えず寝たい時に寝る。
何の反省も無し。

私も見習うべきか、否や?

2010年9月27日月曜日

働き者

昨日は朝8時から部落の作業があった。
農道の草刈と用水の溝さらえだ。
普段は別の日にする事が多いのだが、今回は一緒にした。
私は非農家ではあるが、部落の仕事は積極的にする事にしている。
多少の防音はしているが、太鼓の音は漏れている。
申し訳ないと言う気持ちからだ。
作業が終わったのは12時前だった。

午後は岡山のスタジオでバレエとの合同練習。
初めて会う二人のダンサーとの合わせもあった。
テンポが瞬間に変わって行くノーリズムの踊り。
呼吸と感情移入だけで合わせて行く。
緊張感もあるが、ぴったし合えば気持ち良い。

働き者の私、この日も良く働いた。
夜は酒を飲みながらバタンキューだった。

2010年9月24日金曜日

やれば出来る

最近昼食後に眠くなる。
前からその傾向があったが、この処著しい。
テレビを観つつ寝てしまう。
でもそのお陰で私の体も徐々に夏から秋に順応しているのかも知れない。

内の猫も寝てばかりだ。
今は私の膝の上で寝ている。
一匹だけで気持ち良く寝てると癪なので、耳を引っ張たり、口髭を引っ張たりして起こすようにしている。

先程ヨカに行って来た。
毎回いつものポーズとは別に新たなポーズが加わる。
今日は相撲のしこに似た形が入った。
膝を直角にしたまま耐える。
これはきつい。
先生はいつも「皆さん、周りの人と比較しないで、自分のペースでやって下さいね。」と言われる。
しかしながら柔軟性では劣る私としては、少なくとも耐久力ではそんなに早く音を上げたくは無い。
ひたすら頑張る。
先生の「元に戻して下さい。」の声にほっとする。
死ぬ処だった。

猫も寝ててばかりじゃ駄目だ
パソコンが打てるか試してみよう。
ニャーと打たそうと思ったら手を噛まれた。
細かい字は難しいのでスペースだけ      出来た。
やれば出来るではないか。

今度は猫背矯正だ。

2010年9月22日水曜日

まだ夕方4時なのに、外は曇天、薄暗い。
雷が鳴り、横殴りの大雨が降り出した。
今まで暑い夏の天気が続いていただけに、改めてこんな天気もあるよなぁと感じる。

今家の近くで大きな雷の音。
かなりの迫力だ。
落ちたのかも知れない。

近所の果樹園の鶏がコケコッコーと啼いた。
これは尋常ではないと思ったのだろう。
山の鳥達も啼き始めた。
天変地異でも起きるかのようだ。

しかるにウチの牛猫モーはソファーの上でゴロンと昼寝。
起きようとはしない。

馬鹿なのか?
いや牛猫だ。

餌を与えるとすぐに起きるだろう。

2010年9月20日月曜日

ゆっくり

先週末からの会議、打ち合わせ、外での指導が続き、また2つのライブと忙しかった。
夏から秋への気候の変化もあり、多少バテ気味。
こんな時はビールでも飲みながらボケッとテレビでも観るのがいいかも知れない。
ゆっくり今日は休む事にしよう。

2010年9月16日木曜日

直島

瀬戸内芸術祭が開かれている。
前回は女木島に行ったが、今回は直島だ。
女木島の時は男木島も一緒に行く予定だったが時間切れになった事もあり、今回は朝早く出た。
宇野港で9時22分発のフェリーに乗り約20分程で直島の宮浦港に着く。
まずはバスで地中美術館に行く。
平日にも関わらず訪れる人は多い。
入館の為の整理券を貰う。
2時間待ちだった為とりあえず先に李兎ファン(漢字が見つからない)美術館とベネッセハウスミュージアムに歩いて行く。
どちらも無駄な空間造りの天才、安藤忠雄氏の建築だ。
李兎ファン氏の作品は鉄板と石の組合わせが多い。
これが安藤氏の空間と非常にマッチする。
鉄板と石を置いただけのアートだから、訪れる人もただ鉄板と石を見ている。
ちょっと笑みがこぼれる。

ベネッセハウスミュージアムの各作品も単純で面白い。
石や流木を円形に並べただけの物、たくさんのウルトラマンのフィギアに万歳をさせ4分の1の円に並べ、それを2枚の直角の鏡に反射させ完全な円にして見せている物など非常にわかりやすくて気持ち良い。
また無駄な空間の中に寝転がれる大きな岩も置かれている。
私が一番面白かったのは壁に掛かかっている安藤氏の書いた島と建物のデッサンの絵である。
縦1m横2m50cmぐらいの額に入っているのだが、いい加減な事この上なし。
あんなのなら私でも描ける。
まあそのいい加減さが緊張感を解いて、リラックスを生んでいるのかも知れないが。

地中美術館も安藤氏の建築である。
やはり無駄な空間オンパレードだ。
その中にクロード・モネの作品やウォルター・デ・マリアの作品が飾られている。
どれも安藤氏の作る空間とマッチしている。
流石だ。

美術館を出ると一度宮浦港まで戻る。
出来たら男木島に渡ろうかと思ったが、時間的に難しい。
またまた2島追う者1島を得ずだ。
しかるに1島に絞ったからには銭湯に行こうと思った。
I ラブ 湯 と言う中にアートを飾っている変わった銭湯。
しかしながら行ってみると、たくさんの人が入る順番を待っている。
銭湯の順番待ちと言うのは本来リラックス出来る場所からしては逸脱している。
断念した。
しばし宮浦の昔ながらの家々の間を通っている小道を探索してから、もうj一つの港のある本村に行った。
ここでもアートを展示している場所を幾つか覗いた。
帰りは本村港からフェリーで宇野に。
一日中よく歩いた。
帰ってから少し酒を飲むと朝まで熟睡だった。

2010年9月13日月曜日

普門院

昨日は赤磐市の山口にある普門院というお寺さんに行った。
山口は山陽町と金川を結ぶ線にある。
普門院さんは山をちょっと上がった処にあり、風通しもよく気持ちのいいお寺さんだ。

なぜ行ったかであるが、実はGONNA(ガナ)のライブがあったのである。
GONNAはマリンバの浅岡栄子さんを中心に和太鼓、ドラムの編成で昨日はそれにマリンバの方がもう一人とバイオリンの方が加わっていた。
今回は演奏のテーマがあり、マリンバという楽器ができて来た経緯、歴史を探るというものだった。

最初はアフリカのバラホン(木琴の下に中に蜘蛛の巣を張らせた瓢箪が付いている)の紹介そしてジャンベと合わせて演奏。
次にジプシーの音楽、ダラブッカも使っていた。
そしてヨーロッパのクラシックの演奏。
Amazing Graceの演奏をしつつ中南米へラテンの演奏。
カホンも入る。
中南米ではマリンバの下の共鳴の筒は木で作られていた。
最後にアメリカここで現在のように金属の筒が付けられるようになったらしい。

どの曲もマリンバの浅岡栄子さんが全体の流れを作り、それに和太鼓、ドラムが合わせてくる感じ。
和太鼓、ドラム、パーカッション系の楽器を使う処は鼓空と似た感じだが、何と言ってもマリンバという打楽器でもあり、メロディーがあり、ハーモニーが付けられる楽器の存在は大きい。
また浅岡栄子さんのあっけらかんとした喋りも楽しい。

GONNAは昨年の岡山県和太鼓連盟のコンサートで来てくれたし、今年開かれる国民文化祭でもゲストで来てくれる。
演奏後彼等も私達の事を覚えてくれていたので、軽くお話をし握手をして普門院を跡にした。
いい一日だった。

2010年9月11日土曜日

のんびり

この週末は珍しく何も無い。
と言うのも四国最後のお遍路に行く予定だったが諸事情から延期する事にしたのだ。
でテレビを観たり、本を読んだり、猫のモーをからかったりして過ごしている。
天気も多少は涼しく過ごし易くなっているみたいだ。
これから徐々に忙しくなって来そうなので、今の内にのんびりしたい。

2010年9月9日木曜日

祝島

昨日から山口県の祝島の向かいに建設されようとしている上関原発についてのメールが送られて来ている。
以前にここでも書いたが私は原発に反対である。
地元の皆さんは、瀬戸内海を汚し、農水産物の放射能汚染が懸念される原発には長きに渡って反対運動を続けて来ている。

国、中国電力は安全安全と言い張るが、全く安全だと言う根拠は無い。
事実、原発で定期検査をしている作業員でさえ、被爆している。
ほんの何分間で検査作業を終えないと危険だし、年間通しての被爆量も決められている。
海の中にも空にも放射能が流れている。

建物は地震にも耐えうると言うが、地震の基準値があり、それ以上の地震は想定していない。
大体人間がする事に完全など言うものなどある筈が無い。

また一度稼動し始めた原発は放射能漏れの為解体すら出来ない。
こんな危険な物を安全だと最もらしく言う国、電力会社一体何なんだろう。

私も自分に出来る抗議活動をしたいと思う。

2010年9月7日火曜日

牛猫

ホルスタイン柄の牛猫モー、この暑さでバテ気味。
私の横でダレッとしている。
私ちょっかいを出す。
嫌がり私の指を噛みに来る。
まだ余力は残ってそう。
そりゃそうだ。
食欲は全く落ちてないのだから。

2010年9月5日日曜日

麦酒

最近暑さゆえ、我がビールの消費量が多い。
まあ戴いているのはビール、自分で買うのは発泡酒だが。

今日は朝WA!の会の練習があり、終わるや500mlのロング缶1本、昼飯の後350mlを1本、夕方から部落のお日待ちがあり、帰って350mlを1本とまあこんな感じ。
自制心も何もありゃしない。
まだこれから夜も長いというのに。

外ではライブの後に食事に入ると、車の運転もあるので、ノンアルコールビールを頼む時がある。
まあ味は今一だが、とりあえず喉元過ぎれば暑さ忘れる、何か違うな。

以前そば屋さんに入って、ノンアルコールビールを頼んだ。
そうしたらしばらくして顔が火照って来た。
おかしいと思いビール瓶をよく見ると、普通のビールだった。
店のおばちゃんに言うと「あれっ間違えちゃった。」で終わってしまった。
私はその後車で帰るに帰れず、店の周りを何時間も無駄にぶらぶらするしかなかった。
「貴重な時間を返してくれ、おばちゃん!」
と言いたかったが、心優しき私は何も言わなかった。

私はそれ以後一応ラベルのチェックをするようになった。
私には学習能力があるのだ。

2010年9月3日金曜日

長月

秋が来た。
私は9月10月11月を秋と決めている。
だが暑い。
うちの猫もだれてて、クーラーの室外機の前で流れ出す水の中に横たわっている。
本来水に濡れる事を嫌がる猫だが、この暑さの前では好き嫌いを言ってる余裕は無い。
だれてるのは猫だけじゃあ無い。
このパソコンもだれている。
半腰状態立ち上がるのに凄く時間がかかる。

私はと言えば太鼓を叩く時も勿論汗をかくが、じっとしているだけでも汗をかく。
まあ昨今テレビでも一日中クーラーの中にいる人は汗腺が退化していて汗がかけず、体温調整が出来なくなっていると言っているから、汗がかけるだけまだいいのかも知れない。

そんな中一昨日は倉敷のアイビースクエアーに太鼓を叩きに行って来た。
ここの中庭のステージでは以前クラッシックバレエの人達と共演した事がある。
観光地であるが、なかなかいい処である。

今日は久しぶりにヨカに行った。
この処忙しくてなかなか行けなかった。
一人ではとても出来ないヨカ、気持ち良かった。

2010年8月30日月曜日

アイヌの人達

昨日は神戸の三宮にあるライブハウス鉋に行った。
アイヌ・アート・プロジェクトのライブがあり、それに友情出演する為だ。
彼等とは一昨年の大阪での「風人の祭り」でもご一緒していた。
久しぶりの再会の握手から始まった。

ライブハウス内の壁やテーブルにはアイヌの彫り物や刺繍や織布が陳列されていた。
ライブは2時から8時までと長く、2部構成で、両方とも鼓空がトップバッターであった。
私達は一部は和太鼓中心の曲、2部はダラブッカ、カホン、バスタムで演奏したり、アフリカンのメドレー、唄の入った曲等をした。
私達の次は「みなみな」というグループで、みなみなと言う言葉はアイヌ語でニコニコという意味だそうだ。
アイヌの昔から伝わる唄や口琴の演奏、弓を持った踊りを見せてくれる。
どれも対自然を感じさせてくれる。
最後にアイヌ語の話を日本語に訳しながら教えてくれた。
それにしても日本にはたくさんの方言があると思うが、アイヌ語だけは全く違う言語だ。
名詞もぜんぜん重なっていない。
同じ日本の中で不思議と言えば不思議だ。

今までの歴史からすれば、かなりの迫害、弾圧を受けて来たのだろう。
文化自体が抹殺され続けて来た。
今回のイベントも豊かで美しいアイヌの文化を多くの人に知って貰い、また次世代にも繋げようという意味がある。

みなみなの後はギターの弾き語り、ディジュリドゥーの演奏、アイヌの伝統楽器5弦琴のトンコリの演奏があった。
そしてアイヌ・アート・プロジェクトの演奏。
ヴォーカル、フレームドラムのような太鼓、ギター2本、カホン、キーボード、ディジュリドゥーの編成だ。
アイヌ語の唄の中に鳥の鳴き声や掛け声が一杯入る。
迫力の中にも大らかさを感じる。
こうした文化が本当に次世代にも繋がって行けばいいなぁと思う。

8時前に無事2部が終わり、またの再会を期して皆さんと握手を交わし帰途に着いた。
たくさんのアイヌの方々に囲まれての1日だった。

2010年8月27日金曜日

倉敷

昨日はまたダンサーとの合同練習があった。
今回、国民文化祭の洋舞フェスティバルでは倉敷の大原美術館がテーマになっている。
私達が演奏するのは3場面だ。

棟方志功の神々の世界「門舞神」は男性2人女性2人が踊る。
大原孫三郎が奨学生を海外に派遣する場面は20人くらい。
そして大原孫三郎と児島虎次郎の2人の場面がある。

私達も昨日の練習の感じから8割ぐらいは理解したような気がする。
しかしこれからが勝負。
ダンサーの呼吸タイミングをもっと掴む必要がある。
生のライブだからこそ出来る緊張感を大事にしたい。

今日は本番のある倉敷市民会館でのリハーサルがある。
楽しく頑張りたい。

2010年8月25日水曜日

クラクラ

頭がクラクラするぞよ。

朝元気な婦人部隊の練習。
昼2時から体育館で中学生の指導。
なんでこんな時間にとも思うが、他に時間が取れなかったのだから仕方が無い。
私は活を入れる立場、生徒以上に気合を入れる。
まあきつくとも始まれば終わるもの。
なんとか2時間を終え今帰って来た。

これから冷たいビールで頭と体を冷やし、しばし休憩。
夜の鼓空の練習に備えたい。

全部終わったらウイスキーのロックを浴びよう。

2010年8月23日月曜日

夏稽古

私の教えてるどこのチームも普段と同じように練習が続いてる。

子供達も夏休みのなのによく来るなぁと思う。
暑い中来たら来たで文句ばかり言われるのだから、泣きっ面に蜂って処か。
私も暑いから子供達に「同じ事を何度も言わせるな!」と怒鳴る。
この甲斐あってかどうか、今日の子供達は練習に気合が入っていた。
折角暑いのに練習しに来てるのだから、いつか子供達にはそれに伴う成果、喜びを感じる経験をして貰いたい。

昨年夏に岡山のある中学校の生徒を教えた。
秋の文化祭に和太鼓の演奏をしたいと言うので、それに応えた。
今年は比較的近い上道中学校の生徒が同じく文化祭でと言うので今教えている。
だいたい10時間で短い曲を1曲仕上げると言う感じだ。

文化祭だけの為だけの練習だから、終わればそれっきりとなる。
何か手ごたえがあるようで無い感じだが、おそらくやった生徒は一生記憶に残るんだろう。
生徒の体に少しでもリズムが入るんなら、すぐに手ごたえを感じられなくとも、やがて彼等の中で何らかの働きをするのかも知れない。

それを信じてしっかりしごいてやろうと思う。

2010年8月21日土曜日

夕涼み会

8月も後半に入っているのに、まだ暑い日が続いている。
まああまり暑い暑いと言ってたら、インド人もアラビア人も腹を抱えて笑うかも知れないが。
されど暑い。
私はきつくとも夏が好きだ。
体内のポテンシャルが高まるのだろうか。
以前冷夏から秋が来た事があったが、これは何かやるせない感じだった。

今日は朝富山天龍太鼓に行き、夕方から御休の夏祭り(夕涼み会)に行った。
御休小の子供達も太鼓を叩いた。
この地区の祭りだから、御休小出身の中学生達も来てた。
皆大きくなっていて驚く。
大きくなっていないのは私だけか。

PTAの皆さんがアイスクリームやフランクフルト、飲み物を用意している。
太鼓の世話をして戴いている高0さんが、天体望遠鏡を持って来てくれた。
私も北斗七星の中で一見一つの星のようだが、実は二重星である星を見せて貰った。
肉眼ではわからないが、望遠鏡を覗くとはっきり二つの星がわかる。
また月も見せて貰った。
クレーターがくっきり見える。
恐るべき天体望遠鏡だった。

祭りの最後はうらじゃを皆で踊っていた。
私は何故か祭りでは踊る気がしない。
じっと腕を組んで見ていた。

夏祭りももうどこの地区も終わりだろう。
涼しくなったら秋祭りか。

収穫の秋、味覚の秋もすぐ側まで来ているのかも。

2010年8月18日水曜日

アート ガーデン

今朝は岡山駅西口から少しの処にあるアート ガーデンというギャラリーに行った。

龍神祭でいつもお世話になっている書道家の曽我英丘先生の個展がここで開かれ、今日がそのオープニングであった。
今回はオーストリアのウィーンを拠点に活躍している梶浦徳雄氏との2人展だった。
オープニングの前に曽我先生から梶浦氏を紹介して戴く。
私は名刺を差し出し挨拶をする。
お顔を拝見すると何故が馴染みのある顔、先方もすぐに気付く。
なんと中学校の同級生だった。

彼は岡山から東京芸大の大学院油科を卒業した後、国立ウィーン美術大学彫刻科で学び、そのままウイーンに住み、創作活動を続けているらしい。
久しぶりに頑張っている友の姿を見て、私も嬉しくなる。

彼の作品は壁に黒に塗られた角材を組み合わせて、拡がりのある空間を表した物や、木っ端にいろいろ彫刻した物を並べたり、また多重空間を部屋を位相する事で表現した絵であったりと視点がユニークで面白かった。

曽我先生は書道会の重鎮である。
先生の話を聞いていると、なんとも言えず大らかな気持ちになる。
作品もそうで今回は漢詩を書いた物や「天地の利」 「是空の世界」 そして「神龍」といった大作も出展されていた。
「是空の世界」は上に横一らしき物 下に水の字らしき物が書かれているが、字では無い。
水らしき物も左から書かれている。
先生に聞くとやはり字では無く、感覚で書いたと仰っていた。

今回私がお邪魔した理由は、先生の作品「神龍」が玉井宮東照宮の龍神祭に合わせて奉納される事になっていて、龍が動き出す前に宮司さんにお払いをして戴き、龍によって人々の心が清められるよう祈る神事する事になったのである。

で私はであるが、宮司さんから大払いの祝詞を挙げる時に太鼓を叩いて下さいと言われたのである。
私は「神龍」を見ながら、宮司さんの祝詞を聞きながら即興で太鼓を叩いた。

神事が終わった後はよりすっきりした気分になった。
お客さんの中に以前岡山に住んでいた時のご近所の方が2人おられた。

今回曽我先生のお陰で、懐かしい方々にも会え嬉しかった。

2010年8月16日月曜日

女木島

瀬戸内国際芸術祭が開かれている。
直島 小豆島 豊島 犬島 男木島 女木島等でいろいろな芸術の試みがされている。
私も折角の催しなので出来るだけ見てみたいと思う。

昨日は特に予定も入ってなかったので、急遽行く事にした。
家を出たのが10時で遅かったし、盆で人も多いだろうから、比較的小さそうな女木島、男木島に行く事にした。
まずは宇高国道フェリーで高松にそして乗り換え女木島に行った。
久々の船旅だ。
女木島の港からはまずはバスで山の上にある大洞窟へ。
女木島は昔鬼が住んでいたらしく鬼が島とも呼ばれている。
大洞窟は鬼の住処だ。
涼しいのが嬉しい。
中の部屋には大きな鬼が金棒を持っている像が幾つもある。
あまり大きいのであれでは小さい入り口、出口からは出られないだろう。
何とした事か?

大洞窟を出てからは展望台に。
流石に景色は良い。
瀬戸内海に浮かぶ島々、四国が一望出来る。

バスで山を降りてから、福武ハウス2010に行って、いろんな人の作品を見る。
皆凝っている。
私としてはもっとストレートな方がいいかなと思った。

ハウスを出てからは側の海水浴場へ。
氷イチゴを食べたり、海水浴している人達を見たり、神社でのんびりした。

この後男木島に行く事も出来たが、二島追う者は一島も得ずと言う昔からの諺もあるので、またの機会にする事にした。

暑い一日であった。

2010年8月14日土曜日

バレエ

秋の国民文化祭が徐々に近づいて来た。
私達は総社市で開かれる「和太鼓の競演」と倉敷市で開かれる「洋舞フェスティバル」に出演する。
今はどちらの準備にも追われている。
和太鼓は岡山がホスト役という事もあり、和太鼓連盟としての仕事がある。

バレエはバック演奏の事だけを考えれば良いのだが、今の処3曲。
内容は
① 棟方志功の「神々の世界」を和太鼓で演奏する。
② 大原孫三郎の援助で多くの奨学生が海外に旅立つ場面、これをダラブッカ、バスタム、カホン、シンバルで演奏する。
③ 児島虎二郎と大原孫三郎の関係を私の和太鼓ソロで演奏する。

こんな感じである。
大役と言えば大役でよく私達に3曲も依頼して戴けたものだと思う。

まあ3曲とも一応の段取りは付いた。
後はより完成度を上げる事だと思う。

皆さんの期待に沿えるよう頑張りたい。

2010年8月13日金曜日

原生林

岡山県の東北部に位置する西粟倉、東粟倉に行った。
一番の目的は氷ノ山後山那岐山国定公園にある若杉原生林だった。
少し前に熊森協会の人達の案内で歩くという催しがあったが、私は所用の為参加出来なかった。
実際に行ってみると樹齢200年のぶな、かえで、みずならの木々が生え、そして吉井川の源流があり、気持ちの休まる処だ。
熊に注意の看板も立っていたが、もしここで会ってもお互いリラックスして会えそうという感じ。
昔はここらの山師の人達は山に入る度にいつも何匹かの熊に会っていたそうだ。
しかし今では岡山県で4頭しか確認されていない。
そしてその4頭の形跡も最近は見られないと言う。
熊が住む事のできる広葉樹林は水を豊富に蓄える事ができ、人にとっても非常に大切だ。
守って行かねば・・・

しばらく森林浴を楽しんだ後、東粟倉に行った。
ここの村には山際に愛の村パークという道の駅を大きくしたような処があり、以前鼓空も夏のイベントに参加させて貰った事がある。
久しぶりに中に入り、販売されている果物や野菜、加工品を見たりソフトクリームを食べてから、もう少し山を登り、野間さんという方の工房に行った。
彼はここで手作りの家具を作っている。
栗や山桜、樫、けやきで作られた手彫りの食器、机、椅子どれを見ても温かみがあって良い。

私はひと月程前からダラブッカを演奏する為の椅子を探していた。
これを見つけるのは簡単そうで実に難しい。
持ち運びの良い折りたたみ椅子で探してたのだが、座る処までの高さが38cmぐらいが理想なのだが、通常売られている物は46cmぐらい、今まで見た中で一番低いのは41cmだった。
椅子が高いと演奏中にダラブッカが前に転がるのだ。

早速野間さんの作られたスツールを拝見、座り心地はどれも抜群だ。
座り易いように尻の形に合わせて掘り込んである。
足の4本は猫足のようになっていて可愛い。
高さは39cm~41cmぐらい。
塗りも素材そのままを出した物、漆塗りの物、アクリル系の物とある。

野間さんは寸法希望を出してくれたら、作りますよと言ってくれた。
気になるのはお値段。
3万円から~だ。

出費のかさむ昨今熟慮が必要だ。
とりあえず、写真の入った印刷物だけを貰って失礼した。
いやはや、良い物は良いって感じか。

2010年8月9日月曜日

B.B.Q

昨日は我が部落の夏祭りがあった。
まだ昼間は暑いが陽の沈む頃になると外では過ごし易い。
いつもながら大人達は公民館の前でB.B.Qを焼き、子供達はまんどの花火を打ち上げる。
私も飲み食べながら部落の人達と話しをし、のんびりした時を過ごした。

明日も夕方からB.B.Qがある。
場所は玉井宮東照宮さんで、毎年行われる「龍神祭」のスタッフの懇親会である。
ここもいろんな興味深き人達が集まるので面白い。
去年は「龍神祭」のプレイベントもしたのでなかなか大変だったが、今年は玉井宮東照宮さんだけに焦点を合わせればいいので気は楽だ。
ゆっくり夕餉を楽しめそう。

こうして夏の風物詩のB.B.Qが続くが、B.B.Qと言ったら思い出す事がある。
私がオークランドと言う黒人の人達が多いエリアに住んでいた時の事だ。
治安も決して良い場所では無かった。
しかしながら家賃も安かったし、管理人の人が親切で良い方だったのでここに決めた。

住み始めて、黒人社会は外部の人達には閉鎖的だという事がわかった。
朝近所の人に「Good morning]と声をかけても、全く無視である。
これがずっと続いた。
しかし内のアパートの隣がFrint‘sというB.B.Q屋さんであった。
ここのB.B.Qは味も良く、ベイエリアでは結構有名だった。
私もここでB.B.Qを買っている内にここの主人のMr.Greenと仲良くなった。
Mr.Greenは年配の方だったが、このエリアでは信望の厚い人だった。
この頃から周りの人達の態度が変わって来た。
道で会っても
「Hey.brother How are you doing?」
と声をかけてくれるようになったのである。
やっと受け入れて貰った感じがして嬉しかった。

ある時こんな事があった。
私は20年以上前のぼろぼろのフォルクスワーゲンに乗っていた。
この車、ある日アパートの前の通りで動かなくなった。
そうすると、どこともなく黒人の人達が3~4人出て来て、近くの修理屋さんまで押してくれたのである。
有り難かった。

懐かしい思い出だ。

2010年8月7日土曜日

叱る

今朝は富山天0太鼓に行った。
私は月に2回指導に行っているのだが、練習は毎週している。
私がいない時は、大人が子供達に教えている。

今日は私がいない時にどのように教えたらいいのかと言う質問を頂いた。
なかなか子供が言う事を聞いてくれないと言うのだ。
富山は公民館活動の一環なので楽しくと言う事が基本で怒るには限度があると言う。

確かに私もいろんな処で子供を教えているが最近は難しい面がある。
まず子供は皆思い思いの事をし始めて、大人の話をきちんと聞こうとしない。

私は子供が言う事を聞かないのは親にも大きな責任があると思っている。
小学校に上がる前に躾けが全く出来て無いのだ。
甘やかし過ぎている。
親自身が自信が無く、どう躾けていいかわかってない感じがする。
それなのに内では子供をのびのび育てています的顔をするのだ。
後で苦労するのは子供自身なのに。
困ったものだ。

私には叱る基準が一つだけある。
子供は自由に何をしてもいいが、ただ人に迷惑だけはかけるなという事である。
そこしか叱る基準は無い。
何かを伝えようとしている時、無駄口を叩いたり、暴れたりしたら叱る。
他の人が聞けなくなるからだ。

子供達には自分の行動が人に迷惑がかかっているかどうかだけ瞬時にわかるだけの感性を持って貰いたい。

2010年8月5日木曜日

熱帯夜

暑い日が続いている。
私達の道場にはクーラーがあって午後2時からの練習もいつも通りする事が出来る。

しかし自宅にはクーラーが無い。
一つには前に大きな池がある事、また少し高台にあって東の窓と西の窓を開けると多少ながら風が抜けるという事があり、クーラー無しでもぎりぎり何とかやっていける。

しかし今年は例年より暑い。
私は朝は西の部屋で朝日をかわし、午後からは東の部屋で西日をかわしている。
また夜いつも寝室の窓をどうするか考える。
2方向に窓があり、2つとも開けるかそれとも片方だけにするか。
また全開にするか否か。
風のある日は片方だけにするという様に。

よく薄着をしていると寝冷えをすると言うが、今ぐらいの熱帯夜なら全く問題は無い。
おそらく素っ裸でも大丈夫だろう。
しかしもし万が一風邪をひくと仕事にも差し支えるので、一応窓の事を考え、上半身は何か身に付けるようにしている。

こんな熱帯夜の日が続いているが、たまにふと涼しい風が入って来る事がある。
これって秋の前触れかなぁと感じる。

私は暑くても夏が好きだから、もう少し汗かきかきでも夏を楽しみたい。

2010年8月3日火曜日

讃岐

宿泊設備の無い温泉を出て、夜を明かす場所を探していたが、結局松山道の入野PAにした。
ビールと日本酒を車の中で飲んでいると、再び睡魔で撃沈。

朝5時過ぎに起き、次の三角寺に向かう。
三角寺は平地にあるのかと思っていたが、標高430mの処にあった。
本尊十一面観世音菩薩。

参拝を済ませてから、いよいよ四国霊場でもっとも高い(標高911m)雲辺寺に向かう。
ロープウェイもあるが私は車で登った。
参道やはり紫陽花が迎えてくれる。
お寺は山の頂きにあるが広い。
本尊は千手観世音菩薩。

朝のお寺は気持ち良い。
参拝後に五百羅漢を見たり、境内の中を散策する。
帰り道森の中ダラブッカで遊ぶ。
叩いた音が木々に木霊し返って来る。
かっこうが啼き始めた。

山を降りて大興寺、神恵院、観音寺、本山寺、弥谷寺、曼荼羅寺、出釈迦寺、甲山寺と廻る。
そして弘法大師が生まれた地、善通寺に入る。
善通寺は高野山の金剛峰寺、京都の東寺とならぶ弘法大師ゆかりの3大霊跡の一つである。
境内はとてつもなく広く、一般の参拝者も多かった。
本尊は薬師如来。
参拝後、他の寺と同様に納経帳に記して戴き、寺を出た。

次の金倉寺、そして第77番札所の道隆寺を廻った処で5時が来た。
もう瀬戸大橋の側だった。
今回の旅はしまなみ海道から瀬戸大橋にたどり着く旅でもあった。
廻ったお寺は24ヶ所。

2日間かなり暑かった。
水分を摂りながらの走行だった。
しかし走った距離は560km。
前回のの1000km弱に比べたらかなり楽であった。

後11のお寺が残っている。
今度いつ行けるかまだわからないが、遍路も終盤を迎えてきた。

2010年8月2日月曜日

しまなみ海道から

先週金曜日の夜、しまなみ街道を通り四国に渡った。
プチお遍路4回目である。
来島海峡SAで仮眠をとり、朝6時過ぎには今治の第54番札所の延命寺に着いた。
参拝を終えても時間はまだ6時45分。
納経所はどこも7時からなのだが、私を見た方はいいですよと受け付けてくれた。
有り難い。
これで現総理、管直人氏を超えた事になる。
次期総理に出馬するか。

延命寺の次は今治市内の南光坊。
本尊は大通智勝如来さん。
私はおそらく初めて参拝する如来さんだ。
お参りした後納経所に行くと、
そこの方が私に「どちらから来られました?」
と聞かれるので岡山ですと答えると珍しいお名前ですねと言われる。
この方は参拝者の名前を見るのが好きならしく、いつも納経帳の名前を見られるらしい。
しばらく話をした後、地図などを下さり、お寺を出た。

この後、摩訶不思議な事が起きる。
実は今治には30年以上の付き合いのある龍0ちゃんがいる。
彼はつい最近までやはり愛媛の丹原という所に住んでいた。
が少し前に実家の今治に帰っていた。
私もその事は知っていたのだが、実家の場所までは知らなかった。
今回会おうかなとも考えたが、私が通る時間も定かでなかったし、会ってもゆっくり出来ないだろうと彼には連絡してなかった。

ところがである。
南光坊の後次の泰山寺に向かおうとしたら、市街地で方向がわからなくなった。
で道の隅に車を止めて地図を見ていたら、運転席のウインドウをコツコツ叩く人が。
それが龍0ちゃんだった。
彼は夜勤後、自転車で家に帰っている処だった。
ふと運転席を見たら私だったというのだ。
しかも通常なら彼はもっと遅くまで仕事をしてるらしい、がこの日は交代の人が早く来たので早く終わる事が出来たと言う。

たまたま間違えた道が、龍0ちゃんの通勤の道だった事
ほんの数分止まっていた処に龍0ちゃんが自転車で通った事
彼が運転席の私に気付いた事

こんな偶然が重なろうとは不思議としか言えない。
泊まって行くようにとも勧められたが、どこまで行くかわからない旅、次の泰山寺の道だけを教えて貰い別れた。

泰山寺、栄福寺、国分寺の参拝を終え南下。
次は西日本最高峰(標高1982m)の石鎚山の中腹にある横峰寺。
駐車場からもかなりある、紫陽花が迎えてくれる。
山岳霊場独特の雰囲気だ。
本尊は大日如来。
参拝後駐車場に戻るとアイスクリームや飲み物を売ってたので、私は黒蜜がかかったところてんを食べた。
甘く美味かった。

休憩後一度麓まで降りたが、やはり四国の霊峰、出来るだけ上まで登ってみたくなった。
ロープウェイに乗り一挙に1300mまで。
実は以前ここまでは来たのだが、前回は霧の為それから上には登れなかった。
今回は霧も無く、30分程かけて石鎚神社中宮成就社まで登った。
大きな神社ではあるが、拝殿もすっきりした感じで気持ち良い。
参拝してから、神社の横に遊歩道があったのでもう少し上の休憩地まで上がった。
ちょうど本殿の真上になる位置だった。
流石にここまで来る人も無く、私は持って来たダラブッカを叩いた。

しばらく遊んだ後、次の遍路もあるので、山を降りる事にした。
元の道に戻り、香園寺、宝寿寺、吉祥寺、前神寺を廻った処で5時が来た。
汗びしょだったので来る途中に見た椿温泉こまつに行った。
入場料400円とリーズナブル。
ジャグジー風呂、露天風呂と入り、休憩室でテレビのお笑い番組を観ていると寝てしまう。
前日の睡眠不足と疲れの為か1時間半程熟睡。
眠気眼ながら泊まる処を求め、温泉を出る事にした。

続く

2010年7月30日金曜日

暑い中

暑い日が続いているなと思ったら急に雨が降り出したりとなかなか読みにくい天気だ。
まあ雨も逆に清涼感があって良い。

家の外では蝉がミンミン鳴いている。
もう少し冷んやりする鳴き方は無いのか、コオ~リ~ コオ~リ~とか。

今日は先週行けなかったヨカに行った。
ヨガはゆっくりした動きからハードな動きまである。
先生はきついポーズの時でも楽な呼吸をしましょうと言う。
矛盾している。
そんな事出来る訳が無い。

しかしその時はしんどくても終わった時はやはり気持ち良い。
何でもハードな後のリラックスが良いのかもね。

夜は練習、また汗をかきそうだ。
Tシャツが何枚あっても追いつかない。
で先日鼓空Tシャツを5枚注文した。
派手な色ばかり。

来たら、暑さで頭がおかしくなったんじゃないかと言う人、やはりおかしかったんだと言う人、いろいろいると思う。


だが私はめげない。

たぶん・・・・

2010年7月29日木曜日

とうもろこし

今年は春の気候不順と私の手抜きのせいで畑の作物のできが悪い。
唯一順調に行ってたのがきゅうり、今日始めて3つ収穫した。
これからずっと取れるだろう。

2番目に順調だったのはとうもろこし。
すくすく伸び実を付け、大きくなっていた。
私は他の作物が不調なだけに楽しみにしていた。
ところが昨日、朝起きてみると全部倒れている。
一瞬実が大きくなり過ぎ倒れたのかと思った。
しかしさに在らず、倒れている実に食べられた跡が。

犯人はたぬ公かカー公に決まっている。
しかしたぬ公は一時毎日のように見ていて、私も峠のたぬき汁屋を作ろうと思っていたが、最近はどういう訳か見ない。
おそらく犯人はカー公に違いない。
前にカー公はとうもろこしの枝に止まり、その重さで地面に倒し、実をついばむと聞いた事がある。
憎きカー公。
さっき家の竹のてっぺんで私をあざ笑うかの様にカーカー啼いていた。
今度来たら撃ち落としてやる。



あっ 鉄砲がない!

2010年7月27日火曜日

伊予

伊予と言えば松本伊代を思い出すが、この際置いといて
足摺岬より四国の西海岸を北上、延光寺参拝の後、観自在寺、龍光寺、仏木寺と廻る。
この後の明石寺まで行けば南伊予は終わる処だが、そう上手く行かないのが巡礼だ。
仏木寺を終えた処で5時が来てしまった。

でとりあえず明石寺の方に向かうのだが、宇和島と西予の間に歯長峠があり、ついつい脇道の林道に入り、高森山に登った。
滅多に人が来ないような処で、来てもオフロード用のバイクぐらいだろう。
そこをハイエースで登ろうとするのだから大変だった。
道幅がぎりぎりの所があるし、木の枝が被さっている所もある。
しかし元来高い所の好きな私はついつい行ってしまう。
30分程走るとやっと見晴らしの良い所に出た。
眼下に花法津湾が見える。
綺麗だ、来た甲斐があった。

人の気配は全く感じない。
私は太鼓を出した。
何も気にせず叩いた。
鳥と虫の声は続いてた。
黒いアゲハ蝶が来たり離れたりと舞っていた。

夜は松山道の内子近くのSAで過ごした。
内子と言えば女子アナの内田恭子を思い出すが、まあこの際置いといて、

熟睡し、翌朝5時に起きた。
7時に明石寺にそして次は内陸 石槌山の面河渓の近く大寶寺と岩屋寺に行った。
岩屋寺は標高700mの切り立った断崖絶壁にある山岳霊場。
駐車場から境内まで徒歩で20~30分急な坂道と石段が続く。
大変な処に寺を建てられたと思う。
本尊は不動明王だった。

次は松山に入り、浄瑠璃寺、八坂寺、西林寺、浄土寺、繁多寺、石手寺、太山寺と廻り、そして第53番札所円明寺に着いた。
今回16の寺を廻らせて貰った。

帰りはしまなみ海道を渡った。
SAで海道ラーメンなるものを食べた。
海老、イカが乗っているのかと思ったが、普通の豚骨醤油ラーメンだった。
いささか騙された感有り。
それなら橋を渡って尾道ラーメンをもう一杯、しかしそうは問屋が食べさせない。
ラーメン2杯は無理だ。

今回も無事行って来れた。
走行距離は1000km弱だった。

2010年7月26日月曜日

ウエスト コースト

金曜日の練習後四国に向かった。
瀬戸大橋を渡り、高松道を愛媛の方面にそして高知道に入った。
幾つもの長いトンネルを超えると土佐の国。
まずは立川SAで夜を明かす事にした。

ハイエースに布団を敷き、途中で買ったハイボール缶を飲む。
そう言えばハイボールなんて私が学生だった頃以前の飲み物だった気がする。
言葉に出すと笑われそうな感じだったが最近は売れていると言う。
時代は廻るか。

5時に起き、南国市、高知市、土佐市を抜け一路足摺岬を目指す。
天気は快晴途中、四万十川に沿って下降する。
相変わらず太平洋には島が無い。
真っ青な海が拡がる

10時30分には今回最初南の果て第38番札所の金剛福寺に着く。
本尊は三面千手観世音菩薩。
お参りしてから海岸に出た。

切り立った崖が続く。
上に立つと手摺りはあるが、足元をすくわれるような気がする。
この手摺りを作った大工さんの技量も疑う。
海岸沿いの遊歩道を歩いていると、岩だらけではあるが浜に出た。
目の前には高くそびえる壁がある。
その下に大きな穴が開いていて、そこから波が打ち寄せて来る。
白山洞門だ。
壁の上には白山神社が祭られているが、とても素人が行けるような処ではない。
暑さもあってかこの浜まで降りて来る人は少なかった。
私は持って来たダラブッカを出し、洞門の前で叩き始めた。
ダラブッカの音が洞門で共鳴する。
低音も高音も響く。
やはり自然の音響はいい。
気持ちの良いワンマンコンサートになった。
岩場のふな虫達も喜んでくれているのか、歩き回る。
私の足に登ってくる物もいる。
なんてこった。

しばらく叩いていたら、いつの間にか後ろの方で老夫婦が聴いていた。
この場所を独り占めすのも悪いと思い、階段を登り灯台の方に行く。
ここからの眺めも怖ろしい程良かった。

お土産屋さんの食堂できつねうどんを食べてから足摺岬を跡にした。
ここから四国の西海岸を北上、次は延光寺。
この辺りは一つ一つのお寺の距離があり、お遍路さんが一日、中には二日歩いても届かない処もある。
私はこの通り俄か遍路だが、この暑さの中杖を持って一歩一歩歩いている方を見ると頭が下がる。
下がり過ぎて地面の中に頭を突っ込む程だ。

延光寺で土佐も終わりだとさ。
次はいよいよ伊予。

この続きは次回に

2010年7月23日金曜日

農大終わって

今朝は農大に行った。
体育館での練習。
以前は太鼓は午後の授業だった。
学生達は野菜や花、牛や豚の世話をしているのだが、夏の昼間は皆バテバテだった。
だが今は朝8時50分から正午までの時間なので、多少は楽になる。

学生達の大きな出番は秋の収穫祭である。
この時に一応3曲出来るようにと思っているが、少し送れ気味。
前回やっと1曲完奏出来るようになった。
今日はそのおさらいと、2曲目を教えた。
学生達も良く付いて来て、これまた完奏まで漕ぎ付けた。

帰ってすぐあまりの暑さにビール缶を開ける。
今は夕方、この時間帯になると少々涼しくなる。
これから鼓空の練習。

練習が終わってシャワーを浴びたら、また四国に向かう。
まずは足摺岬を目指して。

帰ったらまた報告しよう。

2010年7月22日木曜日

長い夜

暑い日が続いている。
テレビでは熱中症に関わるニュース、対策が報じられている。

我が道場も先ほど昼2時から2時間の稽古があったが、幸いクーラーと大型扇風機があるので、なんとか凌ぐ事が出来る。
練習が終わり外に出ると相変わらず暑かったが、それも夕方5時を周ると徐々に温度も下がって来る。
私はこの暑い日の夕方凪の時間が大好きだ。
ほっとする。
岡山の市内に出ると、ぼちぼち夕方から赤提灯が付き出す。
大ジョッキの生ビールと枝豆、焼き鳥が私を呼ぶ。
飛び込みたい衝動に駆られるが、大抵は車である。
我慢をして家に帰って飲む事になる。

今日はとりあえず仕事も終わったので、冷たいビールと先日夏祭りで戴いたブランデーをオン ザ ロックにして飲もう。

夜は長い。
ブラスロック、シカゴの「長い夜」を思い出す。

2010年7月20日火曜日

観劇

3連休が終わった。

私は本番、打ち合わせ、また草刈にも追われたが、観劇に行く事が出来た。
主催はPersona 0lanca (悪の秘密0社)だ。
悪の秘密0社だから一般で言う正義では無い。
正義では無いが真実を表現しているグループかな。

今回は海の底、一人の人造人間の女の子が魚、たこ、鮫との関わりの中、一人の人間となる。
設定も特異だったし、エロティックでもあり、照明、音響も面白かった。

一般的には表現出来ないが、ARTだから出来る使命かも知れない。

2010年7月18日日曜日

夏到来

露も終わり、本格的な夏が来そうである。
私も夏は好きなのだが、今年は秋の国民文化祭を初め、いろんな事が平行して起きて行く感じがあり、その準備期間的な色合いが強い。

元来平行して幾つもの事を考えるのは苦手な私である。
とりあえずは目先の事だけに焦点を合わせ、集中力を持って臨むしかないと思う。

今日はこれから浅口市寄島へ夏祭りに行く。
ここにはもう9回も行かさせて貰っている。
皆さん顔馴染みだ。
のんびり祭りを楽しみたい。

2010年7月15日木曜日

フラメンコ本番

昨日初めてフラメンコの演奏で出演した。
場所は倉敷にあるカルチャーセンター。
ここで今度フラメンコの教室が開かれる事になり、そのデモンストレーションだった。

私はダラブッカ、鼓空の2人はカホンと同じイスラム圏のジャンベ。
この話をお聞きして1ヶ月ちょっと、2回の踊りとの合わせ、後はビデオを観での研究だった。
まあ無謀と言えば無謀だったが、国民文化祭の洋舞フェスティバルのバック演奏で和太鼓とは別にこの組み合わせでも演奏する事になっているので、敢えて挑戦する事にした。

私達の演奏する曲は9曲の中4曲。
曲名はセビジャーナス、ファンダンゴ、ミニブレりア、タンゴデマラガ。
またそれ以外の曲でもできたら適当に入って欲しいとの依頼だった。
どの曲もフラメンコの中ではスタンダードの曲らしい。
皆音源に合わせて入るのだが、ミニブレリアだけは、我々の演奏のみだ。
また後半、小休止の意味で3人での演奏を披露した。
アラビックのリズムを基本にし、その上にソロを被せた。

全体1時間ちょっとのイベントだった。
私達も今出来る事はしたが、これからの課題も出来た。
もっと踊り易いような演奏が出来ればと思う。
また今年の暮れにイベントがあるそうで、出来たらそれにもと声を掛けて戴いた。

もっと深く知りたいと思う。

2010年7月13日火曜日

土佐②記

1日目を終え、SAで夜を明かす事にしたが、その前に私は酒を少々買っていた。
車の布団に横たわって、チビチビ飲んでいたらすぐに睡魔が来る。
寝不足のまま1日中走ったのだから無理もない。
まだ10時だったが寝る事にした。

朝5時30分携帯の目覚ましで起きる。
まさに熟睡であった。
頭もすっきり。

この日最初第28番札所の大日寺に向かう。
6時30分に到着、参拝をしてから7時に納経所に行き、筆で納経帳にお印を貰う。
完璧だ。
続いて南国市、高知市、にある国分寺、善楽寺、竹林寺、禅師峰寺と周る。

この後桂浜の近くまで来たので寄ってみる事にした。
どこか見晴らしのいい処でダラブッカを叩こうと思って、持って出てみたが、到る処に観光客がいる。
まあ特に今注目を集めている場所だからなぁ。
丘の上に上がり、竜馬像を見る。
実に大きい。
太平洋に向かって、志を大きくしている感じ。

土佐で太平洋を見てると沖に島が無い。
これは千葉の九十九里海岸でも感じた事だが、瀬戸内海をいつも見ている私達からすれば、ちょっと不思議な感じだ。

あの海の向こうには何があるのだろうと想像を逞しくもするだろう。
また太平洋ゆえ厳しくもある。
台風はいつも直撃になるし、海岸線を走っていると、到る処に津波の危険な地域が指定されてある。
防波堤も半端な高さでない、漁船の高さの何倍か軽く10mはある。
わからぬ事の希望と怖さが同居してのかも知れない。

結局ダラブッカを叩ける場所は見つからず、食事をしてから、先に進む。
雪けい寺、種間寺、清瀧寺、青龍寺と周る。
平地にあるお寺、山深い処にあるお寺、どのお寺も古刹であり、それぞれに趣がある。

青龍寺からは横浪黒潮ラインに乗る事になる。
ここは海から絶壁がそそり立ち、その山の上の右往左往曲がりくねった道を走る。
いやはや太平洋が山々を押し上げたような処だ。

ここからは足摺岬に向かって南下。
しかしこの道もなかなか一筋縄では行かない。
山の起伏の中を走る。
もうこの頃になると時間が押しているのがわかる。
初めは足摺岬の金剛福寺まで行けたらなぁと思っていたが、無理である。
その手前の第37番札所の岩本寺で最後にする事にした。

今回16のお寺さんを周らさせて貰った。
天気予報では特に後の日は降水確率80%だった。
私も覚悟して雨具も用意していた。
しかしながら、天気はいつ降ってもいい曇天だったが降らなかった。
雨は夜に降り、そして最後の岩本寺の参拝が終わり、車に戻った処でざっと降った。
皆さんこれで、私の普段の行いが如何に良いのかお解かり戴けたかと思う。

帰り道海岸線を走っていると景色の良い公園があり、そこからから海の方に石積みがされていたので、そこでダラブッカを叩いた。
周りが海だったのにダラブッカの音は不思議に大きく鳴った。
今回も和太鼓を持って行ってたが、いつ降るかわからない天気と湿った海風の心配があり、ケースから出す事は出来なかった。。
その点ダラブッカはヘッドがプラスティックなので安心だ。

しばらく叩いた後帰路に。
途中「道の駅」があったので土産の饅頭と土佐鶴1本を買った。
帰りは高知道に。

SAで「南国ラーメン」を食べた。
ラーメンのトッピングにマンゴーとパイナップルが乗っている。


嘘である。

不妄語 不綺語 不悪口 不両舌・・・・・  まだ修行が足らぬか

正解は鰹だしを使ったあっさり和風ラーメンで清流の青さのりと鰹節が上に乗っている。
なかなか美味しいラーメンだった。

高知道に乗れば3時間ぐらいで帰れる。
便利になったものだ。
今回の走行距離は880kmだった。
高速道路ばかりなら大した距離ではないが、6割以上は一般道である。
我ながらよく走ったと思う。

また続きの旅が楽しみだ。

2010年7月12日月曜日

土佐

金曜の夜10過ぎに家を出て、瀬戸大橋を通り、高松道に入る。
2回目のプチお遍路さんの始まりだ。

夜中1時頃前回も車中泊をした津田の松原SAに到着。
ハイエースの後部に布団を敷き寝るも、激しい雨が屋根に降りつけ、その音で目を覚ます。
転寝状況のまま朝6時に起床。
鳴門まで高速そして一般道を南下。

今回最初の参拝は第22番札所の平等寺。
お寺の納経所は朝7時から夕方5時まで開いているので、遍路するには7時にお参りするのが効率がいのだが、いかんせん岡山からは遠い。
平等寺に着いたのは8時30分だった。

参拝の後次は徳島最後の薬王寺そして一挙に室戸岬まで。
海岸線を走っていると海水浴を楽しんでいる人達、サーファーの人達がいる。
しかしながらボードの上に立っているサーファーがいない。
波を待っているのか、それとも立てれないのか。
南下を続けていると、どんどん太平洋が広がってくる。
そして海岸は岩だらけになる。
室戸岬の手前で大きな岩が4つ海から天に突き出している処があったので、ここで休む事にした。
太平洋とそそり立つ大きな岩を見ながら、しばらくダラブッカを叩いた。

室戸岬には昼前に着いた。
やはり岩だらけだったが、合間に小さいながら砂浜が見えたので行ってみた。
海の水が凄く綺麗だった。
海の中にはヤドカリが無数にいた。
これだけいると流石にNo Vacancy (空き室無し)の感じだ。

室戸岬の高台に最御崎寺がある。
雄大な景色が広がっている。
ここは弘法大師の悟りの地でもある。

参拝を終えると、ぼちぼち腹も空いてきた。
海岸線を走っていると、「海の駅」なるものがあり、食事も出来るみたいだ。
私は海沿いでもあるし、海鮮丼を頼んだ。
すると直径24cmぐらいの丼が出てきた。
中は飯の上に鯛、まぐろ、鰹のたたき、海老、いか、貝、いくらと一杯乗っている。
実に新鮮、豪華、海三昧だ。

気になるお値段、なんと1360円・・・・・・・実にリーズナブル

食事の後はまたまた左に太平洋を見ながら、高知方面へ。
津照寺、金剛頂寺そして歩き遍路にとっては四国霊場屈指の難所、神峰寺に登った。
ここは今でこそ車でも登れるが古い遍路道は45度近い急坂が続くという。
本尊は十一面観世音菩薩だ。
参拝を終えた処でもう時間は5時前。
この日は距離もあったし6寺しか周れなかった。

もう南国市の近くだったので、泊まりは高知道の南国SAにした。
SAは車中泊するには、何かと便利がいいので。

旅の続きはまた後に。

2010年7月9日金曜日

四国巡礼

深山幽谷に入り、太鼓を叩くという願望から始まった巡礼。

5月に徳島に入り、鳴門市の1番札所の霊山寺から始まり、2日間で21の寺を周らせて貰った。
そしてこの土曜日曜と空いたので、今晩の練習が終わってから四国に渡ろうと思う。
明日の朝22番札所の平等寺、そして23番札所の薬王寺を周ったら、いよいよ高知に入る。
それも一挙に室戸岬の最御崎寺に行く事になる。
太平洋を見ながらの旅となりそうだ。

すでに愛車ハイエースのオイル交換を済ませ布団も積んだ。 
雨も降りそうなので簡易雨合羽も百均で買って来た。
後は太鼓を積むだけだ。

今回どのくらい周れるかわからないが、南国を楽しみながら行ければと思う。
また帰ったら報告したい。

2010年7月6日火曜日

虫暑い

虫も暑い、蛙も暑い、私も暑い。
着替えても着替えてもTシャツ、パンツがすぐビショビショになる。
富山、御休、加茂と日々いろんな処に出かけるが、どこも暑い。
湿度が高いので、余計に暑く感じる。

太鼓を叩いても汗をかくが、この時期雨で草が伸びるのがやたら早い。
部落の草刈りがあったり、我が家の草を刈ったり、葛や竹に巻きついた藤の蔦を取ったりとすべき事は一杯。
まあ無理をせず、気長に一つ一つやっていくしかないと思ってはいるが。

私は5年程カリフォルニアに住んでいたが、海岸線は比較的涼しかった。
だがちょっと内陸に入ると、夏は車のフロントガラスの前がメラメラしていた。
しかし乾いているので、ちょっと木陰に入るとそれ程暑くはなかった。
日本は湿度だけ考えると嫌だが、なんてたってこの国には四季がある。

いろんな風景を楽しめるのだから文句ばかりは言えない処だ。

2010年7月4日日曜日

小次郎

作州武蔵太鼓の演奏に行った。

場所は岡山全日空ホテル、病院関係の催しだった。
久しぶりに私も羽織袴、長刀を背中に付け小次郎に変身。
この長刀私も2~3年は小次郎をしているが、まだ1度しか抜いて無い。
いつも抜かずして敗れている。
これでいいのか?
私は先代小次郎がどういうわけか妊娠してしまって、急遽せざるを得ない状況に置かれた。
おそらく8代目ぐらいになろうか。
先代より前はずっと刀を抜き、つば競り合いをし武蔵に斬られていた。
我が大将は人を見抜く力があるのか、私には演技は出来ないと思っているんだろう。
一度抜いて以来、それ以後抜けと言わない。
まあ抜かずして良いのなら平和主義者の私としては特に言う事も無いのだが。

今日も無事終わった。
帰ってからの冷えたビールが美味い。

2010年7月2日金曜日

愛染祭り

兵庫県は伊丹の金剛院さんの「愛染祭り」に行った。

天気予報では雨の確立は50%、ちょっと心配だった。
午後1時に道場を車2台で出発、3時30分にはお寺さんに着いた。
空を見たら晴れ、なんとか持ちそうで一安心。
境内には一杯テントが張られ、出店者が夕方からの祭りに備え準備をしている。
私達はとりあえず愛染明王さん、観音さん、地蔵さん、薬師如来さんとお参りをする。

私達の演奏は観音堂の正面の回り廊下。
太鼓、PAのセッティングを始める。
祭りを楽しみに来ている子供達が物珍しそうに、正面の椅子に並んで座っている。
太鼓の設置場所は少し狭かったが、なんとか工夫で演奏は出来そう。

PAのサウンドチェックで、メンバーがハーハー、フーフーと声を出すと、前に陣取っていた子供達がそれを真似てハーハー、フーフーと言う。
なかなか面白い、こんな事は初めてだ。
セッティングが終わり、軽くリハーサル。
1曲終わる毎に子供達は拍手をくれる。

一通り終わると本殿横の控え室に通される。
真ん中のテーブルには2段重ねの弁当とお茶が用意されていた。
Hさんが外の出店から、私達の為にビールやたこ焼き等を買って来てくれる。
私も徐々に祭り気分になってくる。

6時15分に観音堂の前の2つの薪に火が灯される。
住職さんによる読経が始まる。
その後司会の方が私達を紹介してくれる。

私の簡単な挨拶の後、太鼓演奏の前に始めての試みをした。
私のダラブッカとSさんのカホーンで軽く即興演奏。
夕方の多少のそよ風の中気持ち良かった。
お客さん達からも拍手を戴いた。

それから1時間の鼓空のライブ。
和太鼓らしい曲の演奏から始まり、アフリカンそしてシンバル、ティンパレス唄の入った曲のメドレーと途中MCを入れながらも一気に飛ばした。

演奏後は多くの檀家さん、参拝者の皆さんから温かい言葉を一杯戴いた。
本当にここのお寺さんは地域の皆さんから慕われているだなぁと感じた。

気持ちの良いお祭りだった。

2010年6月30日水曜日

カプセル

岡山市西大寺町のいつもの居酒屋で今年の「龍神祭」の初会議があった。
今年は再来年が辰年であるので、それに向けての準備段階でもある。
話を進めながら、私も久しぶりに冷たいビールを飲み日本酒を飲み、美味い物を食べと楽しいひと時。
こんな事を書くと、内のメンバーからは練習を抜け出し、酒ばかり飲んでと言われる向きもあろうが、ここの会議は特別である。
酒が入らないと話しが前に進まないのである。
他の会議では缶コーヒー、お茶は出る事はあっても酒は出ないので。
念を押しておきたい。

概略を決め、適度に酔って解散となった。
私は車を運転するわけにもいかず、これまたいつものカプセルホテルに向かう。
このお決まりコースはもう3度目ぐらいになろうか。

狭きカプセルに入り宇宙遊泳。
酔ってはいるが、寝るわけにもいかない。
なぜなら、11時よりサッカー、日本vsパラグアイ戦だ。
試合はご存知PK戦までもつれ込み、結果日本は敗れてしまったが。
でも日本のサッカーが徐々に力を付け、世界の強豪と渡り合え始めたとの印象は残った。
いやはやご苦労さんである。

朝6時前に目覚ましが鳴り起きる。
起きたくなかったのに。
私はすぐアラームのスイッチを押しまくるが止まらない。
他所の部屋からだった。
そうでなくとも寝不足なのに誠にもって迷惑な話だ。
目が覚め仕方なく最上階にあるサウナ、大浴場に行く。
私はサウナは好きではないが、ジャクジー風呂をこよなく愛している。
天窓から差し込む朝の陽光が目映い。

ゆっくり湯に浸かった後は着替えをして、カプセルを出る。
駐車場に車を取りに行き帰宅。
10時から婦人部隊の練習だったのだ。
昼に練習が終わりボケーとテレビを観ていると、寝てしまう。
やはり寝不足が効いていた。
まあお陰でちょっとすっきり。

夜の練習までもうしばらくのんびりしていよう。

2010年6月28日月曜日

披露宴

昨日は結婚式の披露宴で太鼓を叩いた。

その前日までは当日雨だとの気象庁の発表だった。
私は僅かながら畑をやってる身、雨の有り難さはよくわかる。
だから太鼓演奏の後のお祝いのコメントには、恵みの雨の話をしようと思った。
ところが当日天気は晴れ。
機転の利く私は天気の話には触れなかった。

私の出番はサプライズであったので、出演までは会場横にある非常出口の外の踊り場に太鼓を隠していた。
屋根は付いていたが、お陰で雨に因る湿気には気にせずに済んだ。
祝いの太鼓のソロ演奏は10分くらい。

実は新婦のお父さんはこの春に亡くなられた。
お父さんとお母さんは有り難い事に、娘の結婚式には是非私に太鼓を叩いて欲しいとずっと思っておられた。
私は亡くなられたが心優しきお父さんの何かしらの祝福のメッセージが私の演奏を通しても伝わる事が出来ればと深く願っていた。

新郎新婦にはその後お話出来てないが、とりあえず祝福に来てくれた皆さん、そしてお母さんには喜んで戴いたみたいで一応ほっとしている。


二人に幸有れ。

2010年6月26日土曜日

我否眠

私だけでなく多くの人が睡眠不足になっているだろう。
そう深夜3時30分から始まった日本VSデンマークのサッカーの試合である。
私は熱烈なるサッカーファンではないが、俄かファンにはすぐ成れる。
試合は絵に描いたような勝ち方だった。
つっぱり感のある本田君も瞬時にアシストにまわった。
見事だった。

まあサッカーの話はともかく我が睡眠不足の事だ。
寝不足の日の夜にまたもや田原総一郎氏の朝まで生テレビをやるか?
テレビ朝日ももう少し国民の事を考えて欲しいものである。

私も皆さんと同様、昼は昼で打ち合わせあり、会議あり、問い合わせの電話がありとそれなりにすべき事があった。
朦朧とした頭で一生懸命考えた。
結論はなかなか出なかったが。

明日はお世話になっている方の娘さんの結婚式で太鼓を叩く事になっている。
寝不足などと言っている場合じゃない。
今晩は早く寝て、いい演奏が出来るよう備えよう。

もうテレビは付けない。

おやすみ。

2010年6月24日木曜日

フラメンコ

フラメンコの練習スタジオにお邪魔した。
私達は急遽7月にある公演に出演する事になったのである。
幾度か同じ舞台に立った方の踊りを拝見したり、テレビで観たりした事はあるが、私が共演するとは露とも考えた事はなく、楽しみ半分不安半分といった処だ。

そもそもフラメンコはスペインのアンダルシア地方に伝わる歌、踊りである。
歴史的にも迫害を受けた人々の中から生まれた芸能なので反骨的であり、そして情熱を感じる。
日々猫を相手にのほーんと暮らしている私には程遠い。
しかしながら暇さえあればダラダラとダラブッカを叩いている内に同じイスラム圏の音楽にも興味が湧いて来た。

フラメンコのリズムは12拍子が多い。
最初私は8分の6の2倍的な感じで捕らえようとしたが、何のその。
そうは問屋が卸さない ・・・まあ古い表現

今度する曲も複合12拍子なのだ。
たとえば3拍子+3拍子+2拍子+2拍子+2拍子
または3拍子+4拍子+3拍子+2拍子

踊りの人の足の小刻みなタップや手拍子と合えばスコーンとはまって心地良いのだろうが、今の処無理である。
ビデオを撮らさせて貰ったので、しばらくはそれを観ながら叩いて体にリズムを入れるしかない。


リズムが入ったら踊る事にしよう。                       

2010年6月22日火曜日

きゅうり

昨日そして今日と露の合間の晴れの日だ。

我が畑に種から蒔いたきゅうりが5つ小さいながらも苗が出てきたので、ネットを張った。
やり方は竹薮の中から適当な竹を8本取り出し枝を払う。
両サイドに3本ずつで支柱を立て、それに上下に2本這わせる。
それにネットを張る。
まあ理屈は簡単だ。

ただ苗はまだ15cm程、ネットの高さは1m80cmぐらいある。
ちょと見大げさ感があるが、きゅうりが大きくなると、このネットの高さはゆうに越えるだろう。
追加のネットを張るようになるかも知れない。
今年は他の野菜の発芽が良くなかったので、きゅうりには期待したい処だ。

うちの近くに無人野菜販売の店ができ、そこにピーマンとミントの苗を売っていたので買って来て植えた。
ピーマンも春に種を蒔いたのだが、鳥が食べたかのか気分が乗らないのかまだ発芽していない。
とりあえず夏からは収穫できるだろう。

いい加減ながらも畑は楽しい。

2010年6月20日日曜日

WAの会

今朝は自閉症の子供達の「WAの会」の練習があった。
小学生の頃から来ている子供達も高校を卒業し働き始めている。
成長したものだと思う。

今年秋に岡山で国民文化祭が開かれるのだが、それに彼等も出演する事になっている。
10人での出演だ。
子供達より教えているこちらの方に力が入る。
教え始めた頃は一つ一つの曲もより簡単にしていたが、今は時間が掛かっても原曲をそのまま教える事にしている。
そしてどの子も付いて来ている。

国民文化祭でする曲の構成も皆理解している。
後は曲の部分部分をどれだけ丁寧に演奏出来るかだ。
内に来てる子は基本的に皆明るいし優しい。

秋にはきっと良い演奏をしてくれるのではと思う。

2010年6月18日金曜日

お仕事・・他

昨日は或る会社の懇親会に呼んで頂き、3人で太鼓を叩いて来た。

持ち時間が20分程だったので、真面目シリーズ3曲を演奏した。
他の曲が不真面目というわけではないのだが、我々の持ち曲の中では和太鼓らしいストイックな曲を選んでいた。
で結果、宴会なのにシーンとした感じになった。
これがいいのかどうかわからない処だったが、企画した幹事さんは大喜びだった。
毎年アトラクションとしていろんな企画をして来たが、いつも皆大騒ぎで、全く観ても聴いてもいなかったらしい。
今度こそは皆を黙らしたいと思っていたそうだ。
それが幸いにも当たり喜んでくれたわけだ。
まあ他の方々からも良かったとの感想を戴いたので、まずは無事職務を果たしたかなという感じだ。

今朝は我が町が推進している健康診断に行った。
まあ最近は酒も控えめだし、特に問題も無いのだが、一口で言えば自営業の私はこんな機会でも無いとなかなか行かないのである。
結果が全て出るのは一月先だそうだ。

健康診断の後はヨカに行った。
先週はいろいろあって行けなかったので、2週間ぶりだ。
そして今日は健康診断で結構採血もされてたし、なかなかきつい。
途中そして最後にリラックスするポーズがあるのだがこのまま寝てしまいたいと思った。

今遊び猫モーがソファーの上で腹を出し、顔を上に向けて寝ている。
起こして犬のポーズでも教えようか。

2010年6月15日火曜日

露の中

朝からずっと雨が降っている。
やっと露に入ったみたいだ。
畑の作物も鼓空のメンバーによる田んぼの稲もこれで大きくなるだろう。

我が風邪も徐々にではあるが良くなって来ている。
その中、日々太鼓の稽古そしてダラブッカの練習と過ぎて行く。
来月はフラメンコの演奏もある。
初めての経験だ。
私達打楽器奏者は踊りとは切っても切り離せない関係にある。
今回もまた新しい発見がありそうだ。

今から楽しみである。

2010年6月13日日曜日

娘の帰省

東京で役者をやっている娘が公演が終わり、次の公演の練習が始まるまでのたった3日間であるが岡山に帰って来た。
しかしながら私はと言えば風邪真っ只中あった。
まあ娘は学生時代の友達と会うのに多くの時間を費やしていたが。

娘は演劇集団「円」に所属している。
ここは芥川比呂志さんが作られ、岸田今日子さんが座長をされていたが、今は橋爪功さんが後を継いでおられる。
ここに2年前に娘は研修生から劇団員にして戴いた。
まだ全くもっての駆け出しである。
日々アルバイトをしながら頑張っている。
幸いにも娘の住んでいる浅草は下町で人情味も厚く、芸人に対しても育てようという感がある。
公演があると練習も入り本番も続く。
アルバイト先も当然休まざるを得ない。
しかしながら上手く段取りをしてくれ、公演が終わるとまた復帰させて貰っている。
また知っているレストランでは食事を大盛して貰ったり、一品余分に付けて戴く事もあると言う。
有り難い事だ。

今回の帰省では娘と牛窓や赤穂をぶらぶらとした。
久しぶりに故郷の自然を堪能しているようだった。

2010年6月10日木曜日

Mask man

マスクマンと言えば、あの「仮面貴族」そして「千の顔を持つ男」を思い出される方も多かろう。
そうメキシコが生んだ天才プロレスラー ミルマスカラスだ。
私はテレビ最初に彼を見た時、目が点になった。
あまりにも華麗な空中技。
世の中にこんな事があるんだと我が頬をつねった程だ。
格好良すぎる。

で我が事だが、3日前からの風邪がまだ治らない。
漢方系の薬を飲み、睡眠も多めに摂り、良いか悪いかはわからないが、カフェイン摂取と言う事でコーヒー、紅茶を飲んだりしている。
お陰で熱も計ってはないが、下がっているような気もするし、咳も多少は治まっている感じ。
でもまだ明らかに風邪真っ只中である事は間違い無い。

でマスクマンであるが、私もマスクを付けている。
周りの人に移していけないが為である。
みんなから風邪と聞かれる?
風邪で無ければ何なんだろう。
稽古中もずっとしたまま、少し酸欠状態になるが仕方ない。

マスクをしていて華麗なる男でいよう。

2010年6月8日火曜日

正真正銘

正真正銘の風邪をひいた。
最近、風邪をひいてても、単に体がだるかったり、ちょっと体調が優れないなぁと感じで、症状も今一つはっきりしてなかった。

ところが今回はくしゃみが立て続けに出るは、頭が痛いはとすこぶるはっきりしている。
誰が診ても風邪に間違い無し。

これだけはっきりしていると、逆に気持ち良い。
治し甲斐もあると言うものだ。

風邪の原因はおそらく酒を飲んで転寝をしたからだろう。
酒はしばらく絶っていたのだが、美味い酒を戴いたのでチビリチビリと飲んでいた。
今回たまたま転寝をして風邪をひいてしまったが、最近今まで以上に賢くなったのか、飲み過ぎる事はなくなった。

酒酔い気分も良いが、しらふの時もいいなぁと思う今日この頃である。
これって凄くない~

2010年6月6日日曜日

シンフォニーホール

今 岡山シンフォニーホールの舞台袖近くにいる。
かと言って私が出演するわけではない。
今日は岡山県の合唱団が集まってのコンサートだ。
これに今年の3月のイベントで女性合唱団「華」さんと太鼓でコラボさせて貰った子供達二人にまたもやお呼びが掛った。
それで二人を連れて来たと言うわけだ。

子供達は今本番前だというのにPSPで「がきの使いやあらへんで」を観ながらゲラゲラ笑っている。
こんな事でいいのか?
緊張してガチガチになるよりはいいか。
まあ 何とかやってはくれるだろう。

たぶん

2010年6月5日土曜日

原始農

今年も例年の如く野菜を作っている。

種蒔きしたのは、きゅうり、トマト、なす、大豆、とうもろこし、かぼちゃ、ラディッシュ、大根、人参、ほうれん草、チンゲン菜、ごぼう、唐辛子、ピーマン、ししとう、にんにく、鷹の爪、おくら、紫蘇、ゴマ、生姜と結構多品種にわたる。
しかしながら今年はいつもに増していい加減な種蒔きだった。
きゅうり、大豆、とうもろこし、かぼちゃ、生姜等は比較的丁寧に蒔いたが、それ以外は草刈をした後、花咲か爺さんの如く、ばら蒔いた。
そのせいかどうか、今の処まだ芽の出てない物が多い。
今出ているのは、かぼちゃ、とうもろこし、チンゲン菜、ラディッシュ、きゅうりのみである。
また去年採り残していたじゃが芋が大きくなっている。

もうすぐ露が始まる。
そろそろ皆芽ぐらいは出て欲しい。
もし出れば草の中から出るのだから、野趣たっぷりの元気の良い野菜が採れるのではないかとちょっと期待。

もう少し待ってみよう。

2010年6月2日水曜日

祝の島

映画を観に行った。
タイトルは「祝の島(ほうりのしま)」だ。
知っている方もおられようが、 初めての方もいらっしゃると思う。

山口県の上関町長島に原子力発電所が作られようとしている。
この映画はその対岸の祝島の人達をテーマにした物だ。
年老いた人達の笑顔が実に素敵だ。
この島の人達はずっと昔から漁業と農業のみで生活している。
質素ながらも心豊かな感じがする。

長島に28年前に上関原発を作る計画が持ち上がった。
それからずっとお爺さん、お婆さん達による反対運動が続いている。
デモも千回をはるかに越えている。
理由はこの辺りの素晴らしい海を守りたいが為である。
自分達は海から一杯恩恵を受けて来た、だからそれを子孫にも残してやりたいと思っている。

島には推進派の人もいる。
亀裂が深まり、分断された形だ。
それを推進派、反対派を問わず皆が残念、辛い事だと感じている。

原発の計画では長島にある田ノ浦の海岸を14万平方メートルを埋め立て、その上に造る事になっている。
そしてもし稼動するとなれば大変な危険を伴う事になる。
当然国、電力会社は絶対安全であると言う。
しかしその根拠は無い。
今まで何十年と原発の中で働いてた人が証言している。
内部について言えば、必ず行われなければならない定期検査、部品の交換でさえ、その担当者は被爆していると言う。
場所に依っては1回5分から7分また原子炉の下では10数秒しかいられないと言う。
故に熟練者程、年間の決められた被爆量にすぐ到達してしまい、まだ技術の確かで無い人達が交換、修理をしているのが現実らしい。
ガン、白血病も誘発していると言う。
その方も今ガンと戦っている。

また地震への対応のいい加減さ、定検の度に海に放射能を含む水が何十トンも流される事、高い排気塔からも出ているし、放射能が低レベルとされている廃棄物はすでにドラム缶約80万本あるらしい。
また厄介なのは一度でも稼動した原発は放射能漏れから解体が非常に困難だと言う。

私はまだまだ門外漢だが、少し聞いただけでも非常に怖い感じがする。
祝島の方達は自然の中で生きておられる。
必要以上の文化も求めていない。

この映画は各地で自主的に上映されている。
まだ若い女性のはなふさ監督は要望があればまた何度でも岡山に来て上映したいと言われてた。
機会があれば是非御覧になる事をお勧めしたい。

2010年5月31日月曜日

バレエ

昨日はバレリーナとの合わせ稽古をした。
持って行った楽器はティンパレス、ダラブッカ、ジャンベ、カホンと4種類。
リズムは8分の6、テンポは69。
私達もリズムパターンを幾つか考えていたのだが、振付の先生も全体を通して基本リズムを考えられていたのでそれを拝聴しながら、こちらの楽器を被せて行った。
楽器はダラブッカとジャンベ、カホンを使ってみる。
途中ブレークも入り、なかなか面白い展開になりそうだ。
ティンパレスはエネルギッシュな音がして良いのだが、他の楽器との音量のバランスが難しい。
局所的にパカンと使う手もあるがもう少し考えたいと思う。

合わせ稽古をしていたら、クラシックバレエの他にフラメンコも踊られる先生がいて、その先生が今度のフラメンコの本番で叩いてくれないかとのお誘いを戴いた。
どこまで出来るかわからないが、楽しそうなのでお受けする事にした。

もっともっと練習をして楽器をより深く知れればと思う。

2010年5月29日土曜日

熊、森、人

日本熊森協会の岡山県支部が発足し、それを記念しての講演会があった。
半年ぐらい前にここの代表をしておられる森山まり子さんの講演があり行かさせて戴いた。
その時の事はやはりここのブログにも書いた。

今まで推測はしていたものの今一つはっきりしない部分を詳しく説明して戴いた。
大まかに言うと昔は熊の住む世界と人の住む世界は完全に分けられていた。
熊は山深い奥山に住み、人は里山にしか足を踏みいれなかった。
しかし人は杉や桧の植林とかまた観光とかで山の奥まで道を作り開発していった。
熊は広葉樹の実などを食料にしているが、そんな木々は伐採され、熊の食料はどんどん無くなっていった。
それで熊は徐々に食料を求めて里山の方にまで降りて来るようになった。
熊は本来優しい動物だが、里山に降りて来た熊はすぐに銃で殺された。
熊の数は激減した。
熊森協会はそんな熊を守る為にも残されている少ない自然林を保護し、また広葉樹を植える運動をしている。
またこの運動は熊だけの問題でなく、水を守る運動でもある。
広葉樹のある山は保水力に富んでいる。

今日も森山さんは言われていた。
決して人だけでは生きていけない。
あらゆるものが相互に関係し合っていて、その中で人も生かされているのだと。

今回岡山にも支部が誕生した。
岡山県にはあと数頭と数える程しかいないそうだ。
本来優しい大型獣が絶滅して欲しくはないと思う。

2010年5月27日木曜日

お手手が・・・

ダラブッカが来てカホンが来て、前からあるボンゴ、コンガ、そしてジャンベと何かしら叩いている日々。
手で叩く楽器は面白い。
出た音が耳に入って聴こえるのとは別に、叩いた振動がこちらの手に骨に返って来て、それが脳に伝わる。
頭がおかしくなりそうだ。
いや前から充分おかしいと言う方もおられようが。

今回それぞれの楽器のルーツとなるリズムを意識的に叩き分けていた。
ダラブッカだとイスラムのリズム、ボンゴ、コンガならラテンのリズム、ジャンベならアフリカンと。
そして今我が頭は混がらかっている。

たとえばダラブッカでは音をドゥン、テク、カ、エス。ボンゴではカ、ツ、コ、ク。コンガではツ、ク、パ、トと口で使い分けるのである。
リズムが早くなるとまるで早口言葉みたいだ。
また各々叩き方も全く違う。
我が事ながら何で一緒に練習するのか意味がわからない。
そして我が英知ある頭は決断した。
とりあえずボンゴとコンガはこの際横に置いとこうと。

少しは焦点を絞ったのだが、今まで何かしら叩いていたので、お手手が赤く痛い。
これも生みの苦しみか。
生まれるのか?

2010年5月25日火曜日

カホン

待っていたカホンが来た。
早速ダンボール箱から取り出す。
嬉しい瞬間である。
包まれていたビニール袋もはずすと出て来た。
カホンだ。
縦、横が30cm高さが50cmの箱だ。
後ろの真ん中に直径12cmの穴が開いている。
パット見、なんでこれが楽器なんだろうと思う。
しかしながら紛れも無く楽器なのだ。

私の買ったカホンはなんでもスペインのフラメンコのギター奏者マリオコルテスのデザインだそうだ。
側部と後ろは黒、座る処と前面は木目が出ていて、前面には簡単な模様が入っている。
なかなかシンプルで可愛い。
前面の内側にはW状に弦が張られている。

叩いてみる。
真ん中、ドンとなかなか良い低音がする。
上部を叩くとシャンと先程の内側の弦が共鳴した音がする。
通常のドラムスで言えばベースドラムとスネアードラムの感じだ。
叩く位置を変えると微妙に音が変わってくる。
しばらく遊んでみる。
面白い。
ただこの楽器、股の下の部分を叩くのでどうしても前かがみになる。
聞けば前部を少し浮かして叩く人も多いらしい。
しかし演奏中後ろにひっくり返って、爆笑を買うのも嫌だし課題が残る処だ。

またどの楽器もそうだが、いつも思った音をすぐに出すには練習が必要だ。
まあ転ばず一杯叩いて物にしたいと思う。

2010年5月23日日曜日

掌楽器

雨がずっと降っている。
畑にとっては恵みの雨だ。
風邪をひいていたが、農大や小学校、WAの会、鼓空の練習そして和太鼓連盟の会議と忙しくしている内にいつの間にか治まった。

先日よりダラブッカを叩き始めて、掌で直に叩く楽器にはまった。
和太鼓の魅力はダイナミックさにあると思うが、掌で叩く楽器は繊細で叩いた振動が直接体に返って来るので面白い。
側にあるとずっと触っていたくなる。
今ダラブッカは国文祭の練習もあるのでメンバーが使っている。
私は手持ち無沙汰になったのでボンゴを叩き出した。

そして今度やはり国文祭の為にフラメンコ等で使われるカホンを購入する事にした。
明後日には我が道場に着く予定。
果たしてどんなサウンドが出るのか楽しみだ。

2010年5月20日木曜日

病み下がり

徳島から帰る頃からちょっと頭痛がしていた。
寒暖の差が激しかったからか、風邪をひいたのかも知れない。
練習以外は比較的ゴロッとした毎日。

雨もよく降る。
遊び猫モーはしらみの薬も付け、ピンク色の首輪も付けたが、まだ痒い所があるみたいで自分で掻き大きな禿げを作ってしまった。
あまりにひどいので病院に連れて行った。
首筋に付ける液状の薬と飲み薬を2種類貰った。
毛を少し刈った方がいいとの話で、鋏でカットもして貰う。
もともと黒と白の模様の猫だが、刈った所は茶色になる。
と言う事は上手くやれば貴重なる三毛猫だ。
一儲けしようかとも思うが、傷だらけじゃあなぁ、目つきも悪いし。

まあモーも私も出来るなら、じっとしてる方が良さそうだ。

2010年5月17日月曜日

阿波の国 ②

前日の夜、車の中でダラブッカを叩いていたものの、他にはする事も無く10時には布団に入った。
流石に疲れていたのか熟睡。

朝6時に起きる。
天気はまたまた快晴。
こうも普段の行いが良いと天気に恵まれるのかと感心する。
ペットボトルの水で顔を洗い、歯磨き。
またまた神山の高き頂上を目指す。
7時過ぎには焼山寺に着く。

この山は昔大蛇が住み、魔境とされていた。
弘法大師はこんな場所だからこそと虚空蔵菩薩の力を借りて寺を建立されたそうだ。
2回目のお参りを済ませ、納経帳に墨書と朱印を戴く。
参道を降りて駐車場へ。
あまりに気持ち良かったのでダラブッカを出し、お寺に山に空に向かって叩く。

神山を下山し、次は大日寺、常楽寺、国分寺、観音寺、井戸寺と徳島市の町の中の寺を周った。
昼食を摂ってから南下。
恩山寺、立江寺そしてお遍路にとっては道が険しい山岳霊場鶴林寺に入る。
この寺の本尊は地蔵菩薩で、本堂を護るように両脇に2羽の鶴の像がある。

鶴林寺で参拝後、またまた屈指の難所21番札所の太龍寺に向かった。
今は途中まで車で登れるし、ここはロープウェイもある。
車道はあるとは言うものの道幅は狭く絶壁もある。
運転に自信が無い人は止めといた方がいいだろう。
やっと駐車場に着くと、すでに4時20分だった。
そこから寺まで1KMを歩いて登る。
5時までには着かなければならず、頑張って歩く。
かなりきつい。
私がこんな事を言える立場ではないのだが。
やっと太龍寺に着く。

まさに山岳信仰の地だ。
樹齢数百年の老杉に囲まれ、「西の高野」とも呼ばれている。
本尊は虚空蔵菩薩。
やはり空に繋がる菩薩のような感じがする。
参拝後、ゆっくり境内を散策してから駐車場まで戻った。
他の参拝者が下山してから、誰もいない駐車場で心ゆくまで太鼓を叩いた。

今回21のお寺を周らさせて貰った。
まだまだ先は続く。
次回いつ来れるかまだ決まってないが今から楽しみだ。

阿波の国

金曜日の夜の練習が終わってから、四国に向けて出発した。
愛車ハイエースの中には布団一式、服暑くても寒くてもいい様に少し多めに積む。
太鼓はいつもの3点セット、そして先日購入したダラブッカを持って行った。

夜の瀬戸大橋を超え、高松道を東に進む。
1時30分頃に津田の松原というSAに着く。
ここで車中泊。
朝6時に起きる。
気持ちのいい天気だ。
ダラブッカでしばらく遊ぶ。
隣に自衛隊のジープが止まっていた。
若い新兵さんも朝を迎えたようだ。
驚いた事にジープの運転席側のタイヤにタイヤ留めがかけられている。
高速道路のSAにパーキングでタイヤ留めがかけられるなんて、世界広しと言えど有り得ないだろうと妙に感心。
若い新兵さん偉い。

SAを出て一路徳島に、快晴、朝日が瀬戸内海を輝かせている。
板野インターで降りる。
まずは四国八十八ヶ所の第1札所霊山寺に着ける。
インスタントお遍路の始まりだ。
まずは境内の側にある店でお遍路用品を揃える。
と言っても、私は車で周るにわか遍路。
最低限の物だけを購入。
白衣上、輪袈裟、納経帳、頭陀袋,経本、納札、ローソク、線香。
参拝の仕方を教わる。

霊山寺山門をくぐると、右手に小さい池と大師堂、左手に多宝塔、そして参道の突き当たりに釈迦如来を祀ってある本堂がある。
古く趣きのあるお寺だ。
私は本堂の中で売られていた水晶の数珠を買った。

続いて、極楽寺、金泉寺、大日寺、地蔵寺、安楽寺、十楽寺と周る。
どの寺も歴史が古く、今のように車でお参りするような事は無かった為、道が細く車がすれ違うのも大変だ。
十楽時の参拝を終えて、目の前にあったうどん屋に入る。
たらいうどんという木の桶に入った、釜揚げうどんを食べる。
しょうがと葱がきいてて美味い。

昼から熊谷寺、法輪寺、切幡寺、藤井寺と周る。
標識がはっきりある処もあるが、大抵、道の隅にある小さな遍路道の案内を見て行くので、見過ごさないようにしなければならない。

そしてこの日最後の焼山寺に向かった。
ここで初めてお遍路さんの苦難を知った。
標高938mの山の上、樹齢数百年の杉の大木が立ち並び、山岳信仰の凛とした感じがする。
遠くの山並まで見え、眼下を見下ろすとあまりの高さによくこの場所にお寺を建立されたものだと思う。
本尊は虚空蔵菩薩、空に近いからか、我がグループとも響きが同じなので、より近く感じた。

お参り出来て本当に良かったのだが、実は各お寺を周った時には納経帳に朱印と達筆(どこのお寺の人も)で書き記してもらうのだが、これは朝7時から夕方5時までと決められており、私がお寺に着いたのは5時を回っていた。

仕方無くと言うか、こんな処に2回来れて有り難いと言うか、明朝もう1度来る事にした。
私はこのお寺より更に高い処に林道に沿って登った。
誰も全く来ない神山の峠道、山犬峠(だお)と言う処に来た。
山藤が咲いていて、うぐいすを初めいろんな鳥が啼いている。

私は太鼓を出して叩き始めた。
周りの山々に、木々に、そして空に向かって叩いた。
どちらかと言うとここに来れて良かったなと言う感謝の気持ちで叩いた。
太鼓の音の合間にも鳥達は啼いていたし、木々も夕日に照らされ息付いている感じで心地よく、あっと言う間に時間が過ぎた。

下山してから、来る時に案内を見かけていた神山温泉に行った。
食事をしてから、ゆっくり温泉の湯船に浸かった。
ジャグジー風呂が気持ち良い。
あまりに勢いがあるので、ちょっと尻を浮かせてみると、前に流されてしまった。
こんなのは初めてだ。
まさに神の力か。

風呂に入った後はここの温泉の駐車場がかなり広く、車も少なかったので、そこの一画で車中泊をさせて貰う事にした。
熟睡だった。


この続きはまた後で。

2010年5月14日金曜日

四国

今晩から四国に渡ろうと思う。
前々から行くつもりにはしていたが、いつも週末仕事が入っていて行けなかった。

目的はと言う程ではないが、四国の深山霊峰、渓谷そして海で太鼓を叩きたいと思った。
そしてどうせ四国に行くのなら、八十八箇所のお寺も周ってみようと思った。
一度にというわけには行かないから、何度かに分けて行こうと思う。

今回は取りあえず阿波の国徳島だ。
どんな旅になるかまた報告したい。

2010年5月12日水曜日

ダラブッカ

注文していたダラブッカが来た。
エジプト製でアルマース・タラータという名前が付いている。
三菱のダイヤモンドと言う意味らしい。
アルミのダイキャスト(鋳物)を全部覆うように模様が施されている。
全体としては赤茶色、六角形と三角形の貝殻による模様がなかなか綺麗だ。
形はジャンベを一周り小さくした感じで、座って足の股の上に置き小脇に挟んで叩く。

ダラブッカの歴史は古く五千年前から中東のイスラム圏で使われて来た。
私がこの楽器を知ったのはもう7~8年前だ。
岡山に民族楽器の奏者の友達がいて教えてもらった。
一緒に遊んでいる内にラジオ番組にも出演した。

今回久しぶりに手にし、教則用のDVDを観ながら、基本から一つ一つ練習を始める。
音は大きくは4種類、右手で真ん中を叩く低音のドゥン、端を叩く高音のテク、掌を丸めてミュートするエス、左手で叩く高音のカである。
この音を使い分けるのがなかなか難しい。

国文祭まで後5ヶ月ちょっと、なんとかものにしたい。

2010年5月10日月曜日

ピンクの首輪

今日は雨が降っている。
畑にはいろんな種を蒔いているので、おそらく幾種類かは発芽するかも。

遊び猫モーも流石に家の中、雨の中出て行くのは嫌なのだろう。
このモー普段は我が部落の中あちこち歩き周っている。
雄猫同士の縄張り争いもしょっちゅう、傷だらけで帰って来る事もある。

今回も左目の上を必要に猫パンチを浴びたのか、かさぶたを作って帰って来た。
またおそらく猫だらけの処にいたのだろう、ダニを連れて帰って来た。
ほんとうに手間のかかる遊び猫である。

仕方無いので、ダニ除けの薬とダニ、ノミ除けの首輪を買って来た。
薬は首の上側に付ける。
ここなら舐める事はない。
そして首輪、色はピンク、犬はブルーもあったのだが、猫はこの色しか無かった。
ピンクは嫌がるかなと思っていたら、意外と気に入ったみたいだ。
と言うか嬉しそうだった。
猫生初めてのおしゃれだ。
これを付けてると汚いながらも飼い猫とわかるし、一石二猫だ。

まあ雨が上がるまではじっと静養してた方がいいかも。
晴れたら颯爽とお披露目か。

2010年5月8日土曜日

ヨカ

ヨカに行った。
本当は昨日の予定だったが、昨日は勉強会に行ったので今日にした。
同じ先生なのだが、今日はまたまた我が目を疑った。

前回来た時はGWスケジュールとかで残念ながらヨガは無かった。
今日は朝10時20分からのレッスンだったので、その前に行ってスタジオの前の椅子で待っていた。
すると前のレッスンの人達がスタジオから出て来た。
そして事もあろうか、我がヨカの先生が「お疲れ様でした。」と皆を見送っているではないか。
あれぇ、スケジュールが変更になったのかと愕然とする。
掲示板に行ってスケジュールを注視すると事の成り行きがわかった。

我が先生は私達のヨガの前にソフトエアロなるものを教えてたのだ。
多分ソフトなエアロビクスなのだろう。
そして我々のヨガ、そしてまたまたテクニカルエアロという何か難しそうなものを教える事になっていた。
続けて3時間、いやはや御苦労様だ。
私も何かダンス系の物もしてみたいと思うが、エアロビクスはちょっと恥ずかしい。

1時間久しぶりに体を曲げ、伸ばし、捻った。
気持ち良かった。

2010年5月7日金曜日

勉強会

勉強会なるものに行った。
特に勉強したかったわけではないが、誘ってくれたし、「人生気が付けばしあわせ」という比較的楽そうなタイトルに惹かれた。
岡山西川沿いのビルの中の会議室。
参加者は50~60名といった処か。
時間は11時から3時まで途中トイレ休憩1回という長丁場。

私はタイトルしか知らず何の勉強するのかもわからない状態。
行くと資料の入った封筒を戴く。
机に座ってざっと読む。
何か哲学的、宗教的な感じだ。

まず神奈川から来られた方の資料に沿った話。
内容は群馬県で無肥料栽培のスリーエフ農法を推奨されている方の自然観、宗教観を本人に代わり紹介して行くというもの。
約2時間の講義なかなか面白かった。
後半の2時間は参加した方々が講義についての質問や感想を話し合う。

話の流れの一つは、
まず人は自分を客観的に見る必要がある。
そうすると自分の駄目な処が見えて来る。
すると駄目な自分を支えてくれる周りの人に感謝するようになる。
そうなればその人からいい波動が出て来て、周りに波及しお互いのいい波動が共鳴するようになる。

成る程と思い、我が駄目な処を探すが、いくら探しても見つからない。
これだと先に進めないではないか。
駄目な処の無い処が駄目な処か。

では何故駄目な処が無いのか。
私の場合多少の事は自分を駄目と思うより、仕方無いよなと思うのである。
こんな自分果たして如何にすべきや?

寝て考えよう。

2010年5月6日木曜日

ドラムスメ

世間は一応ゴールデンウィークも終わり、今日から日々の生活に戻っているみたいだ。

我が道場もまた練習が始まった。
昼の稽古のちょうどその時に、先日イベントで太鼓を叩いた商工会の面々がわざわざお礼を言いに、お土産を持って来てくれた。
折角来たのだから、ちょっと太鼓を叩かればと勧めたのだが、今日は仕事の途中だとかで帰られた。
これからも続けたいという人も何人かいて、今後が楽しみだ。

昼の稽古の後は今日からドラムを習いたいという高校1年生の女の子が来た。
なんでも文化祭でバンド演奏をしたいとの事。
ドラムを教えるのは久しぶりだ。
過去10人ぐらいの学生達に教えて来たが、皆進学等で他所の県に行き、残念ながら今はいない。
まずはスティックの持ち方から始め、基本の叩き方を教える。
更に簡単な8ビートをやってみる。
始めての稽古だし、終わりには筋肉痛がすると言っていた。
高校1年生で筋肉痛とはちょっと可笑しい。

まあ楽しくやって行こう。

2010年5月4日火曜日

バレエ

今朝、国民文化祭のバレエの部でお世話になっている先生から電話があった。
このGWに振付をしていた作品がぼつぼつ仕上がって来たとの話だった。

前作の棟方志功の神々の世界は、先に和太鼓でリズムを作り、それに合わせて振付をする方法だったが、今回は先に振付をし、それに合わせてリズムを作る方法だ。
テーマは大原孫三郎が若き青年達に、欧米の文化を吸収させようと海外に送り出す場面だ。
青年達はまだまだ荒削りだが意欲にだけは燃えている。
そんな感じを音で表現して欲しいとの事だった。
私としては感じは判るが、荒削りの音を出したら、きっとみんなから怒られるんだろうなぁとちょっと警戒。

踊りの一つ一つの場面のコンビネーション、移動の仕方を確認しながら,最終振付が進む。
私はビデオを回す。
今回は和太鼓でなくパーカションでとの事だったので、取りあえずティンパレスを持って行っていた。
最後に2回程合わせてみる。
リズムはちょっと早めの8分の6
大まかには把握出来た。
後はこちらのリズム体の構成だ。
無国籍な感じが良いと言われてたので、最初ティンパレスとロートタムとジャンベで行こうかなと思っていたが、青年達が向かったのは欧米だから、アフリカのジャンベはちょっと不味いかなと思い始めた。
ではどうするか、ジャンベの代わりにダラブッカにしようか。
しかし持っていない。
棟方志功では音に妥協をしない格好良い私は、効果音としてウィンド・チャイムを買った。
今回はダラブッカか。

国民文化祭、なかなか出費もかさみそうだ。

2010年5月3日月曜日

苗床

ゴールデンウィークも早くも中盤、特にどこに行くわけでもなく、もっぱら田畑の仕事をしている。

私の家の前にも小さい畑があるのだが、先日から鼓空の2人のSさんのしている自然農の田畑を手伝っている。
まず田んぼの方だが、苗床を作った。
やはり田んぼの一画にもみを蒔き、その上にもみが隠れるよう薄く土を載せる。
そしてその周りに支柱を立て、ネットを巻いた。
雀に食べれないようにだ。

畑の方は今年からより広く貸して貰える事になったので、拡がった場所の畝作りをした。
自然農の場合、通常耕す事は無いのだが、最初だけ畝を作らなければならない。
南北の方向に溝を掘る。
掘った土を畑の上に載せ慣らして行く。
この畑には大豆と綿を植える事になっている。
今日は綿の苗床も作った。

朝10時過ぎから始め5時過ぎに終わった。
今日は天気も良く、畑をしてても気持ちが良かった。

2010年5月1日土曜日

種蒔き②

今朝も天気良く、種蒔きをする事にした。

耕さない、肥料を与ない、草も抜かないの、ないないづくしの自然農だが種は蒔くのだ。
しかし考えてみれば、収穫以外の野菜をそのままにしておけば、花が咲き種ができ自然に落ちてまたできるかも知れない。
そうすると私は何もしないでいい事になる。
来年はそうするか。
しかし問題は最近の種は改良に改良を加えているから、なかなかこぼれ種からは発芽しない。
だから少し高いが全部固定種を買ってすれば、その循環も上手く行くだろう。

今日は頂いた大根、人参、なす、きゅうり、ミニトマトの種を蒔いた。
この中なす、きゅうり、ミニトマトは固定種だそうだ。
この3種は今までずっと苗を買って植えていた。
だから種を蒔くのはこれが始めて。
上手く育つか楽しみだ。

一通り蒔いた後、完璧な私が重大なミスをしている事に気付いた。
きゅうりを植える処が一列違っていたのだ。
先日おくらや鷹のつめを蒔いた処だった。
しかし心の広い私はそんな小さい事は気にしない。
きゅうりとおくら、鷹のつめの芽が出て苗になった時、お隣どうしきっと「こんにちわ」と挨拶してくれるだろう。

種蒔きの後は水撒き。
私は種から芽が出る原理を考えてみた。
おそらく気候が暖かくなり、地温も上がり、そこに水を蒔かれると一挙に蒸し暑くなり、我慢出来ず、え~いと外に向かって発芽するのではと思う。
まあサウナから出る人の心境かな。

外でうぐいすが鳴いている。
ちょっと訛っている。

ホーホキョ

2010年4月30日金曜日

金の週

昨日はお隣の集落の祭り「りおう祭」に行った。
正確には龍王祭だが、多少訛って人々はりおう祭と呼んでいる。
龍王山という山があり、ここから神様が村に雨を降らしているのだろう。

もともとは米田さんという翁が我が道場に太鼓を習いに来ていて、その繋がりから5年前から行くようになった。
面白い事に昨年、この米田さんが村の人を集めて、公民館活動の一環として太鼓グループを立ち上げたのである。
今年はちょうど一年目、多分演奏を聴かせて貰えるなぁと思ったら、遠慮して出ないと言われる。
私は村の祭りなのだから、是非叩かれるべきだと勧めた。
そうしたら徐々にニコニコ顔に成られ,元気の良い太鼓を聴かせてくれた。
私達の最後の曲にも加わってもらい、楽しい演奏となった。

私達の演奏後は空手の演舞、武者行列、そして龍王山の山登りと続いたが、私は御休小学校で開かれる敬老会に子供達が太鼓を叩く事になったのでそちらに向かった。
まずまずの子供達の演奏の後は老人の皆さんを太鼓の前に呼んで、簡単なリズムをお教えし、一緒に叩いた。
どの顔からも笑みがこぼれていた。

今日は先週いろいろ用事で行けなかったヨカに行った。
1時からなのだが、私はジムに12時15分頃には着いていた。
我が家では五代前からの家訓で
「物事を成す時は早めに準備をし、心に余裕を持って事を成すべし。」というのがある。
しかる故に早めに行った。

着替えをし、体脂肪率等を計り、それでも時間があるので、スタジオの前に置かれているテレビをボケッと観ていた。
で、はっと時計を見ると1時2分前である。
誰も来てないし、先生もいつもは10分前には来て、スタジオの中でハーブなどを焚くのに来ない。
私はスタジオが変わったのかと思い、掲示板を見に行く。
するとスタッフの人がいて「今日はゴールデンウィークのスケジュールでヨガは無いんですよ。」と済まなそうに言う。

心の出来た私は「そうですか、見てなかったから。」と笑い、残念と思いつつジムを跡にした。

今日は河原に行こう。

2010年4月28日水曜日

アフリカン

昨夜は久しぶりにアフリカン音楽を聴きに行った。

アフリカン音楽は私達も2年程前にジャンベ奏者や大勢のダンサーと一緒に5公演程共演した事がある。
その頃から以前より、より興味を持つようになった。

昨日はギニアから来たMoussa N‘tanga Camara さんのコンサートだった。
やはりジャンベ奏者の友人は彼の事を世界的なミュージシャンだと言ってたので楽しみに行った。

場所は岡山の東山にある彩音(アノン)という緑に囲まれた結婚式場。
なかなかいい雰囲気の処だった。

最初に岩本さんという男性と2人の女性によるインドネシアのガムランの演奏。
キコカンという音に気持ち良くなりリラックスする。

ついでアフリカンの演奏N‘tangaさんはドゥンドゥン(低音)サンバン(中音)ケンケニ(高音)を合わせたセットを作り演奏する。
後のメンバーは日本人。
編成は瓢箪の胴にたくさんの弦を引き縦に持って演奏する楽器コラ、ギター、ジャンベそして2人の女性ダンサーの組み合わせだった。
やはりアフリカンは音も踊りもエネルギッシュだ。
非常に心地よい。

N‘tangaさんの太鼓は勿論強烈でリズムも面白かったが、私はそれより彼の歌に感動した。
高音が透き通っていて、アフリカン・スピリッツに溢れてていた。
本当に聴けて良かったなぁと思った。

最後は友人もジャンベを持って演奏に参加し、私も久しぶりに皆と一緒に踊った。

2010年4月25日日曜日

降りる

今湯郷グラ0ドホテルから帰って来た。
作州武蔵太鼓での演奏があった。
お客さんは奈良県からでバス3台で来られていた。
普段の疲れを癒しに大きな湯船に浸かり、美味い料理を食べ、お猪口を交わし合う。
なかなか良い雰囲気だ。
太鼓の演奏中も拍手を一杯してくれる。
日々一杯働いてるんだから、たまにはゆっくりして貰いたいものだ。

さて昨日は高梁市に行った。
高梁はここから高速道路を使っても1時間ちょっとかかる。
何をしに行ったかと言うと映画を観に行った。
題名は「降りてゆく生き方」
主演は武田鉄矢なのだが本当にマイナーな映画である。
もっともっと多くの人に観て貰いたい映画だ。

内容は案内から抜粋すると、
「人は右肩上がりの経済成長と物質的豊かさを求めることで幸せになるはずだったが、実際は世界的な金融恐慌、凶悪犯罪、偽装問題、自殺、うつ病の激増・・・と不安は数知れない。
いったい私達はこれからどのように生きていったらよいのだろうか?どうやったら不安から脱し、明るい未来への希望を取り戻せるのだろうか?そんな現代人の根源的な疑問や不安を問うべく生みだされたのがこの映画である。」

この映画の中では多くの真摯に生きている人達が取り上げられている。
奥山、里山を守ろうとしている人達、自然農に打ち込んでいる人、無農薬無肥料で出来た玄米から酒を造った杜氏。
している事はばらばらだが、皆繋がっていて、そこに暖かい人の和ができる。
改めて本当の事を追求している人には揺るぎが無いんだなぁと感じさせる映画である。

もし興味を持たれた方は映画の公式サイトがあるので見て戴きたい。
http://www.nippon-p.org/

2010年4月23日金曜日

初々

今朝は今年度初めての農大に行った。

この春は先生方の移動も多かったみたいで、私達のような非常勤講師のお世話をして下さる先生も変わられた。
生徒は例年より少なく2年生4人1年生7人の計11人だった。
まあ人数だけじゃないので頑張って行こうとは思う。

1年生は全く初めてなので、まずは基本からゆっくり始める。
最初はぎくしゃくとした感じだったが、3時間の授業を終わる頃には徐々に慣れて来ているみたいだった。
これから1年どこまでまとまるか楽しみだ。

農大を終えると一端道場に帰り、岡山のラヴィールに向かった。
今日はずっと太鼓の練習を重ねて来た商工会青年部の発表の日だ。
総会の後、皆白のパンツの上にさらしを巻く。
白の地下足袋を履き、商工会特注の黒のはっぴを着る。
皆だんだん気合が入って来る。
お客さんはホール一杯。

なかなか良い感じで演奏が始まったが、途中から走り気味になった。
多少は仕方ないと思う、何しろ初舞台なのだから。
ただ青年部の意気込みだけは聞いている人に強く伝わったのではなかろうか。

今回短期間ではあるが集中して太鼓に打ち込んだ彼等は素晴らしかった。
皆がより太鼓の魅力をわかってくれたとしたら嬉しい。

2010年4月21日水曜日

日々

この処いろんな関係から新しい人達が太鼓を叩きに道場に来ている。
みんな熱心に太鼓に向き合っている。
経験の有る無しに関わらず真剣に取り組む姿は見ていて気持ち良い。
この姿勢自体が大切なんだと思う。

なんでもそうだが、ある程度慣れてくるとどうしても自分に甘くなってくる。
人間というのは自分も含めてだが、所詮怠惰なものだと思う。
だからある程度の事をしようと思ったら、自分自身を無理にでも追い込む必要がある。
心のままにとか言ってたら決して何も成す事は出来ないだろう。
どんな事でもいいから、日々自分自身に課すべき事があれば幸せだと思う。

2010年4月19日月曜日

種蒔き

4月も半ばを超えたので、そろそろ夏野菜を作ろうと思った。
畑に行ってみると草が一杯、生えている。
こんな畑も一般的には珍しいのではなかろうか。
特にからすまえんどうが多く生えている。

まずは去年のきゅうりのネットをはずし、支柱を抜く。
草払い機で、草を刈る。
本当は鎌で刈る方がいいのだが、ついつい楽をしてしまう。
草の根っこは残しておく。

今年は出来るだけ、苗を買わずに種から育ててみようと思っている。
とうもろこし、かぼちゃ、ししとう、とうがらしの種は比較的丁寧に蒔く。
しかしながらほうれん草、ちんげん菜、ラディシュ、赤しそ、ごぼうは種も小さく、面倒なので、草を刈った上にばら撒いた。
筋蒔きとかは言うけど、野菜種のばら蒔きなどと言うのはあるのだろうか。

もう少ししたら、きゅうり、トマト、ピーマン、なす、ごま等も植えようと思う。
また落花生の種も入ったので初めてだが、作ってみようと思っている。

今年の夏もどんな畑になるか楽しみだ。

2010年4月17日土曜日

ナタデココ

今日は久しぶりに雨も上がり良い天気だった。

午前中、富山天龍太鼓に行った。
気持ち良く練習した後帰りに西大寺の000フルに入った。
しばらく行ってなかったので、社長も機嫌が悪いだろう。

一応チェック、やはり禁煙席と喫煙席の割合が気になる。
圧倒的に吸わない人が多いのに喫煙席は禁煙席の倍の広さを取っている。
何故かとしばらく考えた、そして気付いた。

もし喫煙席の方を狭くしたら、煙草を吸わない人は全くそこには入らないだろう。
だとすると煙草を吸う人が来てない時はそこは空きスペースになってしまう。
しかし今の状態なら、煙草が絶対駄目な人は禁煙席に行けばいいし、そこが一杯なら喫煙席に入っても広いから我慢出来るのである。
ちょっとスッキリ。

食事は土曜の昼膳を頼んだ。
デミグラスハンバーグ&牡蠣フライだった。
牡蠣フライは3個、コールスローとトマトが一切れ付いていたが、今一つ。
もう一工夫あってもいいのではと思う。
まあ値段が499円だから仕方ないのかも知れないが。
ドリンクバーはいつもの梅昆布茶130円、計629円払って店を出る。

昼には温度も上がりサッカーゴルフに行こうと思っていたが、家でちょっとゴロっとなりテレビを観ていると寝てしまう。
起きるともう5時、 なんてこった ナタデココ。

そう言えばナタデココは最近よく目にもするし食べもするが一体何だろう。
知らずに食べてるのもなんだし、調べてみる事にした。

ナタ・デ・ココ  ココナッツの汁を発酵させたグル状のもので、フィリピン発祥の伝統食品となっていた。

なんとなく理解できた、しかし面白い名前だ。

私も作ろう。 

オノ・デ・ソコ

2010年4月16日金曜日

ヨカ

初めての方は一体何だと思われようが、一般的にはヨガである。
私の場合今一つストイックさが足り無いのでヨカと呼ばせて貰っている。

この処比較的コンスタントに通っている。
ただ以前は金曜日の朝9時30分からだったのだが、夜方の私にはこの時間は非常にきつく、今は金曜日の昼1時からに変えている。
当然先生も変わった。
前の先生はパワーヨガと言うちょっとハードなヨガを教えていて実際にきつく、私としては別にパワーは付いていなくてもいいのになぁーと思っていた。
今度の先生のは特に形容詞も付いてなく、比較的楽にさせて貰っている。
生徒も結構年配それも男の人が多く、まあ和気藹々といった感じでなかなか良い。

今週は雨の日が多く、外で運動をする事も出来ずいたので、今日のヨカはゆっくり体を伸ばしたり曲げたりで気持ち良かった。

さっき帰ったら、遊び猫モーも帰って来ていた。
早速「飯を食わせてくれー」とギャーギャー啼くので、猫缶を開けて与えた。
わさわさ食べ、腹一杯になったのか今は私の膝の上で毛繕いをしている。
足が痺れそうだ。

百害あって一利無しだ。

2010年4月15日木曜日

有馬

昨日は今まで馬を見かけた事の無い有馬温泉に行った。

いつも行く有名旅館ではなく、知る人ぞ知る格式の高い旅館だった。
一人一泊最低五万円というから、私がお客として行く事はまずないだろう。
いつもはお客さんが百人以上というのも珍しくないが、昨日はたったの十七人だった。
外国人の方々を招いての接待のようであった。
私達の前には琴の演奏で日本舞踊が踊られていた。

企業秘密であるが、私達は有馬に行くと有馬太鼓となる。
六甲降ろしが一つのテーマだ。
いつも通り3曲演奏する。
我が大将は喋りも上手く、お客を乗せるのに長けている。
時にはお客を舞台に呼んで、太鼓を叩かせる事もある。
しかしながら昨日は一言も喋らなかった。
もくもく太鼓を叩いていた。
多分外国人を相手に躊躇したのだろう。
可愛いや大将。

まあ拍手も戴いたし、無事仕事完了と言う事で。
中国道で一路湯郷まで帰った。

2010年4月13日火曜日

靄(もや)

昨日はまた吉井川に沿って北上し加茂に行った。
加茂は我が道場からは80km程あり、片道1時間50分ぐらいかかる。
遠いと言えば遠いが、私は吉井川が好きなのでその山間を流れる景色を見ながら走っていると、そんなに遠いとは感じない。
もうかれこれ13年程通っている。
ここの太鼓チームは商工会の婦人部の人達が集まって発足したのだが、もともと年配の方々が多かったので、年を重ねるごとに一人抜け二人抜けとなっていき、今ではたった三人となった。
後を継ぐ若い人達が入ってくれればいいのだが、加茂は少し山の奥に入った町で、若者達は外に働きに出る為なかなか難しい。
まあ私としてはここまで来たので、チームが存続する限りは続けようと思っている。

昨日は雨が降っていた。
川面の到る処から靄(もや)が立ち登っていた。
薄い処は遠くまで見えるし、深い処はほんの近くしか見えない。
何か墨絵を見ている感じだった。

これからもいろんな景色を見ながら北上するだろう。

2010年4月12日月曜日

春に

私だけであろうか、今年の春はいつもの春とは違った感じを受ける。
例年だとこの時期無条件に心も体も開いて行くのに、そんな感じが無い。
どうしてかと考えるのだが、理由は一つだけではなく複合されているようだ。

社会的な視点からすれば、テレビニュースを見ていてもあまりに不幸な事件が多過ぎる。
国内でも冷酷な犯罪が続き、海外でも残忍な紛争が終わらない。
どこまで馬鹿なのか人間はと思う。

また私の身の回りでもいくつか不幸があった。
最近良く思うのであるが、人一人で幸せになる事は出来ない。
周りの人達がまた社会が、世界が幸せにならないと本当に幸せとは言えないのではなかろうか。

昨日から雨が降っている。
本当の幸せは難しくとも、みんなが青空を享受出来る日がくればと思う。

2010年4月10日土曜日

今朝は御休和太鼓クラブの子供達を連れて瀬戸町の桜祭りに行った。
神社のある山裾にはたくさんの桜の木が有り、どれも満開だった。
天気も良く、そよ風が吹くと桜の花が舞って落ちて来る。
その中、子供達の太鼓の演奏が始まった。
たくさんのカメラマンの人達が写真を撮っていた。
桜と太鼓と子供達の組み合わせは絵になるのだろう。
演奏の方は、春休みだった事もあり今一つ斬れが無い。
まあ仕方ない処か。

太鼓の後は地元の人達による、日本舞踊、大正琴の演奏、ハワイアンダンスと続く。
たい焼き、綿菓子、焼き鳥などの出店もあった。

昼過ぎまでゆっくり桜の木の下、散って舞う花びらを見ていた。

2010年4月8日木曜日

someday

今日はやや寒の日だ。

朝、吉井川の我が公園に行き、サッカーゴルフをする。
もうかれこれ2年以上やってるので、ボールも割りと狙った処に飛ぶようになった。
このまま行けばポスト中村俊輔もそう遠くはないだろう。
しかしながら私の場合敵を相手にしてないので、一抹の不安はあるが。
1時間程サッカーゴルフを楽しみ帰宅。

畑で取ったキャベツと卵を炒め、みそラーメンの上に載せ、一味を少し多めにかけ食する。
なかなか美味い。

午後からてらこやおひさまの練習、今日は欠席者もあり4人での練習。
基本練習に時間をかけ、最後に2曲程合わせてみる。

今日はこれから何も無い。
作戦でも立てようかな。
何の?
それは秘密。

また後日に!

2010年4月6日火曜日

ラベンダー

私は昔から紫色が好きだ。
色占いなどによると情緒不安定と言われる事もあるが、気にしない。
まあ高貴な色とも言われているから、こちらを信ずる事にしよう。

ラベンダーの苗を貰ったので植えることにした。
されどどこに植えるか迷った。
畑の隅とかとも思ったのだが、うちの畑の土は少し粘土ぽい。
ハーブはもう少し砂地のがいいと思って場所を探した。
しかしながら下手な処に植えると、草刈をする時に一緒に刈ってしまう。
だいぶ前だが、富有柿の苗を買って来て、8年待とうと思ったら半年で草払い機で草と一緒に刈ってしまった。
チンの音一発でお終い。
甚だ残念だった。

思考錯誤の上、母親が作っている花壇に植える事にした。
別に親孝行からではない。
前は母親も花などを植えていたのだが、最近はさぼっていて何も植えておらず草畑になっている。
ここなら間違っても刈る事は無さそうだ。
花壇の中央にラベンダーの苗を植える。
風に揺られ気持ち良さそうだった。

相変わらず天気も良いし、家の掃除を始めた。
窓を開けて掃除機をかけると清清しい気分になる。。
なぜ普段しないのかなと思う。
私は我慢強く、ある域に達しないと掃除をしない。
塵も積もれば山となると言うが、流石に山には成らずとも、丘ぐらいになって意を決する。
部屋もさっぱり綺麗になった。

昼から吉井川の河原にでも行こう。

2010年4月4日日曜日

田畑

チューリップが至る処に咲いている。
ホームセンターにはたくさんの野菜苗や花苗が売られている。
実に綺麗だ。

今朝は商工会のメンバーによる練習があった。
みんな練習の回数を重ねる度に太鼓にも慣れてきているし、課題曲もだいぶ頭に入って来ているみたいだ。
まず何と言っても、勢いがあり、見ていて気持ちが良い。

午後からは道場の近くの山の上にある美和神社に花見に行った。
ここからは遠くは四国の屋島も見えるし、瀬戸大橋も見える。
参道にはたくさんの桜が咲いている。
普段は参拝者も少ないのだが、今日は結構花見客が一杯いた。
ここでのんびり出来ればいいのだが、今日は鼓空のメンバーがしている自然農の田畑の手伝いをした。
昨年田んぼのあぜがちょっと低かった為、水がお隣さんの畑に漏れてしまった。
で今日はあぜを少し高くするのと、作付けする処の高さを合わせる作業をした。
一応苗代を作るのだが、直播をする。
田んぼの面積は去年の2倍になった。

田んぼの後は畑、ここもまたかなりの広さを借りれる事になった。
大豆や綿や雑穀、ハーブ等一杯作る予定らしい。

果たしてどんな年になるやら、田んぼも畑も今から楽しみだ。

2010年4月3日土曜日

桜祭り

昨日は本番が入っていて1週間飛ばしていたヨカに行った。
ゆっくり深く体を動かして行くと、その時はしんどいが終わった後が気持ち良く充実感がある。
相変わらず「そさす」の行動パターンだ。(そっと入り、さっとして、すっと帰る)

今朝も天気が良く、朝は富山天龍太鼓に、午後は御休小学校に行った。
どちらも場所は違うが桜祭りに出演する事になっている。
本当にいい季節だ。

鼓空も後楽園の桜祭りには何度か太鼓を叩きに行った。
太鼓を叩いて、屋台でいか焼きやたこ焼きを買い、夜桜の下で酒でも飲んだら最高である。

あ~行きたくなった。
どこかの桜祭りの主催者さん、私達を呼んでおくれ。

2010年3月31日水曜日

無事に

昨日盛況の内に洋舞フェスティバルが終わった。

岡山バレエ連盟の12の団体から延べ180名程のバレリーナが出演した。
スタッフも舞台監督から舞台美術、衣装、照明、映像、音響・・・・と多くの人が関わっていた。
大道具は本当に大きく、かなり迫力があった。
特にバレエの舞台というのはお客さんが日常の感覚から飛び出し、別の次元にまで誘わなければならないので、踊り手と共にスタッフの作業もかなりの繊細さが要求される。

1部2部合わせて20程の作品が演じられた。
バレエ連盟の凄い処は大きな作品は各団体から踊り手がそれぞれ出演し、合同で作ってしまうのである。
勿論、手の挙げ方、足の運び方、テンポの取り方まで皆が同じになる様、細かく合わせて行く。
当然練習は厳しい。
いろんな先生から駄目だしが出る。
あそこで頑張っていたら、きっと人生怖い物無しになるだろう。

本番では皆、かなりの集中力を持って頑張っていた。
多くの人のエネルギーが集まると凄い事になる。

で私達の「門舞神」であるが、ダンサー2人、バレリーナ2人は動きに切れがあり良かった。
私達はと言うと、いつもそうだが普段の鼓空の演奏とは全く違った緊張感を覚える。
テンポ、タイミングが殊更重要になる。
そして誤魔化しが効かない。
まあいつも誤魔化しているわけではないのだが。

このプレッシャーの中でまずまず抑えれたのではないかと思う。
まだ修正すべき点はあるが。

これから秋の国民文化祭に向けて後2曲仕上げないといけない。
1曲は和太鼓でなくて、パーカッションで作って欲しいと依頼を受けている。
どんな事になるやら。
まあ今日は夜の練習までは、ボケーと過ごしたい。

河原にサッカーボールでも蹴りに行こうかな。

2010年3月29日月曜日

洋舞フェスティバル

今朝も天気が良い。

「おかやま洋舞フェスティバル」のリハが続いている。
今日はいよいよ倉敷の芸文館でのリハ、そして明日ゲネプロ、6時から本番が始まる。
この催しは今年秋の国民文化祭のプレイベントでもある。
今回はその中の一部を披露する。
多くの関係者が集まるだろう。
チケットも完売の状況らしい。

私達の出る作品も練習の回数を増す度に、踊り手と太鼓の音が合って来ている。
しかしながら最後まで気の抜けない作品だ。

本番まで集中力を持って臨みたいと思う。

2010年3月27日土曜日

回転

天気も良く気持ちのいい朝が来た。
我が道場の周りの山々にも山桜が咲いている。
うぐいすのホーホケキョの声があちこちで聞こえている、まだ鳴き出したばかりなので下手ではあるが。

昨日もバレエとのリハがあった。
今回の洋舞フェスティバルは1部と2部とに分かれていて、2部は倉敷の大原美術館をモチーフとしている。
その中私達の作品は棟方志功の神々の世界「門舞神」がテーマだ。
踊り手はダンサー(男さー)2人とバレリーナ(女性)2人である。
全体的になかなか面白い振付がされている。
途中男性2人が片足で何回転もぐるぐる回るシーンがある。
かなりスリリングな場面だ。
決まるときっと拍手もんだろう。
太鼓の方もなんとか目途が立って来た。

リハでダンサーの回転を見たので、帰りに我々3人で回転寿司に入った。
私は回転寿司をこよなく愛している。
だって好きな物だけ食べれるから。
私の好きな物はいかと貝、うにと言った処。
魚は平目のエンガワぐらいしか食べない。

いかは種類もたくさんある。
槍いか、剣先いか、甲いか、紋甲いか、真いか・・・これぐらいでまーいーか。
貝はやはりつぶ貝が旨い。

で流れる皿を取って行く。

イカイカイカイエンガワイカイカイカイウニ・・・・・・

2010年3月24日水曜日

雨だれ

今日は朝から雨が降り、家の軒から雨が垂れている。
一時の氷雨みたいなことはないから楽であるが、我が公園には行けない。

朝婦人部隊の練習をした。
雨の中全員揃い、基本練習中心に励む。

昼畑からキャベツを一つ取り、人参と卵を合わせ野菜炒めを作り食べた。
なかなか美味だった。

午後からはのんびりテレビを観ながら寝てしまう。
最近夜布団に入るのが遅いからか。

まあこの週末から来週の火曜日の本番まで5日間バレエのリハに追われる。

今はもう少し雨の中だれっとするのもいいかもである。

2010年3月23日火曜日

ラーメン

私は麺類が好きだ。
特にラーメンはよく食べる。
外食する時は半分以上がラーメン屋さんだ。
豚骨,醤油、味噌、塩それぞれに美味い。
単純にスープをすすりながら麺を食べるというのが良い。
それだけでも1食になるし合理的だ。
実に当たり前のことを書いているが、国が違えばそうもいかない。

アメリカでよく見る光景は若者がハンバーガー、サンドイッチ、ピザどちらかと言うとパサパサした物を食べコーラで流し込む姿である。
同じちょっと入る外食でも日本とは違う。

私もあちらで無性にラーメンが食べたくなり、よくチャイナタウンに行った。
意外に日本のようなラーメンは無く、少し固めのビーフンみたいな麺で、スープは海老の殻から取った物が多かった。
これはこれで塩味も効いて美味かったが。

麺に限らず日本は本当に食文化に恵まれている。
幸せな事だ。

2010年3月20日土曜日

3連休

今日は暖かい日だった。
場所によっては記録的な暖かさだったそうだ。
私は朝富山天龍太鼓に行き、その後衣料品店へ春物の服を数点買った。
移動する車の中は暑く、一時冷房もかけた。

世間では3連休だとの事。
良い初日になったろう。
私はと言えば、明日も教えがあり、明後日は「おかやま洋舞フェスティバル」のリハーサルがある。
私は年から年中、休みと言う日が殆ど無い。
いつも何か入っている。
だが、これも別に大して苦では無い。
すべき事があると言うのは有り難い事だ。

3月30日の倉敷芸文館ホールでの本番に向けて、忙しくなる。
頑張ろう。

2010年3月17日水曜日

卒業式

昨日は農大の卒業式だった。
私が行き出してから、もう8期の学生を送り出した事になる。
本当に月日の経つのは早いものである。

私が最初に大学に行くきっかけになったのは2002年に岡山市役所の南にある公園で割と大きなイベントがあり、鼓空が出演していた。
それをたまたま、農大の教頭先生が御覧になってて、ステージが終わるやすぐに来られて、うちの大学生に是非和太鼓を教えて貰えないだろうかと言われたのである。
その先生は本当に教育熱心でもあり、みんなから慕われる方だった。
残念ながら、先生は私が通い出してしばらくしてから、病気にかかられ闘病のすえお亡くなりになった。
私もこの先生をつてに大学に行ってたので、この先どうなるのだろうと思っていたが、その後も各先生の協力、後押しもあって現在に至っている。

卒業式の最後には毎年在校生が太鼓を叩いて、卒業生を送り出すのが定例となった。
この日は私も早く学校に行き、リハーサルをする。
先輩がいなくなる分、音も弱くなるし、精神的にも辛そうだ。
本番では皆幾分上がり気味だった。
まあ仕方ない、また来年度からみっちりしごいてやろうと思う。

卒業生も2年間だけど、よく付き合ってくれた。
これからもし田舎に帰って、祭りなどで太鼓を叩く機会があれば是非率先して叩いて欲しいと思う。

2010年3月15日月曜日

音それぞれ

昨日は結婚式の披露宴二次会に呼ばれて行った。
岡山のMars clubというクラブだった。
ちょっと暗めの中に色の着いた光線が飛ぶ。
久しぶりの感じだった。

私達も過去2回程クラブでDJの方とセッションした事がある。
最初は大阪のマザーホールという処で、知る人ぞ知る天宮志龍氏との共演だった。
彼のトランス系の音楽に私も入り込んだ。
もう一つは神戸のTroop cafeという処でオールナイトのDJライブに出演した。
若者の熱気が凄く朝まで一緒に過ごした。

一見DJと和太鼓とは全く合わないと思うが、これが実に合う。
DJの人達もいつも電気的な音の追及をしているので、逆に生音に憧れているような処がある。
私も彼等からいい刺激を貰う。

昨日は帰ってから一人でちびちび酒を飲んでいると転寝をしてしまった。
夜中に目覚めるとテレビでマウンテンバイクのXゲームとプロレスをしていたので観る。

それからがまたテレビに釘付けになった。
小澤征爾さんの指揮である。
2009年で松本で行われたもので、サイトウキネンオーケストラによるブラームスの交響曲であった。

練習風景から本番までの放映だったが、実に面白かった。
小澤さんの指示が実に細かく繊細だ。
ドルチェという演奏記号があり柔和にとか柔らかくという意味で、主に弱いピアノの処で使われるとの事。
弱いけど重要なポイントで付けられているらしい。
ブラームスの譜面の中に書かれているドルチェの意味を小澤さんは深く説明されていた。

練習風景の後、本番に。
4楽章すべて聴かせて貰った。

やはり小澤さんは凄い方だなぁと改めて感じた。

2010年3月13日土曜日

春霞

天気が週末にかけ徐々に暖かくなって来ている。
白やピンクの梅の花が咲いている。
椿や木蓮も咲いている。
草花もそうだが木の花も不思議な感じがする。
その時期にだけそれぞれの花を咲かせるのだから。

景色は霞のせいかちょっともやっとしている。
我が頭も今そんな感じだ。
いろいろ忙しかったから、その反動か。
昨夜、頭を洗う時、シャンプーとリンスの付ける順番を間違えた。
置いてある位置が普段と反対になっていたせいでもあるのだが。
後でリンスを付けたつもりが泡立った。

明日は本番が入っている。
少しは気を張らねば。

霞を食って仙境に入ろう。

2010年3月11日木曜日

Peace walk ②

9日の午後 みぞれの中 Walkは備前大橋のたもとに着いた。
2年ぶりの石橋上人との再会、笑顔での握手から始まる。
後お二方との挨拶を終え、道場に。
お茶を飲んだ後、すぐに暖かい風呂に入って戴く。

夕方 2人のWalkerが道場にて合流。
1人は韓国から応援に来た青年だ。

夜、内のメンバー達、チームはるはるの仲間達が来てみんなで夕食、団欒。
今回のWalkの事、沖縄の話、九州の話、広島での話しを聞かせてもらう。
旅の人達の話を聞くのは本当に楽しい。

11時頃まで話、翌日に備え就寝。
朝6時に起床、メンバーも朝早くから来て朝食の準備をする。

8時40分昨日の終点、備前大橋からのスタート。
いよいよ私の出番だ。
私は最後の最後までダウンジャケットにするか、ウインドブレーカーにするかで迷っていた。
着てて暑くなるのも、寒くなるのも嫌だ。
結局、ダウンを来て、ウインドブレーカーを伴走車に積んだ。
実に賢い選択だった。
途中暑くなったり、寒くなる度に私は着替えていたのだから。

備前の9条の会の方が2人、差し入れに来てくれる。
2人は私の顔を見るなり、00さんでしょうと声をかけて来た。
実は8年程前に鼓空を呼んでくれた実行委員会のお二人だった。

Walkerは7人、伴走車1台。
一番前の人がPeace walkの旗を持ち、それに続く、最後に上人さんが団扇太鼓を叩きながら、題目を唱える。
香登、伊部を通り、片上に入る、11時過ぎに小さな公園で昼食、玄米のおにぎり、味噌汁、差し入れのゆで卵を食べる。

昼食後、片上の中心街から、湾沿いに穂波へ。
小雨が降り出す。
この頃になると我が足のふくらはぎや股の後ろ側が多少痛くなる。
だが根性の私は我慢して歩く、偉い。

ブルーラインの備前日生インターを通り抜け、小さな峠を超え、日生に入る。
入ってすぐ雨脚が速くなる。
予定の距離数を歩き切ったので、Walkを終了。

伴走車に8人乗り込み、道場に帰る。
私も普段そんなに歩いてない上に、いきなり18kmだったから、多少不安はあったが、なんとか歩けた。
普通Walkは22~23kmぐらいなので楽な方ではあったが。
多い時は30kmぐらい歩くらしい。
これを毎日続けるのだから、凄い。
初めての人はやはり足を痛めるが、1週間程歩くと慣れてくるらしい。

夜また皆集まり、いろんな話をする。
政治の話、歴史の話、次々と話題は尽きない。
話している内に、一人一人の生き方まで浮き彫りになってくるから面白い。
韓国の青年の弾き語りも聞かせてくれた。
素朴ながらに愛の唄を唄ってくれた。

今朝やはり6時起床。
メンバーもまた早く来て朝食の準備。
上人が作った曲のCDを聴いた。
パレスチナでイスラエルの戦車の前に立ちはだかり、ひき殺された人への鎮魂歌だった。
また戦争で殺された子供達に、もう何も怖がらなくてもいいよと言ってあげる曲も聴いた。
本当に許されない現実がある限り、平和を訴え続ける動きが必要なんだなぁと思う。

道場でWalkの人達とメンバー達が別れを惜しみ、伴走車と私は日生に向かった。
今日は日生から赤穂だ。
さっき道案内を終え、私は道場に帰って来た。
また貴重な体験をした。

今回、朝、昼、晩と手作りの食事を作ってくれたメンバーには本当に感謝である。

2010年3月9日火曜日

朝起きて窓の外を見ると、雪が降っていた。
一瞬目を疑う。
先程みぞれになり今は雨となっているが。
 
今朝石橋上人さんから連絡があり、最終確認をした。
6人で歩いておられる。
寒い中大変だなぁと思う。
明日はわが身もであるが。

でこの処、週間天気予報ばかりが気になる。
少しづつではあるが変化して来ている。
ちょっと早まっている感じ。
明日が寒さのピークだったのだが、今日がピークになっているようだ。
明日の温度は6度から11度となっている。
最初氷点下2度から始まっていたので、かなりの進歩だ。
降水確率も60%から50%に減っている。

今回もミュージシャンの人がいるようだ。
またセッション出来たら面白いかも。
ちなみに前回のウォークの時は2人組のアメリカ人のラッパーがいて、やはりセッションした。
皆ノリノリで楽しんだ。

夕方にはこちらに着く。
寒いので風呂に熱いお湯でも貯めておこう。

2010年3月8日月曜日

加茂

昨日は加茂に和太鼓のコンサートを観に行った。

その前はいつもの様に、働き者の私は津山の000フルの視察も怠らなかった。
久しぶりではあったが、皆よく働いていた。

このコンサートは今年で3回目で津山鶴丸太鼓さんが中心になって開かれている。
ゲストとしては和太鼓風人、そして式部という尺八と琴のユニットだ。
風人さんは今まで3人編成だったのだが、1人メンバーが増え、よりパワーアップしていた。
風力3から風力4になった感じ。
近寄ると飛ばされそうだ。
バチを持ってない時に近付こう。

鶴丸さんはやはり勢いがある。
組太鼓も決まっている。
子供から大人までの混成チームだが、子供の叩き方もしっかりしている。
子供の場合、太鼓に限らず、つい可愛いだけで済ませてしまう事があるが、鶴丸の子供達は違っていた。
大人を追いかけ懸命に叩いていた。
代表が練習は厳しくしていると言われていたが、よくわかる。
私も子供にもっと厳しく当たったほうがいいのかも知れない。
明日からそうするか。
子供達、一体何があったのかと怪訝な顔をするだろうな。

先程遊び猫モーが帰ってきた。
この時期ギャーギャーうるさく声を出すものだから、声が枯れてしまっている。
体もオス同士の縄張り争いで傷だらけ。

しかし餌を食べて毛づくろいをしたら、また出て行く。
本当にどうしようもない馬鹿だと思う。

馬鹿猫 猫馬鹿 猫馬馬

2010年3月6日土曜日

三寒四温

言葉通りこの時期ポカポカ天気であったと思えば、肌寒かったりする。
私としては普段は春の中の出来事なのでそんなに苦ではない。

だが今回一つの危惧になっている。
この処ずっと悩んでいる。

実はピースウォークの事である。
今倉敷に着いて、倉敷の9条の会、原水協の人達と合流している。
8日に岡山市に入り、表町の中を歩き、城下の地下広場で集いを持つ。
9日の朝に岡山県庁を出発、吉井川の備前大橋を渡った所で、その日のウォークが終わる。
そして私達の道場に来て、夕食、親睦会となる。
ここまでは良い。

私が危惧しているのは、その翌日の10日だ。
実はこの日は皆を誘った手前、私も歩くべきかなと思い始めたのだ。

朝、備前大橋を出発し香登、伊部を抜け備前市の中央 片上を通り、片上湾沿いにブルーラインの備前日生インターの辺まで歩く。
距離は17kmぐらい、ピースウォークの平均からしては少ない方ではある。
だが先日距離を計りに車で走ったのだが、ここを歩くのかと思って走っていると結構な距離がある。
まあマラソン選手などからすれば、何をか言わんやであろうが、普段そんなに走りも、歩きもしない我々からすれば、ウッと息を呑む距離だ。

そして更にもう一つ、天気予報が言うに、来週寒波が来るらしい。
特に10日が一番のピークで0度から7度の間だそうである。
私は先日購入したダウンジャケットとヒートテックのインナーで乗り切るしかないと覚悟した。

だがさらに追い討ちが。
降水確率60%だそうだ。
雨が降ったらダウンジャケットはまずいのではなかろうか?
その上に合羽ともいかないし。

我いかがすべきか思案中である。


行かない事にしようか。

2010年3月4日木曜日

未経験の人

今日は雨が降り肌寒い。
しかしながら春である。
春の中の寒い日だ。

先程おひさまの練習が終わった。
新しい人達も除々に太鼓に馴染んできている。

昨日、今まで太鼓を一度も叩いた事のない二人の男性が来た。
なんでも所属する商工会議所での催しで6人から8人ぐらいで太鼓の演奏をしたいという事らしい。
短期間で1曲仕上げる事は可能かどうかの問いから始まる。
一応やる気、やり方次第だと答える。

私も時々小中学校の学習発表会で和太鼓演奏をしたいという希望に応え、指導に行く事がある。
いつも限られた時間の中で曲を仕上げるようになる。
勿論和太鼓も奥が深いから、短期間に物にするのは不可能だ。
だが私としては太鼓を叩いた事の無い人に少しでも和太鼓の楽しさを知って貰う事は意味のある事だと思っている。
だから時間が取れればお受けする事にしている。

今回もどんな練習状況になるのか、またどんな結果が待っているか楽しみだ。

2010年3月2日火曜日

ぐい飲み

私はどうも酒が好きみたいである。

みんなとわいわい飲むと言うのでなく、一人でちびちび飲んでいる。
時には酒を飲みながら太鼓を叩いている。
飲んでいると、頭の中に別の回路が出来て新しいフレーズが生まれることがある。
こうなると酒はやはり必需品かなとも思う。

酒を飲む時に使う器であるが、これが重要だ。
適当な容量というものがある。
私の場合 苦手なのはお猪口だ。
一人の時は使わないが、宴会の時などに使う。
これは小さいので一口で飲んでしまう。
で杯を皆と重ねている内に自分がどのくらい飲んだかわからなくなってしまうのである。

逆に容量が大きいと当然ながら、これまた飲んでしまう。
で最も良いのはやはりぐい飲みだ。
湯飲みより少し小さい。

ぐい飲みについてこんな説明を見た。
片手の掌にしっくり納まる大きさでありながら、土味、火色、窯変、灰被など 焼き物が持つあらゆる表情や作り手の個性、陶技が込められたぐい飲みはまさに「やきものの小宇宙」である。
実に上手く言ったものだ。

私も過去気に入ったぐい飲みを使ってきたのだが、酒器ならではの問題がある。
お分かりであろうか?

酒器は酔う時に扱う物だ。
当然酔って落としてしまう事もある。
今まで何回愕然とした事か。

昨日久しぶりに飲み友達の備前焼き作家の処に行った。
陳列棚を覗いていたら、火襷と灰被が程良く入ったぐい飲みを見つけた。
安く分けて戴いた。

大事にしようと思う。

2010年3月1日月曜日

今日から春だ。
私も昔ほど冬が嫌いではなくなったが、春の到来は嬉しい。

これから紫色の草が一杯咲く。
そして菜の花をはじめ黄色の草が咲く。

人の心もうきうきして来る。
やっぱり人も気候に大きく左右されているんだなぁと思う。

私も太鼓を持って、山、河、海と旅に出たい。

2010年2月27日土曜日

冬も

いよいよ明日で冬も終わり。
公園のオオイヌノフグリは花開く面積も広がり、近所の梅も花を付け出した。

昨日は農大に今日は富山天龍太鼓に行ったが、天気もポカポカ。

春は人の心も徐々にオープンになっていく。

私も暖かい春に向かって、楽しい計画でも立てればと思う。

今遊び猫モーが帰って来た。
2~3日に1回のペースで帰って来る。
帰ってそうそう、飯をくれだ。

こんな猫いかがなものか?

2010年2月25日木曜日

Peace walk

2010 ピースウォーク from 沖縄 「天 地 行」が今年の1月1日から始まっている。
明日には広島に入る。

今回は今年5月に国連で 核兵器不拡散条約(NPT)が開かれ、10月には名古屋にて 生物多様性契約国会議(COP10)が開かれる、この両会議に歩調を合わせてのウォークだ。

4月30日に東京入り、5月1.2.3日と都内での催しとなっている。

岡山には3月8日に入り、9日に瀬戸内市、10日に備前市、11日に赤穂市に着く。
私達の道場も9日、10日と宿泊所として提供する。

過去ここには3度程ピースウォークが泊まって行った。
アメリカンインディアンの人がリーダーであったり、お坊さんが中心だったりする。
どのウォークも核廃絶、世界平和を願っている。

ただいつものウォークなら30名程の人達が共に歩いているのだが、今回は急に決まった為か少ない。
今は日蓮宗の石橋行受上人を含め4人で歩いておられるそうだ。
これから増えていく可能性もあるが、もし関心のある方は問い合わせ頂き、参加して貰えればと思う。
宗教的な問題は一切なく、どの宗教の方でも歓迎されると思います。

一緒に歩く事が難しくても、9日10日の夜は道場で交流会も開くので、そこで話をし、いろんな情報交換するだけでも楽しいです。

わからない事があれば私の処でもいいですし、下記に問い合わせ頂いても結構です。

Webサイト  http://peacewalk.xrea.jp/
お問い合わせ先  peacewalk2010@gmail.com
TEL/FAX     03-6314-8199
    携帯     080-3417-1892

2010年2月23日火曜日

ポカポカながら

今日は大変暖かかった。
しかしながら私はどうも風邪気味。
原因は単に油断
太鼓を叩いて汗をかき、そのままにしてたり、酒を飲んでホットカーペットの上にゴロ寝をしたりと不摂生に因るものだから、どうしようもない。
早く治して、来るべき春を楽しみたい。

2010年2月21日日曜日

無事に

昨日の合同練習そして今日のゲネプロと本番、「マッチ売りの少女」が無事終わった。

出演者はダンサー、演奏家、コーラス、そして和太鼓の子供達と、総勢150名ぐらい。
全員揃っての練習は昨日が始めてだった。
個々に練習してきた物を合わせる感じだ。

私もソロで出演したのだが、その事よりも子供達の演奏の事が気にかかるし、神経も使う。
まあ子供の本番は後半走り気味だったが、なんとか抑える事が出来た。
また女性合唱団と御休の子二人との「備前太鼓唄」の共演もまずまずの出来だった。
ダンサー、演奏アンサンブルは流石に素晴らしかった。
満席だったお客さんも喜んでくれたみたいだ。

本番の後は同ホテルでのディナーパーティー、アンデルセンに因んで、デンマーク料理が一杯並ぶ。
6年生だけ代表で参加させたが、みんなニコニコしっかり食べていた。

子供達にもいい経験をさせて貰った。
私もホッとし、先程家に帰って来た。
ゆっくり酒でも飲みたい。

2010年2月18日木曜日

オオイヌノフグリ

冬も後12日で終わる。
私は2月一杯までを冬としているので。

昨日我が公園で春を呼ぶオオイヌノフグリの花の群生を見つけた。
オオイヌノフグリは花弁はブルーで中は白い小さな野草である。
大変可愛らしい。
私はこの花を見ると、春がもうそこまで来ているんだなぁと思う。

ところで前から気になっていたのだが、なんでこんなに小さい花なのにオオイヌノフグリと呼ぶのかである。
コイヌでもいいのでは?
またフグリとは一体何ぞや?

調べてびっくりした。
フグリとは陰のう、つまりタマタマだった。
この花の果実が犬のタマタマに似ていると言うのである。
植物学者の皆さん、他に呼び方はなかったのか。

ちなみに花言葉は信頼 神聖 清らか 忠実らしい。
タマタマが神聖、清らかではないとは言わないが、やはりセンスを疑う。

若い女の子が、この花を見つけて大犬のタマタマだと叫んだらおかしいだろう。
果実より花に焦点があっても良かったのでは。

2010年2月16日火曜日

アンデルセン

アンデルセンの生誕200年によせてのイベントに、私達の教えている御休和太鼓クラブ、そして私が出演する。
子供達もこのイベントが決まってからは練習時間も30分増やし、また女性合唱団と共演する曲も練習してきた。
まだ調整すべき処は多々あるが、どうにか元気の良さで乗り越えて貰いたい。

私達以外にはプロのバレエダンサー、演奏者、そして合唱団が出演する。
なかなか岡山では観られない企画なので、興味のある方は是非お越し戴ければと思う。

「マッチ売りの少女」

日時 2月21日(日) 16時30分開場 17時開演
会場 ホテルオークラ岡山

出演 
バレエ UNIT SEEK 金田あゆ子 森田真希 金田和洋
演奏  マリンバ 金田温子 打楽器 小島光 渡邊欣也 フルート垣野内英博 オルガン 熊埜御堂可奈子 ピアノ 飯尾孝枝

合唱団 「華」
和太鼓 御休和太鼓クラブ  乙倉俊

入場料 3000円 (中学生以下 無料)

主催 NHK文化カルチャー
共催 ホテルオークラ岡山

2010年2月15日月曜日

マクロビ

赤目塾の赤目は地名である。
川口さんの目が赤いのではない。

土曜日の夜、皆で夕食を摂ってから、川口さんの講義そして塾生からの質問タイムが始まる。
講義は8時過ぎには始まったが、終わったのは12時だった。
田畑についての具体的な話から、哲学的な話まで及ぶ。

自然農の基本を言うと

① 土を耕さない。
② 肥料を与えない。
③ 草も虫も敵とはせず、共存する。

大きくはこんな感じだ。
詳しく知りたい方は本も何冊も出されているので、読んで頂ければと思う。

ここで戴く食事は皆自然農で採れた野菜を使っている。
夕飯は雑穀米、味噌汁はいろんな根菜が入っていた。
野菜料理も手が込んでいて、一言では説明出来ない。
朝のパンも手作りだ。
どの料理も暖かい感じで美味しい。

いつもは土曜日の夜1泊して、日曜の朝は田畑に出て川口さんの実際の農法を教えてもらう。
今回は田の手入れ等が中心だったが、私達は作年教えて戴いたし、昼1時から大阪の国際会議場でマクロビの岡田定三さんの講演会があったので、赤目で弁当を戴き失礼した。

マクロビとはマクロビオティックの略だが、マクロとバイオとの合成語で、直訳すると「大きな生命観」となるらしい。
これではなかなか難しいが、自然の理に適った料理法を身に付け、その食事を摂って行く事で、体に自然治癒力を付け、精神も高まって行くという事らしい。

岡田定三さんはマクロビを伝えている正食協会の会長さんである。
本も数冊出されているので興味ある方は読んで頂きたい。

川口さんにしても岡田さんにしても、信念を持って生きて来られた方は、そのされている事柄から脱して、哲学、思想、或いは宗教観まで話が及ぶから面白い。

表面的な現代的感覚からすれば、ある意味地味だが、これからの人の生き方、世界のあり方、そして地球の環境をも左右する大きな要因になるだろう。

2010年2月14日日曜日

赤目塾

今私は奈良と三重の県境の山の中にいる。

自然農の川口由一さんの開かれている赤目塾に来させてもらったのだ。
やはり昨年の2月に来ているので、ちょうど一年ぶりだ。
鼓空の二人のSlowなSさんと一緒だ。
私が入るとSOSだ。
何の助けを呼んでるんだかって話だが。
まあSSSとも言える。
この場合は2Slow−1Speedyが正解であろう。

彼女達はこの1年間毎月通って来ていた。
ここに畑を借りてて、学びながら実践してたからだ。

私も来たかったが、土曜日曜なので、いつ仕事が入るかわからない身なので辞めた。                                         

先程川口さんの言葉による学びが終わった。
皆寝る準備に入るのだが、山荘には130人近くもいる研修生全部は泊まれない。
で車中泊の人もいる。
で2人のSさんは山荘に、私は愛車ハイエースに布団を敷き尚且、寝袋にくるまって寝ている。
密かに持って来た酒を飲んでいる処だ。

これはこれで楽しい

2010年2月12日金曜日

後16日

我が頭も徐々に回復している。
この処寒かったし、風邪気味でもあったので、家の中にいる事が多かった。

だが、今日は温かかったので、我が河川敷の公園に行った。
鴨供を探したがやはりいない。
先日下流の西大寺の観音院さんの前辺りでたむろしてた。
まあ我が公園では 落ち着いて日向ぼっこもできないので移ったのだろう。
小一時間程遊んで帰って来たが、なぜかまだ体を動かしたくなり、いろんな処の掃除を始めた。
珍しい事である。

冬も後16日で終わる。
さすれば春だ。
来年度はすでに決まっている仕事もあるが、また変わった動き方もしてみたいなと思う。
楽しい事を探す事にしよう。

2010年2月11日木曜日

鳴かず

鳴かず 飛ばず 卵を産まず の生活が続いている。
頭も痛く 体もだるかった。

最初 滅菌しようと酒を飲んだら、 頭がガンガンこの上無し。
対処法を間違えたらしい。
その後は酒は控える。
代わりに頂いた玄米かぼちゃ粥を食べたり、漢方の風邪薬を飲んでいる内に 徐々に回復してきた。
この調子で行くと明日には卵も産めるかも。

先程遊び猫モーがニャアニャアうるさく帰って来た。
まる2日間出っぱなしだった。
人が苦しんでいる時一体何をしてるんだあいつは。

猫でなし                                                                                                              

2010年2月8日月曜日

我が頭が変である。

偏頭痛がする。

知恵熱か?

そう言えば最近、知恵を一杯使っている。

でも風邪かな。
昨日から痛い。

先程 御休の無駄に元気な子供を相手にしてると、益々 痛くなった。

今 県北の加茂に向かっている。

中国山地の雪で 頭を冷やそうか。

2010年2月6日土曜日

「華」さん

今日は午前中、富山天龍太鼓に行き、午後から岡山女性合唱団「華」さんの練習場にお邪魔した。
私は「華」さんとは海外公演で、韓国の富川市、米国サンフランシスコでも御一緒した。

今日は2月21日ホテルオークラで開かれる「マッチ売りの少女」で御休小学校が出演する事になっていて、その中、持ち曲の「山河」ともう一曲「備前太鼓唄」という曲を「華」さんとコラボするので、この曲を叩く6年生男女2人を連れて来たのだ。

練習場所は岡山の生涯学習センターの中の児童会館だった。
中に入ると100人程の方々がすでに他の曲を練習されていた。
私は先日拝見していたが、子供達は初めてだ。
彼等の頬がほんのり赤くなる。

「備前太鼓唄」の練習が始まる。
子供達の太鼓は最初は緊張のあまり、少し走り気味であったが、徐々に落ち着いて来る。
華さんのメンバーからも拍手を戴く。
なんと華さんは優しいのかと思う。

問題点は曲の最後にRit がかかる。(だんだんゆっくりになる)
このタイミングがわかりづらいみたいだった。
また学校に帰って調整する事で失礼する事にした。

男の子は学校きってのおしゃべりだが、今日は無駄口の一つも叩かなかった、いや叩けなかった。
たまにこういう処に連れて来るのもいいものだ。

まあ子供達もなんとか行けそうな目処がたった。
後は私、私も出演する事になっているのだが、まあソロだから、なんとかなると思う。
おそらく たぶん きっと。

2010年2月4日木曜日

ヌートリア

今朝隣の果樹園のおじさんが来て、〇〇さんと私を呼ぶ。
私はまだ布団の中だったが起きて、外に出て見ると大きなゲージの中にヌートリアがいた。
頭から尻まででも80cmぐらい、そしてそれに長い尻尾が付いている。
まさに巨大ネズミである。
大きなオレンジ色の上前歯が印象的だ。

ヌートリアはもともと水面からぬ~と顔を出した処をお百性さんがこりゃと怒鳴った事から、この名前が付いた。

嘘である。
どうも原産地は南アメリカで、その毛皮を取る為に、北アメリカ、アジア、ヨーロッパと拡がったらしい。

このヌートリアはウチの前の池に、おじさんが罠を仕掛けて捕まえとの事。
田畑を荒らすかららしい。

私自身は前の池にいろんな生き物が棲んでくれると嬉しい。
以前鳥のカイツブリが棲み着いた事があった。
私はこの小さい水鳥が大好きで毎日見るのを楽しみにしていた。
ところが、ある日心無き猟師が散弾銃でバンバンとやった。
それ以後カイツブリは来なくなった。

どうも動物には棲み難い世の中に、加速しているようである。

2010年2月3日水曜日

節ちゃんと

今日は節分なので節ちゃんと食事に行った。

まあ二人ではなく、朝の婦人部隊の練習の後皆で新年会の意味も込め行ったのだ。
場所はウチから車で5分の田園風景が一望できる味角と言う料理屋。
こんな田舎にこんな店がと言う感じである。
魚料理が主で寿司もある。
かと思えばビーフ、ポークの料理もある。
何を食べても旨い。
そして田舎だからか値段も安い。
私達も何かあるとよく行く店だ。

店に入り掘りこたつの中に足を入れる。
何にしようかと迷うが、結局いろんなものが一杯入っている幕の内を皆で頼んだ。
他にここのお奨めシソ巻き揚げをちょっと食べてみたいと単品で頼んだ。
シソ巻き揚げは白身魚の摺り身をシソで包み揚げた物である。

まずは幕の内が来た。
刺し身、茹で蛸 竹の子 海老等の煮物が入っている、どれも旨い。
次にシソ巻き揚げが来たので、私は皆で食べれるようにテーブルの真ん中に置く。
すると店の人怪訝な顔をする。
なんと後4皿あったのである。
みんなで唖然。
店の人は皆に単品を付けるものと勘違いしたのだ。
しかしながら心の広い我々は、いいですよ、ニコッ。

だが幕の内も量があった。
私は根性でみな食べたが、婦人達は残した物を持ち帰りに。

もちろん節ちゃんの分も。

2010年2月1日月曜日

邦楽の授業

今日から御休小学校で10時間に渡り邦楽の授業の一貫として和太鼓を教える事になった。
昨年もあったので、今年2回目である。

今日は1年生と2年生。
皆小さく可愛い。
子供用の太鼓なのにまだ高い。
太鼓の台をはずし、床に毛布を敷き、その上に直に太鼓を置く。

まずは各種太鼓の説明をする。
そして実際に太鼓を叩いてみる。

最初はドンドンと一つ打ち。
それからドンドコ ドンドコと古典のリズム。
ドンドコはお百性さんが鍬を持って畑を耕す時のリズムだと教える。
「天突く 地突く・・・・」
子供達もニコニコ、 すぐに叩けるようになる。
最後にこのリズムを使い、犬のお巡りさんを皆で演奏する。
1年生2年生は45分授業1回だけだったので、あっと言う間に終わってしまった。

明日は3年、5年、6年で各2時間授業となる。
高学年に犬のお巡りさんはどうかと考える。

虎のお巡りさんにしようか。

誰も相談しないか・・

2010年1月31日日曜日

笑くぼ

アバターを観に行った。
実に素晴らしかった。
2時間40分程の大作である。
監督はタイタニックのジェームス・キャメロン。
構想14年、制作4年の歳月をかけたらしい。
大した物だ。
私なら倍の時間を要するだろう。

内容についてはこれからの人もいるので言えないが、テーマは自然と調和した生き方がいかに素晴らしいかと言うことであろう。
当初私は3Dという技術的な凄さが多くの観客を呼び、興行収入がタイタニックを越し一位になったのかなと思っていたが、それだけでなくストーリーも良く出来ていた。
構想14年というのもわかる気がする。

3Dは、どうしようもなくダイレクトに抱きたくなるの意である。
専用の眼鏡をかけて観るのだが、被写体が目の前まで飛び出して来て触りたくなる。

3Dの別の言い方はThree-Dimensionsで3次元で立体視のことらしい。
なんでも映像の中に右目用と左目用の画像が入っていて、通常の焦点より手前と奥とを同時に観る事になるらしい。
それを自動焦点機能というのが働き立体画像になるんだって。

読んでるとこちらの目の焦点が合わなくなる。

映画終了後、この便利な眼鏡を持って帰りたいとも思ったが、デザインが今一つ。
何しろ赤と黒なんだもの。

返してあげる事にした。

2010年1月29日金曜日

バレエ

国民文化祭そして そのプレイベントにも当たる「第2回おかやま洋舞フェスティバル」の練習が始まった。

岡山バレエ連盟の公演である。
全体としては倉敷の大原美術館がテーマとなっている。

私達はこの中3曲演奏する。
ブレイベントでは1曲だけ「棟方志功の神々の世界」を披露する。
と言うか後の2曲はまだできてない。

昨日は岡山のバレエの大御所井上先生のスタジオで練習があった。
井上先生は兎に角厳しい。
泣き出す子も一杯いる。
時にはこちらに矛先が及ぶ事もある。
大勢の人のいる練習場に入った途端
「旬さん 何その姿勢は!背筋を伸ばす」とこうである。
私小さき声で
「俺別にダンサーじゃあないもん・・・」
それを聞いた先生
「ダンサーでなくたって姿勢はきちんとしなさい!」
我後に続く言葉出ず。
まあこう叱られつつも、もう10年以上付き合わさせて貰っている。
昨日の練習でアウトラインは見えてきた。
今度は踊りを見ながら曲にアレンジを付けて行かなければならない。
今日も午後2回目の練習がある。

頑張らねば。

2010年1月26日火曜日

美咲町

昨日は美咲町での美咲さんのライブに行った。

美咲町はとても広く、もっと細かく言うと柵原という所である。
柵原は吉井川に沿った山間の町である。
町、町でおかしいが、以前は柵原町と言っていた。
統合されて美咲町となった。

ライブは山荘やなはらと言う処であった。
こんな山間にこんなライブが出来るんだと思う程、広かった。
お客さんは70人程だったが、ゆったり座っている。
詰めれば100人以上大丈夫そうだ。

美咲さんは長野の諏訪大社の近くに居を構えているが、常にライブで全国を飛び回っている。
今回は広島そして九州へのツアーの途中でのライブとなった。
昨年、彼女は私達が企画した「龍物語インルネス」そして玉井宮東照宮での「龍神祭」に出演してくれた。
私は折角の岡山でのライブだったので、友情出演という事で参加した。

開演すぐ、私は和太鼓3台で5分間のソロ。
そして「チームはるはる」で始めたパーカションのグループとの共演。

私達の後は「空色のカマキリ」のたけちゃんの紙芝居。
彼とは奈良であった「虹の祭り」大阪であった「風人の祭り」でも一緒だった。

紙芝居の後、美咲さんのライブが始まった。
美咲さんの澄んだ高音は、まるで天使の唄声と言う感じだ。
お客さん達も聞き惚れていた。

コンサートが終わると主催者、出演者の打ち上げ。
みんなニコニコ、楽しい。
ここでたけちゃんから面白い話を聞いた。
漢字の話なのだが、闇、暗という字には音という字が入っている。
ここから話が展開して行く。
たけちゃんは宇宙の始まりは真っ暗だったが音はあったのでは言うのである。
そして話は続く。
龍という字の左は足があるが、音が入っている。
また日本語に簡素化された竜は音に尻尾が生えていると言うのである。
まずは音有りきだ。

これに気付いた時は流石に彼もびっくりしたと言っていた。
気付く彼も凄いと思ったが。

遅くまで打ち上げを楽しみ、またお互いの近々の再会を願って帰路に着いた。